【医者を選ぶのも寿命のうち】
私のメールのロゴには「病気は自然の実験である」というアフォリズムが付いている。もうひとつのアフォリズムがこれだが、まだ併記していない。
M3という医師専用サイトに、「川村内科診療所の川村」という医師が
<62歳の某大学理学部の教授で、人間ドックの便潜血検査陽性の精査の結果、大腸癌を認め、腹腔鏡下で治療をした際にリンパ節 の1/12個に浸潤を認めた。抗ガン剤療法の追加を説得したが、近藤誠医師の愛読家で、抗ガン剤療法に強い拒否反応を示された。>(サイトはリンクできないようになっている。)
という患者例を提供し、医師たちに「抗がん剤療法」をどう薦めるか?という問いを投げかけている。
この記事を2万人くらいの医師が読み、20人くらいがコメントしている。驚いたことに「あくまで説得して化学療法をすすめる」という、一昔前には支配的だった意見が1割くらいしかない。「患者の意見を尊重する」「治療法は患者が選択すべき」という意見が多数を占めている。「あまり強く勧めると、セカンドオピニオンで逃げられてしまう」という、仁術ならぬ算術意見もある。
日本近現代史の専門研究者である秦郁彦が、穿孔性虫垂炎とそれに伴う化膿性腹膜炎という、近ごろまれな病気にかかり、2度の入院手術を受けた。昔は「虫垂の予防切除」というのがあり、船医だった光畑直喜医師も予防切除している。秦氏が体験から書いた『病気の日本近代史:幕末から平成まで』(文藝春秋, 2011/5)は名著である。この本は以下の12章からなり、さすが専門家で新しく発掘された事実がいくつもある。
1.「黎明期の外科手術」:世界初の全身麻酔による乳がん手術は、1804/10/13に紀州の華岡青洲がおこない、患者の藍屋(あいや)カン(60) は 術後20日目に「治癒退院」した。ところが、菩提寺の過去帳から翌年2月26日に死亡したことが確定したそうだ。術後約4ヶ月しか生きられなかったことになる。(手術前の乳がんの絵が載っている。)
以下時代の主な死病が続けて取りあげられる。
2.「脚気論争と森鷗外」=白米食の普及により、脚気は明治の主な死病となった。
3.「伝染病との戦い」=コレラ、ペスト、赤痢、スペイン風など伝染病は、脚気の後の死病として猛威をふるった。
4.「結核との長期戦」=急性感染症の予防はほぼ確立したが、その後は結核が死因の第1位を占め、抗生物質含む化学療法が普及する1950年までこの地位に留まった。しかし結核を減らせたのは何よりも生活水準の向上である。
5.「戦病の大量死とマラリア」= 日露戦争 (1904-05) では、戦死者5万1000人対して、戦病死1万2500人が出た。腸チフス、脚気が多い。太平洋戦争(1941-45)では戦死・戦傷死約98万2000人に対して、約31万人の戦病死が出た。マラリアが圧倒的に多くの生命を奪っている。「戦死・戦病死」とされているものも、実態は「飢餓による衰弱死」が多くを占める。
6.「狂聖たちの列伝」=明治以来の精神医学のあゆみと島田清次郎、芥川龍之介、村智恵子、太宰治、大川周明など著名人の病歴が示されている。
こうして治癒や予防あるいはコントロールにより、死ななくなる病気の種類が増えて行くと、「死ぬ病気」のランクが様変わりする。
平均寿命が60歳を越えた1950年代から「がん死」が死因の1位となった。今は「国民の2人に1人が罹り、3人に1人が死亡する病気」と言われる。
7.「肺ガンとタバコ」=今やがんの1位を占める肺ガンについて、1950年以後に喫煙率が急速に減少しているのに、それに反比例して肺ガンが増えている事実を指摘し、平山雄の「受動喫煙説」に疑問を投げかけている。
平均寿命の伸びは、がんを除くこれらの疾病の治療・予防と生活レベルの向上により可能となった。乳幼児死亡率の著減も平均寿命の伸びに大いに貢献している。
がんは遺伝子病だから、DNA変異が蓄積する加齢は、単一の因子としてはがんの発生にもっとも影響を与える。男90歳、女95歳が平均寿命になると、むしろがんにならないのが不思議といえるだろう。
昔、多くの老人は「老衰死」していた。8/26の新聞の死亡記事欄で、久しぶりにこの病名を見た。鹿児島がどこかのラジオ局の現役女性キャスター(111歳)が「老衰死」したという。これは理想の死に方ではないか?
『どうせ死ぬなら「がん」がいい』(宝島新書)を読んで、昔の「老衰死」は実際には進行がんだったのではないか?と思った。近藤さんも中村さんも、進行がんが見つかった年寄りを「放置療法」で見ていると、痛みもなく死んで行くという。「人は食べないから死ぬのではなく、<死に時>が来たから食べなくなる」(中村仁一)という発言に妙に納得するところがあった。
私の伯母は脳卒中で意識不明となり、本人自筆のリビング・ウイルに基づいて、延命措置をまったくしなかった。いびきをかいていて、眠っているとしか見えなかったが、1週間後に自宅で自然死した。90歳だった。通夜に集まった伯母の友だちが「うらやましい死に方だ」と口々にいった。
中村仁一の本に、胃瘻をつけて5年後に死んだ人の遺体写真がある。やせ衰えて関節が拘縮していて、葬儀社の人が手足をポキポキ折らないと、棺桶に入らなかったという。床ずれもひどい。(「大往生したけりゃ医療とかかわるな」)こういう死に方は悲惨だと思う。
<付記=9/20Nスペ「老衰死」を録画で観た。93歳の老女が死ぬまでをフォローしていた。
「食事をしなくなる→水も飲まなくなる→嗜眠傾向が出る→下顎呼吸が始まる」、という典型的な老衰死の過程を辿って永眠した。この石飛医師は、仙台の並木先生の友人ではなかったかと思う。ともあれ中村仁一医師の発言は本当だと確信した。こういう死は望ましいと思う。
それにしても94歳の
外山滋比古『老いの整理学』(扶桑社新書, 2014/11
を読むと、老化・加齢現象にはずいぶん個人差があるものだ。これは「かまいけ理論」だと、糖質過多食があるかどうかが関係するという。
その前の「ダーウィンが来た」では、ライオンがカラハリ砂漠で、イボイノシシを追っかける映像があった。ライオンは全速で走る時に、筋肉のグリコーゲン・ブドウ糖を分解してエネルギーを出すから、長続きしない。イボイノシシはきっと脂肪酸・ケトン体をエネルギー源にしているから、逃げ切ることができるのだろう、と思った。
さあ、明日もバター20グラムを食おう。>
私のメールのロゴには「病気は自然の実験である」というアフォリズムが付いている。もうひとつのアフォリズムがこれだが、まだ併記していない。
M3という医師専用サイトに、「川村内科診療所の川村」という医師が
<62歳の某大学理学部の教授で、人間ドックの便潜血検査陽性の精査の結果、大腸癌を認め、腹腔鏡下で治療をした際にリンパ節 の1/12個に浸潤を認めた。抗ガン剤療法の追加を説得したが、近藤誠医師の愛読家で、抗ガン剤療法に強い拒否反応を示された。>(サイトはリンクできないようになっている。)
という患者例を提供し、医師たちに「抗がん剤療法」をどう薦めるか?という問いを投げかけている。
この記事を2万人くらいの医師が読み、20人くらいがコメントしている。驚いたことに「あくまで説得して化学療法をすすめる」という、一昔前には支配的だった意見が1割くらいしかない。「患者の意見を尊重する」「治療法は患者が選択すべき」という意見が多数を占めている。「あまり強く勧めると、セカンドオピニオンで逃げられてしまう」という、仁術ならぬ算術意見もある。
日本近現代史の専門研究者である秦郁彦が、穿孔性虫垂炎とそれに伴う化膿性腹膜炎という、近ごろまれな病気にかかり、2度の入院手術を受けた。昔は「虫垂の予防切除」というのがあり、船医だった光畑直喜医師も予防切除している。秦氏が体験から書いた『病気の日本近代史:幕末から平成まで』(文藝春秋, 2011/5)は名著である。この本は以下の12章からなり、さすが専門家で新しく発掘された事実がいくつもある。
1.「黎明期の外科手術」:世界初の全身麻酔による乳がん手術は、1804/10/13に紀州の華岡青洲がおこない、患者の藍屋(あいや)カン(60) は 術後20日目に「治癒退院」した。ところが、菩提寺の過去帳から翌年2月26日に死亡したことが確定したそうだ。術後約4ヶ月しか生きられなかったことになる。(手術前の乳がんの絵が載っている。)
以下時代の主な死病が続けて取りあげられる。
2.「脚気論争と森鷗外」=白米食の普及により、脚気は明治の主な死病となった。
3.「伝染病との戦い」=コレラ、ペスト、赤痢、スペイン風など伝染病は、脚気の後の死病として猛威をふるった。
4.「結核との長期戦」=急性感染症の予防はほぼ確立したが、その後は結核が死因の第1位を占め、抗生物質含む化学療法が普及する1950年までこの地位に留まった。しかし結核を減らせたのは何よりも生活水準の向上である。
5.「戦病の大量死とマラリア」= 日露戦争 (1904-05) では、戦死者5万1000人対して、戦病死1万2500人が出た。腸チフス、脚気が多い。太平洋戦争(1941-45)では戦死・戦傷死約98万2000人に対して、約31万人の戦病死が出た。マラリアが圧倒的に多くの生命を奪っている。「戦死・戦病死」とされているものも、実態は「飢餓による衰弱死」が多くを占める。
6.「狂聖たちの列伝」=明治以来の精神医学のあゆみと島田清次郎、芥川龍之介、村智恵子、太宰治、大川周明など著名人の病歴が示されている。
こうして治癒や予防あるいはコントロールにより、死ななくなる病気の種類が増えて行くと、「死ぬ病気」のランクが様変わりする。
平均寿命が60歳を越えた1950年代から「がん死」が死因の1位となった。今は「国民の2人に1人が罹り、3人に1人が死亡する病気」と言われる。
7.「肺ガンとタバコ」=今やがんの1位を占める肺ガンについて、1950年以後に喫煙率が急速に減少しているのに、それに反比例して肺ガンが増えている事実を指摘し、平山雄の「受動喫煙説」に疑問を投げかけている。
平均寿命の伸びは、がんを除くこれらの疾病の治療・予防と生活レベルの向上により可能となった。乳幼児死亡率の著減も平均寿命の伸びに大いに貢献している。
がんは遺伝子病だから、DNA変異が蓄積する加齢は、単一の因子としてはがんの発生にもっとも影響を与える。男90歳、女95歳が平均寿命になると、むしろがんにならないのが不思議といえるだろう。
昔、多くの老人は「老衰死」していた。8/26の新聞の死亡記事欄で、久しぶりにこの病名を見た。鹿児島がどこかのラジオ局の現役女性キャスター(111歳)が「老衰死」したという。これは理想の死に方ではないか?
『どうせ死ぬなら「がん」がいい』(宝島新書)を読んで、昔の「老衰死」は実際には進行がんだったのではないか?と思った。近藤さんも中村さんも、進行がんが見つかった年寄りを「放置療法」で見ていると、痛みもなく死んで行くという。「人は食べないから死ぬのではなく、<死に時>が来たから食べなくなる」(中村仁一)という発言に妙に納得するところがあった。
私の伯母は脳卒中で意識不明となり、本人自筆のリビング・ウイルに基づいて、延命措置をまったくしなかった。いびきをかいていて、眠っているとしか見えなかったが、1週間後に自宅で自然死した。90歳だった。通夜に集まった伯母の友だちが「うらやましい死に方だ」と口々にいった。
中村仁一の本に、胃瘻をつけて5年後に死んだ人の遺体写真がある。やせ衰えて関節が拘縮していて、葬儀社の人が手足をポキポキ折らないと、棺桶に入らなかったという。床ずれもひどい。(「大往生したけりゃ医療とかかわるな」)こういう死に方は悲惨だと思う。
<付記=9/20Nスペ「老衰死」を録画で観た。93歳の老女が死ぬまでをフォローしていた。
「食事をしなくなる→水も飲まなくなる→嗜眠傾向が出る→下顎呼吸が始まる」、という典型的な老衰死の過程を辿って永眠した。この石飛医師は、仙台の並木先生の友人ではなかったかと思う。ともあれ中村仁一医師の発言は本当だと確信した。こういう死は望ましいと思う。
それにしても94歳の
外山滋比古『老いの整理学』(扶桑社新書, 2014/11
を読むと、老化・加齢現象にはずいぶん個人差があるものだ。これは「かまいけ理論」だと、糖質過多食があるかどうかが関係するという。
その前の「ダーウィンが来た」では、ライオンがカラハリ砂漠で、イボイノシシを追っかける映像があった。ライオンは全速で走る時に、筋肉のグリコーゲン・ブドウ糖を分解してエネルギーを出すから、長続きしない。イボイノシシはきっと脂肪酸・ケトン体をエネルギー源にしているから、逃げ切ることができるのだろう、と思った。
さあ、明日もバター20グラムを食おう。>
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