ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【書評など】NHKスペシャル取材班「老後破産:長寿という悪夢」/難波先生より

2015-11-23 15:27:41 | 難波紘二先生
【書評など】
1)エフロブ「買いたい新書」の書評に、No.296:NHKスペシャル取材班「老後破産:長寿という悪夢」(新潮社, 2015/7)を取りあげました。
 2014年9月放送のNHKスペシャル「老人漂流社会:老後破産の現実」に,その後の追加取材を加えて本にまとめたものだ。現在65歳以上の高齢者で一人暮らしをしている600万人のうち,300万人は生活保護水準以下の年収で,うち70万人が生活保護受給者。残りの230万人も,国民年金と厚生年金を合わせて,月収が10万円前後という人が多数だという。 持ち家があり,夫婦が健在のうちは年金を合算して生活が成り立っているが,一人暮らしになるととたんに月収が生活保護レベルに下がる。
 こうした65歳以上の一人暮らし老人が,病気や事故などで想定外の出費に見舞われると,生活破綻するケースが多い。本書はそれを「老後破産」と呼ぶ。東京圏の老後破産した7人のケースと秋田県の過疎の農村のケース1例が,具体的に月のバランスシートを含めて紹介されている。「貧・病・老」を三大苦というが,文字どおりそれを味わっている老人が多い。読んでいて「人ごとではない」と恐ろしくなった。以下はこちらに、
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1447115514

2)献本お礼=
1.「医薬経済」11/15号(医薬経済社)のご恵送を受けた。お礼申しあげます。
前号(11/1号)と合わせて読んでみて、医師と製薬業界の関係が大きく変わろうとしているという印象を受けた。
 前号の記事には「講演料で稼いでいる<診療科>」という、国立大学附属病院教授の診療科別副収入のランキングがあった。
 今号の「3年目の透明性ガイドライン:減少した接待費と寄付金の行く先」という記事を読むと、製薬会社が医師と医療機関に支払う金の流れが従来の「奨学寄付金」から完全な公金である「委託研究費」に変わり、他方で医師個人には「講演会費・原稿執筆料」として支払われているという流れがわかる。
 奨学寄付金は特定の個人に対する使途を限定しない寄付金で、これは寄付者が免税となり寄付された個人も大学の経理が管理するので個人収入と見なされない、かなり便利な金だ。
 だが、「ディオバン事件」でデータ不正が明らかになったノバルティス社が、奨学寄付金と寄付講座の廃止に踏み切り(このあおりを食ったのが前日本移植学会理事長の高原史寄付講座教授だ)、他者も二の舞を避けて、奨学寄付金を減額ないし撤廃する傾向がある。
 「接待費」は、2012年の総額約40億円から14年度は約15億円と63%も減少している。しかし製薬会社が医師・病院に支払った総額は「第一三共」の場合、372億円(12年:366億円)研究開発費218億円(13年:192億円)、奨学寄付金18億8400万円(13年:20億400万円)、講演・執筆料121億1600万円(14年度分)となっている。つまり支払総額の32.5%が有力な教授の個人収入になっており、これが前号の<国立大学病院・診療科別講演料等収入>という番付表(これは大学開示の情報に基づく)対応していることがよくわかった。
 こういうように教授だけが特別な「副収入」(それも年俸の倍以上もある人がいる)にありつけるようになると、また別の問題が起きるように思う。ノーベル賞をもらった野依さんは講演料収入を申告せず、税務署から追徴金を支払わされたという。
 もう一つ気がついたのは、先日、年間総医療費が40兆円を超えたと報じられたが、うち10兆円は医薬品費だという。日本の社会保障システム破綻を避けるには、総医療費の圧縮ことに医薬品費の縮小は避けられない。これは従来の医薬品製造販売システムに大きな危機をもたらすと予測されるが、それに対する有効な対応策が見つかっていないという現状だ。
(付記:11/22「毎日」は来年度の診療報酬改定で政府は「薬価を1%下げる」方針だと報じている。薬剤費10兆円のうち約1000億円を節減するという。)
 米国では医薬品のセールスマン(MR)の総数は最盛期の10万人から7万人に減ったという。医薬品情報の医師への伝達が在来型からIT技術を利用したデジタル型に変わっているのが主因だと記事にある。
 接待費が激減していることを考え合わせると、MRの活動内容もこれからは変わるように思う。
3)訂正=
 11/16のメルマガでシュミット元西ドイツ首相の訃報にふれて、「<民族の罪>というものはない。罪はあくまでもその行為を行った個人にある」という、私が彼の講演で聴いた言葉を紹介した。ところがWIKIのヴァイツゼッカーの項には、これが元西独/統一ドイツ大統領リヒャルト・ヴァイツゼッカーの言葉として引用されている。
 そこで、ヴァイツゼッカー, R.V.(永井清彦/編訳)「言葉の力:ヴァイツゼッカー演説集」(岩波現代文庫, 2009/11)を取りよせて読んでみた。「荒れ野の40年」という1985/5/8(ドイツ無条件降伏後40周年記念日)に西ドイツ大統領として行った演説の中に、該当する文言があった。
 「一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります」(P.10)
 シュミット講演は東西ドイツ統一(1990)、ソ連崩壊(1991)の後のことで、1994年頃だった。ドイツで「ザ演説」というと、このヴァイツゼッカー演説(「5月8日演説」)を意味するそうだ。したがってシュミット講演は大統領の名前を上げなかったが、この「名言」をパラフレーズしたとみて、間違いないだろう。
 オリジナリティはR.ヴァイツゼッカーにあるので、シュミットの言葉とする前回の記載を訂正いたします。
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