日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

この季節の楽しみ 2014(4)

2014-06-19 23:56:38 | 野球
東北を縦断するつもりが北東北で終わってしまった極私的全国大会展望、本日は南東北に入ります。

宮城
高校野球を語るとき、「筋書きのないドラマ」などという陳腐な台詞を持ち出すのは好みません。しかし、あまりに筋書き通りというのも考えものです。この点、東北、仙台育英の双璧が代表の座を分け合う宮城は、天理と智辯が君臨する奈良と双璧をなす、最も興ざめする地方大会といえるでしょう。
一県一代表以上となった第60回以降で数えると、奈良は昨年までの36回中33回を双璧が占めており、両校が昨年決勝どころか4強にすら残れないという珍事が起きたときには、大いに話題となったものでした。これには及ばないにしても、宮城はで36回中31回が筋書き通りの展開です。仙台一を始めとする伝統校が勝ち上がっても、いずれはこれらの餌食になる運命と思えば、興ざめするのも致し方のないところではあります。
しかし、戦前にわずか4度の出場経験しかない宮城県勢も、今季三勝すれば東北勢として唯一の勝率5割に到達します。そして、通算60勝の九割がこの二強によるものです。昭和30年代前半に東北が、後半に仙台育英が台頭して以来、東北の高校野球界を半世紀以上にわたり牽引してきたのが両校だったわけです。今や東北どころか全国屈指の強豪に数えられる他県の私立勢も、全国大会の常連校となったのはせいぜいこの十数年に過ぎません。むしろここでは見方を変え、長きにわたり全国レベルで戦い続けてきた両校に敬意を表すべきなのかもしれません。

このように、勝敗を追い始めると宮城の高校野球はつまらなくなります。そこで全く別の視点から捉えるならば、宮城の注目校として筆頭に挙げたいのが仙台高専広瀬です。そもそも、高校野球に高専が出場するということを、どれだけの人々が理解しているのでしょうか。しかもこの仙台高専広瀬はただの高専ではありません。全国に3校だけ存在した「電波高専」の後身なのです。このような変わり種を追いかけるのも、地方大会ならではの楽しみといえます。変わり種であればあるほど、高校野球界では無名なのが常であり、同校も現在の名称に変わって以来、選手権は四年連続初戦敗退という戦績に終わっています。悲願の初勝利を挙げることができるかに注目です。
ちなみに、「広瀬」とつくのは他にも仙台高専があるからで、もう一つは「仙台高専名取」です。五年前、高専の再編により電波高専と工業高専が統合された際、従来の仙台電波高専が「仙台高専広瀬」、宮城高専が「仙台高専名取」と名を変えて現在に至ります。統合したといいながら、校舎はもとより部活も別々、しかも名取が臆面もなく「仙台」を称するのはいただけませんが、ともかく校名こそ変われ、これにより電波高専の系譜が今なお受け継がれているわけです。
仙台高専名取の例に限らず、高専という教育機関の多くは、県下第二、第三の知る人ぞ知る、言い換えると県外人はまず知らない中規模以下の都市に多く分布しています。東北ならば、名取に加え一関、鶴岡などがその部類に属するといってよいでしょう。八戸、秋田、いわきなど、一定規模の街にあるのはむしろ例外で、西日本へ行けば行くほど「大都市に高専なし」の経験則が当てはまってきます。今後の展開に応じ、それらについても適宜紹介していく予定です。

山形
これまで取り上げてきた東北北海道の伝統校も、この名門の前ではさすがに色褪せてしまいます。岩手の真打ちが盛岡一なら、山形でこれに相当するのは何といっても米沢興譲館です。藩校の流れを汲む伝統校が、山形に南下したところで初登場となりました。
藩校という出自からすると、この手の伝統校が西日本に偏るのは致し方のないところではありますが、会津と並ぶ東北の双璧といえるのが米沢興譲館です。五年前の8強を除けば例年一勝か二勝するのがせいぜいの、高校野球界では無名の存在ながら、実はホークス一筋に通算222勝を挙げた皆川の出身校でもあります。大選手を生んだ藩校出自の伝統校といえば、有名なのは巨人軍終身名誉監督の御出身校である佐倉ですが、両校は全国大会の出場経験を持たないという点でも共通しています。プロの出身校といえば、誰もが知る強豪校が大半だけに、大選手を生んだ無名校というのは印象に残りやすく、このblogでも「鳶が鷹を生んだ」と題して何度となく取り上げてきました。もちろんそれらも展開に応じて適宜紹介していきます。

近年の山形といえば、もちろん酒田南と日大山形の二強時代です。一定以上の年代ならば、「東海大山形」の名を思い出す人も多いのではないでしょうか。そうです、桑田と清原を擁する全盛期のPL学園に、29対7の大差で敗れたことで今なお語り継がれる、ある意味気の毒なチームがここです。しかし、甲子園の常連校のように思っていたこのチームも、甲子園は十年前の選抜が最後、選手権に至っては18年も遠ざかっています。
改めて過去の記録を繙くと、東海大山形が甲子園の常連だったのは、昭和50年代後半からの十年弱だったことが分かります。すなわち、初出場した昭和57年以降の八年間は、過半の五回を同校、残る三回を日大山形が占めました。しかしこの二強時代も長くは続きません。平成最初の選手権で五回目の出場を果たして以降、東海大山形は一時の勢いを失い、その後の甲子園出場は選手権と選抜各一回のみに終わります。入れ替わるように台頭してきたのが、平成9年に初出場を果たした酒田南でした。以後17回中10回をここが、4回を日大山形が占め、それまでとは違った形の二強時代に移行して今日に至るわけです。
このような栄枯盛衰から思うのは、二大政党が競ってきた英米の政治史です。不動の二強が君臨する宮城の高校野球界を米国の二大政党制にたとえるなら、山形の高校野球界は、保守党、自由党の時代から保守党、労働党の時代へと移り変わった英国の政治史そのものといってよいでしょう。強豪校には本来無関心ながら、王朝の興亡を見るかのような強豪校の移り変わりの歴史を追うのは楽しいものです。

ところで、夏の高校野球でしばしば話題となるのが、勝利数、勝率などに関する県別の通算成績です。近年躍進めざましい東北勢とはいえ、過去の戦績を積み上げられると、西高東低の傾向が顕著に表れてきます。中でも山形は、昨季の終了時点において全47都道府県中勝率、勝利数とも最下位です。しかし、20勝53敗で勝率.274の戦績が、23勝54敗、勝率.299の富山に比べて決定的に劣っているわけではなく、一夏で取り返せない差ではありません。仮に富山が初戦敗退すれば、3勝で勝利数は同点、勝率では逆転できることを考えると、8強、4強まで進出すれば、この不名誉な記録を返上することができるかもしれません。昨年の戦績は過去最高の4強、今や不可能な芸当ではないでしょう。健闘を祈ります…

福島
自身最も多く旅した東北の中で、とりわけなじみの深い土地といえば、何といっても会津のある福島です。しかし、同じくなじみの深い信州などと違い、福島の高校野球にさほどの思い入れはありません。自身にとって福島の高校野球とは、藩校ゆかりの伝統校である会津の戦いぶりを追いかけることにほぼ集約され、あとはせいぜい勿来と勿来工の二校に注目する程度でしょうか。
しいて他の注目校を挙げるとすれば、やや月並みながら磐城でしょう。戦前の選手権出場はわずかに二回という野球空白県だった福島において、最初に出現した有力校が、旧制中学出自の伝統校でもある磐城でした。昭和38年の選手権に初出場して福島県勢初勝利を挙げ、八年後には東北勢として史上三度目、戦後二度目の決勝進出を果たすなど、春夏合わせて九度にわたる甲子園での戦績は、勝利数、出場回数といった数字の面では聖光学院に及びません。しかし、ジャッキー・ロビンソンが黒人大リーガーとして、野茂が日本人大リーガーとして道を切り開いたのと同様、福島の高校野球界を切り開いたこのチームには、永遠不朽の功績があるといっても過言ではないでしょう。

東北地方を二日で縦断、明日は白河の関を越えて関東に入ります。おやすみなさいzzz


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