ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【森村誠一】難波先生より

2013-03-28 12:17:28 | 難波紘二先生
【森村誠一】今日は10:30に医療センターに過去5年間のカルテの閲覧/コピーに行った。自分の医療記録なのに、「閲覧申請書」(手数料300円)を書かされ「委員会審査」が行われる。結果が連絡されるまでに2週間かかった。閲覧時間に制限があり「2時間以内」だという。20ページくらいある「カルテ閲覧規則」があり、お役所用語でそう書いてある。理由は説明してくれない。「独立行政法人国立病院機構」でひな形を作成、配布したという。


 で、密室で自由に閲覧できるのかと思ったら、監視役がずっと付いている。国会図書館でもこういうことはない。治療を終わったので、「5年の保存期間」が過ぎたら廃棄されるものではないか。日本にはスウェーデンと異なり「カルテ永久保存」の法律がない。


 私がほしかったのは検査データと入院時の看護記録である。医者はろくに話も聞かないし、カルテにも記入しないから、役に立たない。胸部X線単純撮影のフィルムが1枚あった。「デジカメで撮影するのでシャーカステンがほしい」といったら、撮影禁止だそうだ。これも規則に確かに書いてある。仕方がないから、白い壁にかざして、自分で読影した。限局性病変も、肺気腫の所見もない。COPD(慢性閉塞性肺疾患)の症状がないのは、独特なタバコの吸い方をしているからだ。


 で、「委員会審議用に一式コピーをした」というのでそれを見ていった。必要なときに前にあるカルテ原本をみた。
 作業は1時間で終わった。枚数は228枚あった。料金を4500円あまり取られた。1枚20円である。(もともと院内委員会審議用にコピーしたのだから、タダでくれてもいいのにと思う。もし「いらない」と言ったら、シュレッダーにかける手間がかかるだけだろうに。)


 予定より早く終わったので、バスを待ちながら森村誠一「60歳で小説家になる」を読んだ。文章はプロで上手いので、すぐ読める。が、誰でも小説家になれる、と煽っている。無責任だ。
 400字の原稿用紙1枚に、起承転結のある文章がちゃんと書けない人が、小説家になれるわけがない。新聞の一面コラムは毎日これをやっている。
 
 森村誠一は1933年生まれで、青山学院大学英文科卒だそうだ。東京「都市センターホテル」のフロン係をしていた。梶山季之の定宿兼仕事場で、書き上げた原稿を編集者が取りに来たら渡してくれ、とフロントに預けたのだそうだ。それをこっそり読んだという。梶山の外出中は部屋に入って、使っている資料を調べたという。


 これで推理小説のノウハウを掴み、「ホテル・ニューオータニ」のフロント係に転職後、内職に小説を書いているのがばれて、辞職したという。都市センターホテルとニューオータニでは格式がちがう。客の秘密を盗むような男は置いておけないだろう。
 もう彼も80歳だから、そういうことも書いていて、森村誠一とはどういう男かよくわかる。


 「ホテルは客が無防備で、警戒しない。…人間観察には最適であった。」
 こんなことを書かれると、ホテル業界からクレームがつくのではないか。
 まあ、この反倫理的な新書は幻冬社だから出せたといえよう。


 読むには楽しいが、「小説家のメリット」だけが書いてある本だ。
 曰く、「小説家は搾取されない」。印税収入、死後50年間の著作権持続など、いいことずくめだ。
 曰く、「小説家は時間が全部自分のものになる」。夜昼逆転の生活はできるが、〆切は待ってくれないことは述べていない。
 曰く、「小説家は顔が広くなる」。広くなればプライバシーがなくなり、出費も増えることが書いてない。
 曰く、「新刊本がタダで読める」。献本のことを言っているらしいが、読みたい本は自分で買うのが筋。
 
 極めつけは「日記に嘘を書くことから始める」という小説作法のアドヴァイスで、永井荷風も夏目漱石も清沢洌も山田風太郎も、日経の「私の履歴書」もみな嘘が書いてあるという。理由は「日記にしては文体が整っている」からだそうだ。
 私は「漱石日記」というのは知らないが、荷風の「断腸亭日乗」、清沢「暗黒日記」、風太郎の戦前、戦中の日記2冊と戦後の日記4冊は全部読んでいる。清沢日記は1945年に彼が死んだ後、1970~73年に3冊本で初公刊された。


 風太郎の「戦中派不戦日記」は昭和17(1942)年11月25日から筆を起こしている。この日の末尾にこうある。
 「しかし、嘘はつくまい。嘘の日記は全く無意味である。」
 この日記は1973年に刊行された。嘘をつくのであれば、「大東亜戦争賛美」の記述を削除したはずである。風太郎は一貫して自己に忠実であった。
 荷風は、80歳で死んだとき、預金通帳に2300万余円の預金があった。当時の公務員初任給は1万円である。彼には日記を刊行してもうける必要性などなかった。


 「私の履歴書」が嘘だというが、青木昌彦「私の履歴書:人生越境ゲーム」(日経新聞社)はどうなのか?彼はこの中で、60年安保の全学連とそれを指導したブントについて、自分の果たした役割を含めて、読者が驚くほど正直な告白をしている。
 かつて森村の「悪魔の飽食」、「続悪魔の飽食」を真剣に読んで、つよいショックを受けた経験があるだけに、「ノンフィクションとしてフィクションを書く」という森村の、非倫理的な執筆態度を許し難く思った。


 これは「物書きはどうあってはならないか」を示す、最良の書物である。
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