Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

ある研修に参加して(Ⅳ)

2011-02-21 02:04:08 | Weblog

 20日の研修は自分に成果のある内容であった。このことは筆舌に表わしがたいが、一口で言うと「人間誰もが過去を背負い生きている。その過去を取り除いて未来に興味を持って生きていく」ことであった。 人間は継続している不満によって決めるあり方と生まれ育った強い手札のハザマの中で生きている。  そのことで押しつぶされそうであるが、それを断ち切って、新しい器を作り、過去のしがらみのない生き方が出来るということである。そのことによって新しい人生を始まることが出来ると予感した。

 それは自分に繋がる社会への信頼であり、愛情ある行動であると理解した。ここに至るには講師とそのことを考えた参加した仲間のお陰である。この感覚は今まで味わったことのない新鮮なものであった。 この研修を通じて自分をさらけ出すことによって見えてきたものがあった。それを言葉にすると感動があり涙があった。そして強く生きることを学んだような気がした。

 この日の最終講義を聞いた後、紹介者が入っての話となった。後ろを見ると多くの紹介者の中に娘の姿があった。 今まで娘の顔をまともに見ることが出来なかった私は、それを真直ぐ見ることが出来た。 それは性格の優しいよい子に見えたし、誰にでも自慢の出来る娘がいた。 そして参加者がこの講義を受けて発見したことを、壇上に立って一人ひとりが発表すrことになった。 皆さんの発見にも感動したが、私も壇上に立って話した。その言葉は自然と出た言葉であった。それは「家族への愛を貫く」こんな言葉であった。普段はとてもいえない言葉であったが、それが自然と出た。この言葉の重さを噛み締め、今後生きたいと思った。

 最後に一番感動したことを記す。FUさんという30代の女性のことである。彼女は生まれながらに、顔に大きなケロイドを持って生まれた。それ故何度か手術した後が残っていた。それでも隠し切れない後が残っていたが、隠すことなく凛としていた。参加者が読んだように、彼女は母に書いた手紙を読んだ。「私が10歳ぐらいになった時、母のタンスの中から私が生まれたときの日記を見つけた。直ぐにも見たい、生まれたばかりの赤子(私)を病院側は病弱だからと言って合せてくれなかった。何日か経って母の元につれてきた私を見て、絶望の悲しみに沈んだ。そして母は赤子と一緒に死のうと思った。しかしどうしても一緒に死ぬことは出来なかった。そして役場に生まれて14日目(最後の日)に出生届を出した。その後母の愛を一心に受けて育った。私は顔のことで恥ずかしいと思ったこともないし、死のうと思ったことも一度もない。これからの人生を勇気を持って楽しく生きて行くので、お母さん心配しないでほしい」このような手紙であった。彼女は泣きながら読んだ。これを聞いて私は自分の考えの小ささに恥じた。


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