Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

「弥生×登呂」シンボジウム

2016-11-19 22:18:42 | Weblog

 平成28年度登呂遺跡出土遺産が国の重要文化財の指定された。これを記念し11月19日市内ユーフォニア会場でシンポジウムが開かれた。この登呂遺跡は1943年(昭和18年)で太平洋戦争のさなか、この地に軍需工場を建設する過程で見つかったものであり、戦後の昭和22年~25年にかけ発掘調査が行われた。この発掘は学生たちのボランティアが主体であったようだが、ここから弥生時代中期から後期にかけここで稲作が行われた村落が存在していることが分かり当時大きなニュースになった。ここからは700点以上の出土品が出たという。これは太平洋戦争で破壊された日本が2000年近い昔ここに農耕村落があり平和に暮らしていたことが分かり、気落ちしていた日本人の心に勇気と希望を与えてくれた発見であった。

 その後、幾たびかの発掘が行われ現在の遺跡像が分かり、その出土品が重要文化財遺産となった。今回の講演は「遺跡から見る 弥生集落のかたち」と題し、最初に登呂博物館館長が登呂遺跡の現状報告を行い、その後、同じ弥生時代の遺跡を持つ愛知県の朝日遺跡、奈良県唐古・鍵遺跡、佐賀県吉野ヶ里遺跡の担当者からの状況報告があった。同じ弥生時代の遺跡でも地域性や取りまく環境の違いがあって、規模や構造、出土品等にも各々特徴があった。その中でも登呂遺跡は柵や環濠も見つからず、当時は穏やかな中で稲作農耕をしていた人がいたことは他との違い平和な印象を持った。

 午後から特別講演として90歳の今でも登呂のことを研究しているA先生から「登呂遺跡調査の意義」について講演した。当時A氏は大学生であったが発掘調査に携わり、戦後の荒廃した本土で目標をなくしている時、我々の祖先が2000年前に弥生の文明を切り開いていったことを思うと勇気が湧いてきと云った。登呂遺跡の発見は、戦後の日本人に大きな希望を与え、発掘開始から一ヶ月も経過しないうちに皇太子殿下(平成天皇陛下)や多くの著名人たちが現場見学に来たとのことであった。現在は調査も進み弥生時代の全容が解明させてきているが、日本人のルーツを知るためにも重要なことで、今回重要文化財に指定されたことは喜ばしいと云ったが、いささか遅きに逸した感があると締めくくった。

 私は、現在登呂の地に住み毎朝登呂遺跡の周りを散策している。ここを歩きながら数千年前この地で水田で米を作っていた人達がいて、ムラを形成し、他の地域のムラと協力しながら文化を築いていったことを改めて思った。そして今ここで生活している私達は登呂遺跡の意義を考え、大切に守っていかなければならないことを感じた講演であった。


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