ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

4/10/2017鹿鳴荘便り/難波先生より

2017-04-07 22:22:39 | 難波紘二先生
 皆さま、お変わりありませんか?
 私も「糖質制限+ケトン食」(但しフル・メニューでなく、少し軽め)のお蔭で体調が改善しました。さすがに12時間絶食すると、胃袋が鳴ります。でも主な仕事は「朝メシ前」に片づけることにしています。頭がシャープな時間帯なので仕事がはかどります。
 夜もスタンドの灯りを消し、瞼を閉じると、すぐに入眠時幻覚が見え、睡眠薬は持続性タイプのものを1錠に減らしたのに、途中トイレに起きることなく朝まで熟眠できます。

 「朝メシ前の仕事」は随筆家・英文学者の外山滋比古(とやま・しげひこ)の本から学んだ方法です。戦後「英語青年」という雑誌の編集長を12年間もしていたと知り驚きました(「乱読のセレンディピティ」)。これは1960年代、英文科の学生や教師にとって必読雑誌でした。
 古代アテネ市民のように、主な仕事を午前中(朝メシ前)にかたづけると、午後はくつろいで過ごせます。アテネでは家事や労働は奴隷がするので、正規の市民は、午後はアゴラという公共広場で談話をしたり、スポーツをしたり、公衆浴場で入浴したりして過ごしていました。もちろん政治談義や市の評議員として政治にも関与していました。

 アリストテレスは「民主制の維持にはコストがかかり、それには奴隷制の維持が必要となる」と考えていました。彼は奴隷制を擁護したと、日本では誤解されていますが、要するに北朝鮮のような貧しい国には民主主義が成立しないと述べたのです。
 奴隷の代わりに石炭や石油などの化石燃料で動く、蒸気機関やエンジンが開発されたから、産業革命や奴隷解放が実現して、近代民主主義社会が可能になったのです。ロシア民謡「ボルガの舟歌」は船曳ひき労働者の苦しい労働を歌ったものです。

 外山滋比古は1923年生まれで、今年94歳のはずですが、知的活動にまったく衰えが認められません。いま全国に百歳人が約5万人いますが、おそらく彼も知的活動性を保ったまま、百歳人の仲間入りをするのではないか、と思います。
 「セレンディピティ」とは、「偶然の大発見」のことをいいます。彼の主張は乱読によりそれが可能になるというもので、読み進めると「目からウロコ」の指摘がいくつもあります。

 4/6NHK・TV 19:00のニュースで、北海道帯広市の最高気温が23.6℃と7月並みに上がったと知り、仰天しました。書斎の北側は雨天のせいもあって、正午の外気温は15℃程度でした。電気カーペットと690Wのオイル・ヒーターが必要でした。湿度が40%あり、加湿器は不要でした。4月の気温が北海道より低いのは、20年前に越してきて初めての経験です。
 花は雑木林に馬酔木(あせび)の花、サンサーラの前庭に水仙の花が咲いたところで、桜の開花予兆はまったくありません。西高屋には街路樹のコブシが白い花をつけています。
 4/6夜、書斎北側の外気温は、夕方からの雨のせいもあり、23:00で、気温9℃、湿度70%です。春とはとても思えません。


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