ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【ロータリー交差点】難波先生より

2014-09-08 13:10:04 | 難波紘二先生
【ロータリー交差点】
 9/1から道交法が改正されて、信号のない「ロータリー交差点」が復活したと「東京」が報じている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014090202000133.html
 今は「ラウンドアバウト」と呼ぶのだそうだが、昔は「ロータリー」と呼んでいた。1967年、運転免許証をもらった時の自動車学校の実地教習には「ロータリーの通過」があったし、広島の街には信号のないロータリー式交差点があった。鷹野橋交差点がそうだったし、霞町の広島大医学部入り口のところがそうだった。
 ロータリー式は信号待ちがないので渋滞が起こらず、車が速やかに方向転換できる利点があるが、あらかじめ行く方向の地図が頭にないと、出るタイミングを失してグルッと一周してしまい、その街に不案内なよそ者には不便である。しかし信号に依存しないので、停電でも混乱が起こらない。
 しかしその後、「信号のない交差点」の解消運動が展開されるにつれて、ロータリー式交差点は四角な交差点に変わり、姿を消してしまった。
 1980年頃、イタリア・ミラノの町で停電があり、夜の大通りの交差点で大混乱が起こったのを目撃したことがある。片側3車線の広い通りだったが、信号が消えた。信号が消えているのは車からも見えるのに、イタリア人は何とか自分だけは交差点を通り抜けたいと、右からも左からも突っ込む。後の車もそれに続くが渡りきれない。あとがえりもできない。たちまち大渋滞になった。すさまじいクラクションの音だ。
 「アメリカ人なら、誰かが出て、自発的に交通誘導をするがな…」と思って見ていたが、そういうことも起こらない。「ロータリー式交差点なら、こういうことは起こらない」と思ったことだ。
 アメリカではロータリーと呼ばず「サークル」と呼んでいた。
 たしかワシントンDCには「デュポン・サークル」というロータリーがあった。住んでいたベテスダというところから大通りを南西に下って行くと、やがてワシントン市内でこの大きなサークルに突き当たった。道が10本くらいに分かれる大型サークルで、まっすぐ進むと鉄道のユニオン駅、南に折れるとホワイトハウスやリンカーン・メモリアルの方に行った。しかしグルッと回っているうちに方角がわからなくなって、よく迷った。
 ワシントン市内には大小10箇所くらいサークルがあったが、大きく立派で名前がついていて、一番有名なのはこのデュポン・サークルだろう。
 ある時、ワシントンポストの日曜版に、このサークルについての記事が載った。そこは「文化欄」で、その前に「ゴンドワナ大陸と大陸移動」についての科学的解説記事が載ったことのある面だった。読んでみると、デュポン・サークルの地下には秘密の建物があり、著者は偶然そこに住む男と知り合いになり、中を案内してもらった、とそういう話が書いてあり驚いた。大変なスクープ記事だと思った。
 翌日、研究室の仲間とのランチタイムにその話をしたら笑われた。「あれはフィクションだ」というのである。「どうしてそういえるのか」と聞くと、笑いながら「読めば分かる」と答えが返ってくる。
 要するにこちらの英語力が不足で、言葉の言外の意味が理解できていないから、文章を全部まじめに受け取ってしまう。要するにジョークがわからないのだ。そういう失敗は、留学したことのある人なら誰でも経験があるだろう。
 今は「ラウンドアバウト」というらしい「ロータリー交差点」復活の記事を読みながら、40年以上前の「デュポン・サークル」にからむエピソードを思い出した。
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