愛は体力      2007年09月27日23:52

2007-09-27 | 介護日記
って、チクロ育ちさんの台詞なんだけど、
ホントね。

先週の静岡駐車場乱闘事件以降、実家でやはり、というべきか
色んな問題が発生して眠れぬ夜が続いている。
そのせいか今夜芝居を観に行ったのはいいが、
これがエラク元気なお芝居で、舞台から押し寄せてくる
エネルギーを受け止めきれないのだ。
鼻血ブー耳血ブーになりそうになってギブアップバッド(下向き矢印)

おはおじさんへの愛も体力に負けた…。

でもおかげで今夜は眠れそう。
 
 
 
 
コメント
 
チクロ育ち 2007年09月28日 05:11
 
引用ありがとうございます。
語呂合わせではなく、つづきを↓

「恋は気力」

つまり、

「愛は体力、恋は気力」

ピンク色の貧乏   2007年09月26日00:52

2007-09-26 | 日記
私がちいさかった頃、
我が家は相当貧しかった、と思う。
母がなけなしの貯金をはたいて買った小さな家には
天井も壁もなく、朝目を覚ますと羽目板の節穴から
まっすぐな細い光の線が何本も私の布団に降り注いだ。
その布団も見事な破れ布団で、母は笑いながら
「うちのはフトンじゃなくて、トンだね。」なんていう始末だった。
そんなバラックみたいな家でミルクティーとベーコンエッグ、
フランスパンの朝食とってた。

テレビやレコードはなかったから、
父が我が家にあった唯一の楽器、マンドリンを抱えて歌を歌う。
イタリア語の歌、英語の歌、
いろいろ教えてくれたが残念な事にあの頃から音楽の趣味は合わなかった。

通信簿を持って帰った日にスケッチブックに私の肖像画を描いてくれたこともあった。
いい成績のご褒美だと言って。
その絵は今も私のもとにある。

夕方、月見草の花が咲くのを見に行こう、と誘われて
川原に出かけたことがあった。
「月見草は開く時ポンと音がするんだよ」なんて言われて
土手に二人で座り込んで花が開くのを見ていた。
勿論音などするはずもなく「嘘つき!」と父を見ると
いつもうるさいぐらい陽気な父が、黙り込んで花を見つめていたっけ。
いつの間にか土手の月見草の花はみんな開いたし、
辺りはもう薄暗く私は退屈で早く帰りたかったのだけれど。

あの頃の父はまだ30代だったのだな。

何かが少しずつ崩れていっている   2007年09月25日04:32

2007-09-25 | 介護日記
子どもが不幸なら親のせいだ。
でも親が不幸なのは子どものせいじゃない。

後悔しない人生を選ぶのは自分だけのためじゃない。

その人は「これからの女に必要なのは経済的自立よ」
と年若い私に説いた。
立派に自立した女として惚れた男の為に働き続けた。
血の繋がらぬその男の娘をも真実を伏せ愛情深く育て上げた。
そういう生き方を誇りを持って選んだのだと思っていたのに
今、年老いて彼女は疲れきり、幸せそうに見えない。

彼女は惚れた男を一生かけて「自立できない男」に育て上げてしまった。

“アイ”ッテナンナノサ
眠れぬ夜夜
こんな時のために免許とったのにな。
昔は車に乗って夜明けの海なんか見に行ったつーの。
私も充分歳とったー(長音記号1)

足柄S.Aにて   2007年09月19日20:04

2007-09-19 | 介護日記

駐車場で父Kinと掴み合いの喧嘩をした。
カッとしてステッキ振り上げたから押さえ込んだだけだけど。
最近苛つくと粗暴になって怖いと母が言ってたが、すぐ手をあげるのは昔からだから私にとってはこれくらい何でもない。
数分経って落ち着いたあと今度は反省したらしく落ち込んで、蕎麦屋で号泣されたのにはハゲシク参った。

父が泣くのを初めてみた。
実は昨日から溜っていた思いがあったようなのだ。

父は特攻隊の生き残り。
零戦に乗っていた。
出撃基地だった現在の北朝鮮元山の衛星写真が手に入ったから、と
やはり生き残りの戦友からその写真入りの手紙が届いたのが昨日。
母の話ではそれを見てから精神状態が不安定になっていたらしい。
「私達にはよくわからないけどね」、と母。
「そこから出撃して死んでいった仲間のこと思うと堪らなくなるんでしょ」
そう言えば喧嘩の原因は車をバックさせてる最中大声で喋るから
「うるさい!少し黙ってて!」と言ったのが発端だったのだが、
その時父が喋っていたのが飛行機乗りはこうだった、ああだった、ということだった。
「これは飛行機じゃないから!」という私にそんな甘いもんじゃなかったんだよ、などと言ってたな。

それに午前中病院の待合室で父と仲良く話していた88歳のご婦人の身の上話も全部戦争にまつわるものだった。
夫は早死に、男兄弟3人が戦死…フィリピンからの輸送船で富士山が見えるところまで帰ってきたのに撃沈された。
生き残ったのは将校みたいな偉い人ばっかりだ!きっといい場所にいたんだよ、
あたまに来るから靖国の慰霊祭にも行くの止めたんだ。
この話しを聞いていた父はどんな気持ちだったのだろう。
父もまた若き将校で、数少ない生き残りなのだから。
この1・2年父は特攻隊の頃の話をよくするようになった。
父はモノ書きとしてこの時代のことこそ書くべきだったのだ。
そう言うと寂しそうに辛くて乗り越えられなかったんだよ、と言っていた。
黄色に変色した紙に元の色もわからなくなった押し花が挟まっていたのをみつけた。
これ何?と訊いたら、零戦に乗り込むとき足許に咲いてた花をとっさにポケットにつっこんだんだ、と言っていたっけ。
ホントは臆病で繊細な人だったろうに…。

行って来ま~す    2007年09月18日22:46

2007-09-18 | 介護日記

 

明日は静岡だ車(セダン)ダッシュ(走り出す様)

私が行くのを知ったケアマネさんからfax toあり。
父K.の情緒不安定が最近ひどいらしい。
昔からトランキライザー手放せないような人だったから
老いのせいばかりとは言えないけど…
相変わらず昼夜逆転の生活をしているせいで
薬もうまく飲めていないとのことだ。

物書きで演出家で劇団主宰者だった父K.は人生の殆どを
昼夜逆転で過ごしてきた。
80半ばを過ぎて今更「健康的」な生活など出来もしないし、
やる気もないってことだ。
そのとばっちりを受けるのは母である。

今、長嶋茂雄氏の奥さんの急死のニュースが流れている。
「心不全」だそうだ。
気の毒に…。

赤塚不二夫氏の奥さんが急死したと知った時も
アア・・・・と胸が痛かった。

うちの母が去年倒れたのも「心不全」だった。
原因はいわずもがな、である。


最近私が早起きにこだわるようになったのは
この父の生活を見てるせいだ。
夜行性の老人は本当に不健康にみえるのだもの。

正直、10代から夜型生活を続けてきているから
直すのは大変だ。
DNAも色濃く受け継いでいるしなあ。

さ、明日は早いぞ富士山