夢じゃなかった・・・

2009-06-25 | 介護日記

大谷の海岸に座っている。満ち潮だ。
波しぶきが顔にかかってきた。

昨夜はやはり眠れなかった。
母の人生の最期の場所を私が決めてしまっていることの重さ。

S病院で手続きの説明を受け書類を受け取る。
この選択を母が喜んでくれることを信じたい。


雨のち晴れ時々曇り

2009-06-25 | 介護日記

朝起きたらどしゃ降りの雨。
傘がない。
棚にゴミ袋があるのを見つけた。
駐車場までこれ被って走るしかない。
ドアを開けてふと玄関脇を見たら伯母の物だったらしい傘が立て掛けてあった。もう6、7年は使ってなかったろうに上品な紫色が少しも褪せていない。
ありがたく貸して貰う。
アタシってラッキー!

母の拗ねた物言いに傷ついて、ついひどい言葉で言い返してしまった。
昨日からポータブルトイレを使う練習を始めた。
ベッドの上で体位を直す時に励ますつもりの私の物言いが誤解を招いたのだろう。
「私がソラ使ってるって思ってるんでしょ!」
「えっ?何の話し?」
「ソラ使って病人ヅラしてやれることもやらないと思ってるんだ!」

一昨日から気力が萎えてきていた私の心の糸がまた一本切れた。
涙がポロポロ止まらない。母に思いっきり言い返し、オシッコで重くなったバスタオルやパジャマを持って病室を飛び出す。

家で洗濯機を回してから、台所にいる父にはドア越しに「買い物に行ってくる」と声をかけ車に戻る。
運転席に座るとまだ涙がポロポロ出てくる。
母に優しく出来ない自分が情けない。こんな状態で退院した母を父の居るこの家で看てやれるのか!?
無理だ、ムリだ、もう出来ないよォ!誰か助けてくれェ!

その時携帯が鳴った。
「S病院のAです。
お母様ですが来週受け入れ出来ることになりました」耳を疑った!
「本当ですか?
もう一度御願いします。
来週っておっしゃいました?本当に?」
ありがとうございます、と言いながら号泣してしまった。
いかん!今思い出しても涙が出てくる。

嬉しい、とは違う。
ホッとした、これはホント。
でもそれだけじゃない。
何だろう、この複雑な思い。
病気の親を介護するのに何が一番大切か、毎日毎日悩んだ。
正解はない、多分それが結論。
母が安心して「生きて」いける場所を探す。
S病院がどうぞその場所でありますように。
明日(今日だ)10時に説明を受けに行く。

寝なくちゃ…眠れるかな…


味覚と父と携帯と私

2009-06-23 | 介護日記

隣室の叔父は頭を打って味覚の神経が壊れた。もう治らないとドクターが言った。例えるなら風邪をひいて鼻がつまったまま食べてる感じらしい。

今朝も父は壊れていた…
服薬管理どころか食事の管理も出来なくなってきた。毎朝、父の部屋の鍵を開けるとき中で倒れてやしないかと一瞬緊張する。

私の心も壊れかけているので、そんな父の傍で過ごしてやることも出来ずこうして一人伯母の住んでいた離れに帰って風の音を聞いている。

昼頃からたびたび携帯の画面が真っ黒になってしまう。そう言えば今日の通話中のノイズもいつもと違った。
データが消えない内に、とDoCoMoSHOPに走る。
マイクロSDにデータを移して貰い、私の可愛いは修理に出して今、代替えのタイプの古い携帯で書いてる。
あああ、みんな壊れちゃって…


シャレにならない

2009-06-22 | 介護日記

退院話しで母にも父にも笑顔が戻った!
なんてうまい話しはやはり無かった…
認知症をあまくみてました…
翌日の父はその日の天候のようにドヨ~ンと暗く、シャレにならないからとても日記には書けないような行動をしてくれるし、母は私が戻ったらすっかり安心しきって自分のアタマを使うことを停止した。
幸せな気分は半日しか持たなかったのだ。

今日は今日で、父からいきなり「問題は、僕を起こしもしないで勝手に救急車を呼んだ事だ」と父の診察に付き添っていった病院の待合室でなじられビックリ!
2時間近く待たされ不機嫌の極みだったとは言え、何故3週間後の今日そんな事言われなきゃならないのか、さっぱりわからない。
揺り動かしても、電気を点けても、耳許で叫んでも、救急隊員が動き回っても起きなかったアンタが何をぬかす!と返したいがそれは我慢して「おばあちゃんに呼んでと頼まれたからでしょ。」と答えれば「他人のせいにするな」と一言。

認知症なら何を言ってもいいのか!?
思わず怒鳴りたくなる。
今日に限らず父の妄言は必ず私を責めてくるから心が傷つく。
言った本人は忘れても、言われた私の胸の内には澱になって溜まっていく。

どうせ呆けるならおばあちゃんみたいに面白い呆け方してよ!

コレってアルツハイマー型の認知症だから?


大変だ!退院だ!

2009-06-21 | 介護日記

35㎏の母、朝昼晩3食すべて『完食!!』が評判になっているようだ。
当然体力もついて、とうとう退院出来ます、と申し渡された。

ドクターからは家で看るのは無理でしょう、と療養型病院への転院を勧められたものの市内7ヶ所の療養型病院のうち人工呼吸器を受け入れてくれるところは2ヶ所。
最初に見学した所が「ここなら!」と思える病院だったもののそこは通常2、3ヶ月待ちだと言う。

入院するまで(人の手を借りてだが)自分の足でトイレに立っていた母だが、ベッドの上で3週間安静にさせられた今、家に帰ったらどうなるのだろう。
カテーテルを外し、車椅子から始めて、せめてポータブルトイレに座れるようになってから退院、と言うなら話しは分かるが…。

…ここは急性期医療の病院です。命を助けましたからもう出ていってください…と言うことでしょうかね。
でも母はとても嬉しそう。顔つきも声の調子もすっかり元の母だ。
そんな母の様子をみて父もすっかり落ち着いた。穏やかでシャンとしている。
そして、実は私も少し嬉しい。兎に角、二人の希望を叶えてあげられる。

子供がみてやらないと老夫婦が生活出来ない、なんて絶対おかしい。
それでは何の為の介護保険制度だ、とこの2ヶ月で思う様になった。
それじゃあ独身者は?子供の居ない人は?どうなる!?
とは言え、この先のことを考えると正直怖い。
でもヘルパーさんや訪看さんの助けを借りて、ショートステイも使ってやれるだけやってみよう。
力尽きる頃にはS病院に入れる順番が回ってくるだろう。

朝日新聞17日付の辺見庸氏「犬と日常と絞首刑」の切り抜きを母に見せたら食い入るように読んでいた。
これなら大丈夫と思い、用意してきた「終末期要望書」を見せたら、頷きながら読んで「いいね」と言う。「これがあれば私が居ないときに救急車で運ばれても望む治療を受けられると思う」と説明した。母が一番嫌だと言っている挿管のことも書き加えておく方がいいかもしれない。
間に合った。