那覇空港

2009-05-30 | 日記
仕事は無事に終った。
豚肉たっぷりの沖縄料理で、介護でやつれた分を全部取り戻せてしまったぜ!
宿が国際通りの近くだったので、土産物屋でエイサーしてるシーサーとサンシン弾いてるシーサーを見つけ買ってみた。

「沖縄」にこういう形で来るとは思っていなかった。
60年代後半~70年代には「沖縄を返せ」とシュプレヒコールを叫びながらデモしてたな。
娘の名前も「沖縄」に因んでつけたし。
空港からのモノレールの愛称が「ゆいレール」
講師の所属先がNPO「結の里」
通りを歩くと「結まーる」の看板。

夫と「いつか沁々沖縄旅行に行こうね」と言っていたのになあ…。
一人で空港から海眺めてる。

家でもやっぱりおさんどん

2009-05-28 | 台所から…マトリョーシカ今日何食べた?
「おさんどん」って誰だ!?
生活クラブから毎週届く食材を、夫一人じゃ食べきれず、いろんな物が期限切れかけで余ってた!
傷み始めた林檎でジャムを作り、卵1パックでだし巻き玉子を焼き、坊っちゃんカボチャは蒸してとりあえず冷凍庫に。
帰ってきてから2日たったけど、思うようには用事がはかどらず明日の朝には沖縄へ出発だ。
今日一晩で仕事アタマに切り替えなくっちゃ!だわ

真夜中の東名は

2009-05-27 | 介護日記

前も後ろも横も斜めもトラック!トラック!トラック!
さっき足柄SAのお風呂で会った、腰から背中へ見事な昇り龍の倶利伽羅紋々を入れたオネエサンもトラックのドライバーだな、きっと。
などと勝手に想像して楽しんでる。
いつもは一気に走って帰る東名を今日はユックリユックリ休み休み(途中休憩室で爆睡したりして)走っている。
夕方、ショートステイ先のホームで美味しそうな夕食とイケメン介護士にすっかり気を良くした母と別れて来た。
人工呼吸器をつけた母を受け入れてくれる施設はなかなか無く、思いきって豪華有料老人ホームのショートステイを申し込んだ。
運良く「介護保険枠」とやらのキャンセルがあったと連絡があり、覚悟していた1/3の費用で済むことがわかって一安心。
送迎付きで母の使っているエアマットから枕、人工呼吸器そっくり車に乗っけて、着くやいなやナース、ケアマネ、ヘルパー、調理師までが寄ってたかって「ああだこうだ」と世話をやいてくれる。
とこかの雑誌のランキングで県下一位だったそうなのが頷ける。
それでも母をひとりぼっちで残してくるのは切ないが、気力体力も限界。私の生活も守りたい。
この複雑な思い…


父も危ない

2009-05-24 | 介護日記

物忘れの凄まじさと耳の遠さで毎日毎日、同じことを何度も何度も…、しかも大きい声で言わなくてはならない。
睡眠不足の身には堪える。
その上父の声のデカさ!
さっきも母を静かに寝かしつけていたら、隣の部屋から「靴下ドーシタ!!!!!」といきなりの怒声。
心臓が縮みあがる。

三年前母が心不全で倒れたのは父のこの怒声が原因だと私は確信している。

「イヤ、無いと思ってびっくりしたんだよ!」などと言い訳するから父は怒声のつもりじゃないらしいけど。
さて母が寝息をたて始めた。
真夜中に備え私も寝よう。後1日経てば家に帰れる。


真夜中に爪を切る

2009-05-23 | 介護日記

「天安門の赤い旗」事件以来、真夜中になると数10分置きに母が騒ぎ出す。
元々、夜更かし大好き人間だけど流石にきつい。
で今日は母の寝る時間に合わせ21:30に就寝。
作戦成功!0:30まで3時間熟睡出来た。
午前2時ころから夜明けまで母の苦しい時間が始まる。

ニップのマスクを外す・マスクと顔の間に指を突っ込む→空気が漏れて凄い音がするから飛び起きる。
「クスリ!」「飲んだよ」「クスリ!」「飲みました」「クスリ!」「大丈夫、」と10分置き。
「ほどいて」「はい、ほどいてあげるからね」
「メガネ」「ここにあるよ」
「せっかく拾ったのに」「何を?」
こんなやりとりと2時間おきのトイレで朝が来る。

眠れぬ私は懐中電灯頼りに布団の上で爪を切る。