ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【福富町の我が家】難波先生より

2019-03-25 13:11:33 | 難波紘二先生
【福富町の我が家】
 「林住期」にある我ら夫婦の現居住地はもと広い果樹園だったところで、南向きの緩斜面で、50年以上前に地主から3.3㎡(坪3000円)で業者が買い、それを宅地整備後、投資目的の客に坪1万円で転売した。業者はその後倒産した。全体の正確な面積は知らないが、1997年、私の母が死んだ年に、坪1万円で500坪を購入し住宅を建て、広島市から移住した。法務局の登記簿を見ると所有者不明の土地も多い。国道沿いの一番悪い湿地は、どこかの歯医者さんが購入したそうだ。
 当時は別荘としてのログハウスが6戸あるだけで、定住者はいなかった。それが今、定住者4戸にまで成長した。
 我が土地は、その後国道に面した土地を買い増し、約3000坪になった。
 「3000坪」に固執したのはケニアのナイロビで、ある総合商社のアフリカ支店長に会い、元英国貴族の屋敷という自宅を見せてもらったら、敷地が3000坪あり、プールもテニスコートもあったからだ。「いつかこんな家に住みたいな…」と思った。
 このS支店長に、夕食時に和辻哲郎「風土」(岩波文庫)の話をしたら、1週間のち、コートジボワールから帰国のためナイロビに戻ってきたら、日本から取りよせ、もう読み終えていた。テレックスで日本に注文したという。
「さすが日本の国際商社マン!」と感心した。面白いことにその時、国立がんセンター総長の秘書だったという、若い女性に会った。その商社の方はまだ存命なので、当時の日記には名前が書いてあるが、固有名詞は書かない。初め支店長宅に招かれたので、お返しにナイロビ1のレストランに招待した。もちろん私費である。読書の感想をたずねたら、「日本からいろいろ大学教授が来るが、風土と人種の関係を論じた、この本の存在を指摘した人は、いままでいなかった」と答えがあった。

 友人で病理学会の「悪の三人組」と呼ばれた東大医卒の森茂郎君は、日本病理学会の理事長を務めたが、名誉会員を辞退した。湯島にある超豪華マンションのワンフロアーを本宅として所有しているが、同期生の奥さんが血液内科専門医で、退官後は谷川岳の別荘地に内科と病理診断科を開設し、繁昌しているという。三人組のひとり、WSさんは慶応大医卒、国立がんセンター疫学部長をへて、東京農大の教授になった。
 日本語の「悪」には「強い(ストロング)」という意味もある。源氏の悪源太善平などはその典型だろう。W君は雑誌を刊行したり、国際学会に出張したりと、世界中を飛びまわっている。『悪の三人組』は健在である。

 森君からは「泊まりに来い」と招待を受けているが、家内の休みでないと行けそうもない。まあ、高度400mの気圧には順応しているので、ヘビースモーカー老人でも問題はないだろう。それに内科医がいるのだから、治療はお手のものだ。
 彼も「林住期」を上手く生かしている。彼の趣味は歌うことで、「芸は身を助すく」というように、現地の住民と歌うサークルを結成して、土地の人たちに溶け込んでいる。奥さんの『森内科医院』が繁昌するはずだ。

 話を元にもどす。この地から広島空港まで車で25分、山陽自動車道まで30分だ。バス停までは自分の土地を歩いて行ける。まだ土地はたくさん残っているので、定年退職後に「林住期」を考えておられる方には、お薦めだ。それに町名がよい。「福富町」だ。ここは全国にいくつかある、同じ町名の元祖である。命名者は当時の広島県知事だ。「町史」はまだ読んでいない。

 技術のある人なら、働き口は停年後でも沢山ある。元々広島大学の移転計画が発端で、東広島市が誕生し、国の山陽自動車道、県の工業団地、広島空港が作られた。いま広島市には空港がない。新幹線東広島駅から広島市まで、新幹線ならわずか6分だ。
 位置的には広島県の中央部山地にあるので、車で1時間走ると県内のどこにでも行ける。

 都市に住む人なら、住宅を借家に出せば、年金と賃料で「老後破産」は防げる。特に音楽を趣味とする方を、私は歓迎する。サンサーラの建物は家内引退後に、この「団地」の音楽会場にすればよいと思っている。それに「広島県建物修理協会」という建築業者の本宅もここにある。別荘としてログハウスを持っている人は他に5棟あるが、2棟は借家になっており、1棟は日曜大工が趣味の人が、休日に壁のペンキ塗りとか庭仕事に訪れている。

 今はインターネットで中古車整備・販売をしている青年の、家族の仕事場を兼ねた家もある。つまりネイティブIT世代の永住だ。今にネットでここの土地を、販売する時代になるだろう。子どもは地元の小学校に通っていて、ハワイの孫とほぼ同年齢だ。この地区は非常に厚い岩盤の台地があり、西隣の白木町には東大の地震研究所がある。その年報はネットでPDFとしてダウンロードできる。

 車の話にもどる。アメリカで2年間私の車の面倒を見てくれたMr.ワイルドマンは、5万Kmに及ぶ米国一周旅行の後、エンジン音を聴いただけで、「シャフトが折れている」と指摘した。日本ではああいう名職人に逢ったことがない。

 思えばさらに、南はヘミングウェイ終焉の地キーウェスト島を訪問したし、北はナイアガラの滝や『赤毛のアン』の舞台カナダのプリンス・エドワード島、それにケベック、モントリオール、オタワを訪ねた。
 西はアパラチア山脈を越えて、アブラハム・リンカーンの生家を訪ね、マンモス洞窟の訪問とずいぶん旅行したものだ。
 帰国時にはアラスカで途中降機し、大きな湖の向こうにある氷河を見た。
 こうして留学中に、アメリカの州のほとんどを廻った。
「平家物語」にある、平の知盛の壇ノ浦入水の言葉ではないが、アメリカについては「見るべきほどのことは見つ」の感がある。

 あの車は、帰国する時に北大歯学部の歯科医がよい値で買ってくれたので、修理工のワイルドマン氏を紹介した。後年、亭主が死んだからと、奥さんが福富町の拙宅を訪ねてくれたのには驚いた。広島に住んでいると知り、さらに驚いた。幸いあの車は故障もなく動いてくれたそうだ。
 車はリンカーン・コンチネンタル・ハードトップの中古車で、買値は5,000ドル、売値は3,000ドルだったと記憶する。購入時と売却時の走行距離は マイル表示なので、憶えていない。
 雪のロッキー山脈も越えたのに、一度スリップしただけで、脱輪事故やフェンスへの衝突はなかった。それにしても「縁は異なもの」だな、と思う。

 今日は初めて英語サインで郵便宅配を受けとった。脱輪の窮地を救った恩があるからか、「日本語でないとダメ」とは郵便局員も言わなかった。

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