第一号店である成増店の開業から41年を迎えた今日は、知る人ぞ知る「モスの日」でした。かくも記念すべき一日ではありますが、残念ながら本日はかなり否定的なことを述べなければなりません。というのも、MOSの品質低下がとうとう許容しがたいところまで来たという感があるからです。
高級路線のモデル店舗として導入されたはずの緑モスが、どこで道を誤ったか真逆の方向へ走り出し、今や完全に有名無実化している現実については、このblogで何度となく嘆いてきたことでした。特に二、三年前、欠陥住宅も顔負けというほど安普請の店舗が横行するとともに、「ファクトリー」と称する店舗でフードコートへの安易な出店が繰り返された時期には、MOSもいよいよここまでかと強い懸念を抱いたものでした。目下自分が危惧しているのは、小康状態にあった品質低下の傾向が、ここへ来て再び顕著になりつつあることです。
とりわけ深刻なのは、最近開業する店舗の半数あるいはそれ以上がフードコートであり、なおかつそれが臆面もなく「モスバーガー」を名乗っていることです。以前は「ファクトリー」の名称をもって区別し、真打ちのモスバーガーとはあくまで別の業態であることを明確に示すことで、最低限の良心が存在していたのに対して、最近の厚顔無恥な出店攻勢は目に余るものがあります。開店を間近に控えた栄えある店舗番号5000号も、「ららぽーと柏の葉店」などという名前からして軽薄なフードコート店舗だというのですから、もはや憤りを通り越して哀れみを禁じ得ません。判で押したように無個性なフードコートがはびこる現実を目の当たりにすると、日本もここまで貧しくなったかという気がしてならないからです。
以前、先人の言葉を借りて「マクドナルドは腹を満たす場所、モスバーガーは心を満たす場所」と申したことがありました。実際のところ、自分にとってMOSの真価とは店の造りを中心にした居心地のよさにあり、このblogで語ってきたことどもの大半もそれに関わるものです。それだけに、居住性を度外視して他店と同じフードコートに展開するという行為は、自殺行為以外の何物でもないと考えています。悪しき先例として何度も引き合いに出してきたのが、店舗のコストダウンに走ってつまらない店に変わり果ててしまったミスドです。MOSも同じ道をたどるとすれば、今度こそ訣別の時がやってきたのかもしれません。
結局のところ、MOSの全盛期はせいぜい平成一桁で終わっており、その後はMcに押されたりミスドの二の轍を踏んだりで落ちる一方というのが、二十年来モスヲタを続けた者としての実感です。「失われた十年」がいつしか二十年に変わり、やがては四半世紀を迎えようとする今、価格より品質を追い求めるMOSの原点は、少なくとも一般大衆に受け入れられるものではなくなったということなのでしょう。MOSはこのまま懐古趣味の世界に埋没してしまうのでしょうか?
高級路線のモデル店舗として導入されたはずの緑モスが、どこで道を誤ったか真逆の方向へ走り出し、今や完全に有名無実化している現実については、このblogで何度となく嘆いてきたことでした。特に二、三年前、欠陥住宅も顔負けというほど安普請の店舗が横行するとともに、「ファクトリー」と称する店舗でフードコートへの安易な出店が繰り返された時期には、MOSもいよいよここまでかと強い懸念を抱いたものでした。目下自分が危惧しているのは、小康状態にあった品質低下の傾向が、ここへ来て再び顕著になりつつあることです。
とりわけ深刻なのは、最近開業する店舗の半数あるいはそれ以上がフードコートであり、なおかつそれが臆面もなく「モスバーガー」を名乗っていることです。以前は「ファクトリー」の名称をもって区別し、真打ちのモスバーガーとはあくまで別の業態であることを明確に示すことで、最低限の良心が存在していたのに対して、最近の厚顔無恥な出店攻勢は目に余るものがあります。開店を間近に控えた栄えある店舗番号5000号も、「ららぽーと柏の葉店」などという名前からして軽薄なフードコート店舗だというのですから、もはや憤りを通り越して哀れみを禁じ得ません。判で押したように無個性なフードコートがはびこる現実を目の当たりにすると、日本もここまで貧しくなったかという気がしてならないからです。
以前、先人の言葉を借りて「マクドナルドは腹を満たす場所、モスバーガーは心を満たす場所」と申したことがありました。実際のところ、自分にとってMOSの真価とは店の造りを中心にした居心地のよさにあり、このblogで語ってきたことどもの大半もそれに関わるものです。それだけに、居住性を度外視して他店と同じフードコートに展開するという行為は、自殺行為以外の何物でもないと考えています。悪しき先例として何度も引き合いに出してきたのが、店舗のコストダウンに走ってつまらない店に変わり果ててしまったミスドです。MOSも同じ道をたどるとすれば、今度こそ訣別の時がやってきたのかもしれません。
結局のところ、MOSの全盛期はせいぜい平成一桁で終わっており、その後はMcに押されたりミスドの二の轍を踏んだりで落ちる一方というのが、二十年来モスヲタを続けた者としての実感です。「失われた十年」がいつしか二十年に変わり、やがては四半世紀を迎えようとする今、価格より品質を追い求めるMOSの原点は、少なくとも一般大衆に受け入れられるものではなくなったということなのでしょう。MOSはこのまま懐古趣味の世界に埋没してしまうのでしょうか?