Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

先輩の葬儀に出席して

2012-11-06 23:49:22 | Weblog
 昨日藤枝のOB会支部長のMAさんから電話があり「OOさんが11月4日に亡くなって、今ご遺族のところに来てるが、遺族から貴方の名前が出たので連絡しました。葬儀は6日10時30分から藤枝の愛昇殿で行います」この様な話であった。奥さんとも話したが私のことを覚えていてくれた。OOさんは私の大先輩で年齢は88歳になっていた。静岡鉄道管理局時代は、同じ部に属していたが直接の上司となることはなかった。しかし仕事や生活態度についても厳しく指導してくれた。それに私が年齢30歳ぐらいのころ始めてゴルフを教えてくれたのもOOさんであった。

 OOさんが退職した後も、OB会やゴルフ等でも一緒になったが、昔の厳しさはなく、和らいで温厚な人となり見守ってくれていた。5年ほど前までゴルフは一緒に行っていたが、その後足が弱くなってゴルフは出来ないと言っていたことを人伝えに聞いた。しかし彼は体幹がしっかりした方で、キット元気にしているものと思っていた。しかし90歳という峠は越えることができなかった。

 朝から生憎の雨が降っていたが、9時20分には家を出た。葬祭場の場所は知らなかったが、概ねの位置は調べておいたので一時間ほど行けるものと思った。しかし藤枝バイパスは渋滞がひどく、着いたのは10時30分ぎりぎりであった。受付を済ませ斎場に入ると一番前の席に案内された。横の席には鉄道関係者のMAさんとOOHさんが座っていて、すぐ後ろにはKOMさん夫妻、NAさん、KAさん、MOMさんが座っていた。それ以外にも4~5人の鉄道関係者がいた。現職時代から正しいことは何があっても貫くという信念を持ち、自分より人のために尽して生きた人であった。そのような生き方に共鳴し高年齢とは言え10人以上の後輩が参列したことは良かった。会場には100名ほどの参列者がいて、和尚の読経に合わせ手を合わせ故人の冥福を祈った。最後に弔辞、和尚の話等から、故人が鉄道を辞めてから地域のために尽くしたことを伺った。

 町内会長を3期務め、公民館建設に努力したことや、80歳を過ぎてからパソコンを使って自分史を書いたことを聞いた。このことは遺族(長男)が死んだあと見つけたと言った。長男は東京で所帯を持って生活していて、父の急変で帰ってきて、父が自分史をパソコン上に書かれたことを知った。それによって父の生きざまを知ったと言った。質実剛健な方であったが、そうしたことを他言しないで遺族に残していったこともOOさんらしいと思った。