日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

この季節の楽しみ 2014(8)

2014-06-23 23:41:59 | 野球
開幕までの数日で全49大会の見所をさらうつもりが、結果としてはとんだ見立て違いでした。丸一週間を費やしてようやく東京に到達です。

北関東までの各県では、強豪校を挙げるとしても一つか二つがせいぜいでした。その点東京ならば枚挙に暇がありません。しかし、改めて通算戦績を調べると、選手権の出場回数では早実、日大三、帝京の三校が二桁で、他校に比べ頭一つ抜け出ており、優勝経験があるのもこの三校と桜美林に限られます。関東一、修徳、創価、堀越などの名だたる強豪も、夏に限ればたかが5回の出場なのです。三強とそれに続く集団の間には、いわば横綱と大関の関係に似た格の違いがあるようです。
しかし、番付上の違いはあるとしても、今日の相撲界ほど歴然とした実力差が生じているわけではありません。たとえていうなら、千代の富士が独走を始める前の、昭和50年代後半のようなものとでもいえばよいでしょうか。北の湖が去る一方で隆の里が好敵手として立ちはだかり、これに琴風、若嶋津、朝潮、北天佑といった大関陣が加わって、終盤のつぶし合いで展開が二転三転した時代です。「終わってみれば千代の富士」となりやすいところもよく似ていますorz

★東東京
東と西に分かれる東京の地方大会ですが、何分都会だけに個性は乏しく、趣味的見地からは北海道の北と南ほどの違いを感じません。しかし、東と西で一つだけ明確に違う点があります。東日本では北海道の利尻、奥尻、新潟の佐渡と並ぶ数少ない離島勢の存在です。新島が三年前の夏を最後に姿を消し、三宅も四校連合の一角に組み入れられるなど、少子化の影響が否応なしに押し寄せる中、今年も大島、大島海洋国際、八丈と三校の離島勢が単独での出場にこぎ着けました。練習相手を探すにも一苦労という環境はいかんともしがたく、いずれは儚く散る運命の離島勢ではありますが、大島は八年前に8強、三年前にも16強に入り、八丈は五年前に16強入りするなど、知られざる実力校でもあります。今季は何回紙面に登場するか注目です。

変わり種の職業高校が多いのは都市部の特徴であり、その一つとして東東京には昭和鉄道があります。その名の通り鉄道員の養成を目的にした、きわめて貴重な職業高校がここで、我が国において同校と双璧をなすのが、同じく東東京の岩倉です。その岩倉は、全盛期のPL学園を倒して選抜を制した経験を持ち、なおかつそれが最初で最後の選抜出場という「選抜無敗」の記録を持つ八校のうちの一つでもあります。
昭和鉄道と岩倉の両校がいかにも都会らしい職業高校だとすれば、意表を突くのが都農産です。このほか西東京にも都農業と瑞穂農芸があります。青森でさえ四校だった農業高校が、就農人口全国最小の東京に三校あるという意外性が秀逸です。
東東京の職業校でもう一つ注目するのが、大阪、神戸を含め全国に3校しかない公立高専の一つ、産業技術高専です。このチームで思い出すのは、初戦でいきなり帝京にぶつかり、ものの見事に粉砕された三年前のことです。震災のあおりを食って春の都大会が中止され、シード校を選べなかったために実現した、強豪校と無名校の対戦でした。この一戦は仕方がないとしても、変わり種の職業校は弱いという経験則はこのチームにも当てはまり、統廃合で現在の校名となって以来、選手権は八年連続の初戦敗退となっています。悲願の初勝利を挙げられるかどうかに注目しましょう。

★西東京
西東京の注目校といえば、何といっても日野でしょう。都立の星として五年前に4強、一昨年は8強に進出。昨年は決勝にまで残ったものの、西の横綱日大三高の前に惜しくも屈したという悲運のチームです。しかし、遠軽などに比べてあまりに注目されすぎるため、天の邪鬼としてはかえって敬遠したくなります。代わって純然たる趣味的見地から取り上げるのが八王子桑志です。
東京の出場校を眺めていると、東に三商、西に四商、五商と数字を振った商業高校が目を惹きます。三、四、五だけがあって一と二がないのは、一商には野球部がなく、二商は統廃合で姿を消したからです。そして、その二商の流れを汲むのが八王子桑志なのです。軽薄な名称がまかり通る現代にあって、繊維産業で栄え「桑都」と呼ばれた八王子にちなんだ校名は、先日紹介した大子清流などと同様、新設校の名称として出色ではないでしょうか。

神奈川
言わずと知れた最激戦区の神奈川ですが、激戦ぶりは出場校の多さだけに由来するものではありません。過去の出場校を振り返っても、多士済々の顔ぶれは戦国時代の様相を呈しています。
代表校が目まぐるしく入れ替わってきた埼玉の球史と違い、神奈川の高校野球界には一時代を築いたチームがいくつか登場しました。しかしそのどれもが長期政権を確立するには至らず、十年弱で入れ替わりを繰り返してきたという歴史があります。まず、戦前に出場した六回をそれぞれ二回ずつで分け合ったのが、Y校こと横浜商、神奈川商工に浅野の三校でした。昭和24年には初出場の湘南が神奈川県勢初の全国制覇を果たし、なおかつそれが同校最後の選手権となって、史上3校しかない「選手権無敗」の記録を保持するに至ります。
神奈川の高校野球界で最初に一時代を築いたのは、「二高の中の二高」こと法政二です。昭和27年に初出場を果たして以来、十年間で五連覇を含む七度にわたり代表権を獲得し、全国制覇、準優勝と4強がそれぞれ一度という戦績は、まさに一世を風靡するものでした。しかし泰平の世は長く続かず、五連覇を達成した翌年から、同校は20年以上に及ぶ長い低迷期に入ります。それと入れ替わるように、東京五輪の年からは武相が五年で四度の出場を果たすも、やはりその後は鳴かず飛ばず。翌年からは東海大相模の時代が始まり、九年間で七度の選手権出場と、これまた独壇場を築きました。
法政二、武相に東海大相模と、一強が我が世の春を謳歌してきた神奈川の高校野球界でしたが、翌年からは二強時代が始まります。49代表が定着した昭和53年に、横浜が15年ぶり二度目の出場を果たせば、翌年には横浜商が実に46年ぶりの選手権出場という復活劇を演じ、数年後にはそれぞれ全国制覇と準優勝を成し遂げるなど、平成初頭までの神奈川は両校の二頭政治でした。しかし古豪復活も束の間、横浜商は次第に勢いを失い、代わって台頭してきたのが文武別道のマンモス校桐蔭学園でした。その桐蔭学園も今世紀には失速し、代わって一文字違いの桐光学園が台頭。横浜と桐光学園を軸にしつつ、新興の横浜隼人、古豪の慶應に東海大相模といった勢力が入り乱れ、連覇が一度もない戦国時代に入って現在に至ります。
このように、いくつかのチームが一時代を築きながら、いずれも数年で新興勢力に取って代わられるところは、中国の五代十国時代のようでもありますが、横浜商に慶應など古豪の復活も加わり、まさに「事実は小説よりも奇なり」です。数多の強豪校が作ってきた神奈川の高校野球の歴史には、全国屈指の見応えがあります。

もっとも、自身の関心は強豪校の栄枯盛衰の「歴史」であり、どこがこの戦国時代を制するかについては、それほどの興味がありません。自らの趣味的観点から神奈川の高校野球を語るにあたっては、例によって伝統校に着目します。
今やこのblogの定番となりつつある伝統校ネタも、繰り返すうちにある程度傾向がつかめてきました。大抵の県では県庁所在地に最古の旧制中学があり、それが県下屈指の進学校でもあるということで、これまで紹介した中では札幌南、盛岡一、仙台一、水戸一、前橋、浦和などがそうでした。それでは、神奈川でこれに相当するのがどこなのか、ご存知の方はいらっしゃるでしょうか。答えは横浜翠嵐でもなければ湘南でもありません。希望ヶ丘こそ、明治30年に創立された旧制横浜一中の流れを汲む県内最古参なのです。空襲で焼け出されて郊外に移転したとき、相鉄が造成した新興住宅街にちなんで改称されたという来歴があるそうで、校地を寄進した相鉄への配慮があったのかもしれません。
昭和26年に一度とはいえ選手権にも出場し、歴代五校目の代表校となった実績もあります。今でこそ陳腐に思える新興住宅街の名も、当時は斬新に映ったのでしょうか。字面からして郊外の新設校に思えるこの高校が、実は県内屈指の伝統校の一つだったという意外性は、このblogの題材としてはまさにおあつらえ向きです。
ちなみに「一つ」というのは、これにも勝る伝統校が神奈川にはあるからです。過去にも何度か取り上げた小田原がそれです。希望ヶ丘が開校した三年後に藩校を改組したのが旧制中学としての起源であり、以後それぞれ一中、二中と称されます。厚木と横須賀が三中、四中で続き、次いで登場したのが後に横浜翠嵐となる第二横浜中です。前出の湘南はそれらに次ぐ県下六校目の旧制中学でした。

関東地方を縦断して14都道県の16大会をさらい、ようやく全体の三分の一弱が終わりました。一区切りついたところで気分転換を兼ね、明日は実際の試合結果を振り返ってみようかと思っています。積み残しは33府県、まだまだ先は長そうです…
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