ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【千里眼事件】難波先生より

2014-03-10 19:12:40 | 難波紘二先生
【千里眼事件】科学史にスキャンダルは多いが、大事件になるのは、その発見が画期的なものとして報道され、世間一般がそれに期待し、信頼が高まった後で、「捏造」あるいはインチキであったと報じられた場合です。もちろんその発見を評価し、メディアに対して自己宣伝する科学者もいるわけです。その意味で、マスメディアが必ず関与しています。

 女性がからむ科学史の大スキャンダルとしては、1911(明治44)年の「千里眼事件」がある。http://ja.wikipedia.org/wiki/千里眼事件
 この事件は「千里眼」と称する自称超能力者に、研究者がまんまと騙されたというもので、騙されたのが東大の心理学助教授でなかったら、事件にもならなかっただろう。
 最初の「千里眼」、熊本の御船千鶴子を評価したのは東大の心理学助教授福来友吉で、千鶴子にカードに字を書いて入れた密封小型封筒19通を、大型封筒に入れて郵送し、小型封筒を開けないで中の字を封筒の表に書いて、封筒ごと返送してもらいたい、という「実験」をやった。
 結果が100%適中になるのは当たり前である。すっかり信用した福来は千鶴子を東京に呼び出し、物理学者山川健次郎、田中舘愛橘、医学者三宅秀、大澤謙二、片山国嘉、呉秀三、入沢達吉、哲学者井上哲次郎、動物学者岡浅次郎など、当時のそうそうたる学者の立ち会いの下、透視実験を行った。
 字を書いたカードを鉛の筒に入れ、蓋をハンダ付けした場合には、千鶴子は文字を読みとることができなかったが、上が開いた錫の壺に入れた場合には、字を読みとることができた。しかし、カードを二重封筒に入れた場合には、中の紙片の文字を言い当てることができなかった。
 「透視実験」が成功するのは、千鶴子が一人でいる機会があり、かつ乾版を入れたカバンが無人の部屋にある場合、のみだった。(これはスペクター事件における、「実験は彼が行う時だけ成功することが多く、彼がいないと再現されない」というのと似ている。但し福来はその異常性に気づいていない。)福来の期待に反して、実験を信じた立会人はほとんどいなかった。心理的に次第に追いつめられた千鶴子は、この実験の4ヶ月後に服毒自殺した。
 東京での実験が新聞で全国に報じられると、全国に「超能力」があると称する女性が輩出した。その一人が四国丸亀の長尾郁子である。裁判官夫人というのも、信用された一因だ。郁子は念力により写真乾版に文字を「念写する」能力があるとされた。但し、これが成功したのはいずれも丸亀の千鶴子宅においてのみだった。長尾家の隣には1メートルと離れていない位置に空き家があり、ここには博多から福来が連れてきた、横瀬琢之という「催眠術師」が1910年11月から住んでいた。板を渡せば家から家へ移れる距離だったという。実験は1911年1月に行われた。
 写真乾版をここに運び、それを引き出し、露光面に墨汁で文字を書いた半紙を当てて、短時間感光させれば、日光写真と同じように、文字の潜像をつくることは可能である。郁子はどの文字を念写するか、あらかじめ情報を与えられていた。横瀬が協力者であれば、この方法で科学者を騙すことは容易である。
 長尾郁子も、この実験後2ヶ月もしないうちに、インフルエンザにより死亡した。

 その後も1913年に、「念写能力」(精神力で写真乾版を感光させ、文字や画像の潜像を作る能力)があるとする岡山出身の高橋貞子が現れた。この頃になると福来は完全に念写を信じており、実験には科学的「対照」が置かれておらず、立ち合い者に信じさせるための実験という性格がつよい。

 ブームが下火になり、疑惑の眼が向けられるようになると、高橋夫妻は郷里岡山に戻った。福来友吉は1914年10月、東京帝大を休職となり、1年後大学を去った。その後は学会からも見捨てられた存在となった。
 この事件では、1909年8月「東京朝日」が御船千鶴子の「超能力」を報じて以後、1911年の千鶴子の自殺までは、「煽る」サイドに立ってメディアは報道した。しかし山川健次郎元東大総長が立ち会った丸亀での長尾郁子の実験(1911/1)以降、彼の批判的見解が伝えられると、「超能力者」を非難する論調に変わった。
 この事件の背景には、当時「催眠術」がブームになっていたこと、レントゲン線装置が医療に応用され始めたところで、「透視」という言葉とレントゲン技術がある種の「不思議」なものとして受けとめられたこと、写真乾版が感光する原理について、心理学者福来がまったく無知であったこと、などが挙げられよう。
 この事件の決着は不十分であり、その後昭和の初めにも、やはり心理学者古川竹二が提唱した「血液型と性格」が相関するというインチキ学説事件が起こり、心理学はさらに信用を失墜した。いま、この説は竹内久美子とか藤田紘一郎のような、流行「日本オカルト」の源流をなしている。
1.科学朝日編「スキャンダルの科学史」, 朝日新聞社, 1997)
2.佐藤達哉・溝口元(編)「通史・日本の心理学」(北王路書房、1997)
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