12月9日の「歓喜の歌」大演奏会まであと20日ほどに迫ってきた。そして練習日は6日間だけとなった。今日は楽器演奏を担当する清水ウインドオーケストラとの合同練習となった。6時に夕食を食べてから会場の清水マリナートに出かけた。今までの練習は前半の一時間ほどは男性、女性がマリナートの別々の部屋で練習し、後半は合同で練習してきた。これは混声合唱、特に「歓喜の歌」をパーと毎に覚えるまではその方が効率的であることからそのようになった。そして今回からは今までの練習で覚えたことから、最初から合同で練習することになった。練習会場はあまり広いところでなかったが、300人近い男女が発声練習と、第一部で歌う曲を練習した。30分ほど練習してから大ホールに移った。
ここには清水ウインドオーケストラのメンバーが練習していた。この常任指揮者はUNN氏で、私が「歓喜の歌」大演奏会に参加するようになった6年前以前から指揮をしていた。全員が舞台に立ち本番さながらの混声合唱曲を歌った。最初は「わたしの街静岡」であったがこの曲は毎年オープニングに歌う曲であり、概ね暗譜している。その後「あすという日」「翼をください」を歌ったが、まだ覚えきれない曲であり、譜面を見ながら歌った。合唱用に編曲してあり、少し戸惑ったが、概ね歌えたかと思う。
そこで10分ほどの休憩となった。舞台上で休んでいると同じパートのMATさんが「来年10月にPAP合唱団の50周年コンサートを開くが、もしよかったら入ってくれないか」と誘われた。彼はPAP合唱団の団長をしていることは知っていたし、今までにも何度か話したことがあった。私は「誘っていただきありがたいが、母の介護があり、時間が取れない」ことを伝えた。以前私もD合唱団に入っていたが、前記理由から辞めた。そうした経緯もあり、入ることには慎重になっている。
休憩時間が過ぎて、また立って歌いだした。「21世紀に残したい”日本の叙情歌”」である。内容は「花」「この道」「夏の思い出」「浜辺の歌」「小さな秋見つけた」「荒城の月」「雪の降る町」「ふるさと」8曲であった。この曲は何度か歌った曲であり、極力暗譜で歌った。オーケストラと合わせるため何度か注意指導はあったが、今回第一部で歌う曲は概ね歌える曲である。今回初めて清水マリナート大ホールで声を出したが、音響効果もよく、歌いやすい会場であった。
ここには清水ウインドオーケストラのメンバーが練習していた。この常任指揮者はUNN氏で、私が「歓喜の歌」大演奏会に参加するようになった6年前以前から指揮をしていた。全員が舞台に立ち本番さながらの混声合唱曲を歌った。最初は「わたしの街静岡」であったがこの曲は毎年オープニングに歌う曲であり、概ね暗譜している。その後「あすという日」「翼をください」を歌ったが、まだ覚えきれない曲であり、譜面を見ながら歌った。合唱用に編曲してあり、少し戸惑ったが、概ね歌えたかと思う。
そこで10分ほどの休憩となった。舞台上で休んでいると同じパートのMATさんが「来年10月にPAP合唱団の50周年コンサートを開くが、もしよかったら入ってくれないか」と誘われた。彼はPAP合唱団の団長をしていることは知っていたし、今までにも何度か話したことがあった。私は「誘っていただきありがたいが、母の介護があり、時間が取れない」ことを伝えた。以前私もD合唱団に入っていたが、前記理由から辞めた。そうした経緯もあり、入ることには慎重になっている。
休憩時間が過ぎて、また立って歌いだした。「21世紀に残したい”日本の叙情歌”」である。内容は「花」「この道」「夏の思い出」「浜辺の歌」「小さな秋見つけた」「荒城の月」「雪の降る町」「ふるさと」8曲であった。この曲は何度か歌った曲であり、極力暗譜で歌った。オーケストラと合わせるため何度か注意指導はあったが、今回第一部で歌う曲は概ね歌える曲である。今回初めて清水マリナート大ホールで声を出したが、音響効果もよく、歌いやすい会場であった。