Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

ある研修に参加して(Ⅲ)

2011-02-20 02:53:20 | Weblog

 2日目は挙手して宿題の手紙を読むことから始まった。私は手を挙げなかった。今日は多くの人が挙手するようになって、30人近くが自分の手紙を読んだ。その全てに言えることは紹介者への感謝と、自分を変えようとする気持ちが伝わってきた。 その後講師から、最終日、紹介者が来てくれる人はいますかと聞かれた。私は挙手すると先生が指名してくれ話したそれは『紹介者は私の娘です。最終日は来ると言っています、そして娘とのことを話した。1月、長い間疎遠であった娘から突然電話があり、私を嫌っていたことを謝り、親密な親子関係を築きたいと言った。そのことで私も研修を受けることにしたが、娘は「次はお兄ちゃんにも受けてほしいね」と話した』こんなことであった。 私は息子とも疎遠であり、今一番気になっていることである。それを代弁するような話で、娘の心に打たれた。

 私は、常々自慢めいた話「いいかっこうし」をよくする。それは良くないと思いながら言葉が出ている。そのことは反省しているが、それはDNAによるものなんだと思っていた。しかし講義を通じて、子供の頃の成長過程において、内にある自分を覆い隠すために行なっている詭弁であったようだ。 それに負けまいと思う気持ちや、不満に思うことにより起こる相手への否定等はその代償として親しさや満足感を失っていることであった。それは自分を生き生きと過ごすという大きな代償を失っていることに気がついた。

 そして自分が生まれ育った過程において覆い被せている気持ちの変遷を考えた。私も生まれたときは母の愛情を一心に受け育った。しかしその過程で考えを変える衝撃ことがあった。それにより「意固地な人間」が芽生えたようだ。そして数年が経ったとき、又衝撃的ことがまた起こった。それは意固地な人間を覆い被せるように「優しい人間」になろうとした。そして数年経ち思春期の頃、世の中で生きていくために「頑張る人間」という考えが覆い被せたものと思う。これは自分を分析したものである。 これは長時間考えて出した「手札」である。これを過去からの事象を当てはめると納得する。故に外見上の頑張り屋は、その芯である意固地人間が時どき出るのではないかと思った。

 以上のことは、人間を形成する段階で、過去を覆い被せてきたことが、日常の生活の中で、時と場合によりその覆い被せた人間が出てくる。「いいかっこうしい」もそのように人間形成の中から出てきたように思った。 人間が衝動的に出る態度や態度は、覆い被せてきた性格が出たことによるものと思った。・・・・・これは人間が持っている「強い手札」であると解説した。               このことを私は疑問を持ちながらも少し理解してきた。 ホテルに帰えり、私の衝撃的に出た言葉によって傷ついた妻に20日の朝手紙を書いた。   


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