沼田市周辺の廃校巡り。
続いては3つの分校を持っていた川田小学校の分校跡を続けて訪れます。
古い地形図とグーグルの写真を見比べると3校とも当時の校舎が残っている可能性があります。
しかし、河岸段丘の町は地図上ではわずかな距離で並行して走る道路が、
実際にははるか崖の下なんてことがざら。
意外に目的の場所まで時間がかかりますね。
坂も多いので自転車に乗る人は少なそうです。
沼田女子高の生徒が作ったイラストマップにも「自転車屋殺しの町」などと物騒な感じで紹介されていました。
川田小学校 上川田分校は明治41年上川田分教場として創立。
昭和47年3月に本校に統合されています。
現在は上川田住民センターとして転用されていますが、
一部は分校時代の建物をそのまま使用しているようです。
分校時代の雰囲気は残るがだいぶ手が加えられているようだ。
かなり土に埋まってしまったローラー
時間の流れを感じる
遊具類も残るが当時のものかは不明
ここにも立派な松の木が残る。
手入れはされているようだ
門柱らしき石柱が打ち捨てれれていた
校舎の後ろには土壁の小屋が残る。分校時代のものだろう。
閉校して間もない1975年の航空写真でも確認できる。
続いては3つの分校を持っていた川田小学校の分校跡を続けて訪れます。
古い地形図とグーグルの写真を見比べると3校とも当時の校舎が残っている可能性があります。
しかし、河岸段丘の町は地図上ではわずかな距離で並行して走る道路が、
実際にははるか崖の下なんてことがざら。
意外に目的の場所まで時間がかかりますね。
坂も多いので自転車に乗る人は少なそうです。
沼田女子高の生徒が作ったイラストマップにも「自転車屋殺しの町」などと物騒な感じで紹介されていました。
川田小学校 上川田分校は明治41年上川田分教場として創立。
昭和47年3月に本校に統合されています。
現在は上川田住民センターとして転用されていますが、
一部は分校時代の建物をそのまま使用しているようです。
分校時代の雰囲気は残るがだいぶ手が加えられているようだ。
かなり土に埋まってしまったローラー
時間の流れを感じる
遊具類も残るが当時のものかは不明
ここにも立派な松の木が残る。
手入れはされているようだ
門柱らしき石柱が打ち捨てれれていた
校舎の後ろには土壁の小屋が残る。分校時代のものだろう。
閉校して間もない1975年の航空写真でも確認できる。