まだ若かりし頃、趣味で
切手収集をしていた時期があります
数ヶ月前に、書棚を整理していたら
数冊の切手アルバムが出てきたので
最近又、見返しているのですが
その中に
「20世紀デザイン切手シリーズ」
がありました
平成11年(1999年)8月から
平成12年(2000年)12月かけて
第1集〜第17集が発行されていて
我が国の20世紀を象徴し
21世紀へ向けて夢と希望のある題材を
各種ジャンルに求めてデザインした
懐かしく、楽しい切手シリーズです
全集収められるアルバムも
発行されました
不定期になりますが、これから
第1集から第17集まで、時々
順次紹介していきたいと思っています
今回は、第1集の掲載です
少し長くなりますので
興味のない方はスルーしてください
第1集は1901年(明治34年)〜
1909年(明治42年)までの題材8種類を
1シート10枚構成で発行されました
(説明は、同時添付された「解説文」から)
①「みだれ髪」与謝野晶子
初版本表紙と肖像(晩年のもの)
「みだれ髪」は昌子(22歳の時)の
最初の歌集
1901年(明治34年)に鳳 昌子の名で
刊行され、若者達の大きな支持を得た
装幀・挿絵は藤島 武二(画家)
②常設映画館「電気館」開業
「電気館」外観と創業10周年記念
チラシのデザイン(部分)
(外観の写真は、同チラシに
掲載されたもので、大正2年頃のもの)
「電気館」は浅草六区に
電気応用の器具を見せていた古屋を改築し
1903年(明治36年)10月、日本最初の
活動写真の常設館として開業
初めは粗末な建物の見せ物小屋でしかなく
観客は土間に立ったまま映画を見たが
以後、常設の映画館は急成長していく
最初の上映は着色映画
「ロンドンの大火」だった
③チンチン電車
チンチン電車と東京・銀座風景
(写真は、明治39年頃の銀座
1903年(明治36年)8月
東京馬車鉄道から発展した東京電車鉄道が
品川ー新橋間で運行を開始した
東京における路面電車営業の初めである
ついで同年9月には東京市街鉄道が
数寄屋橋ー神田橋間、
翌1904年(明治37年)12月
東京電気鉄道が土橋ーお茶の水間を
開業した
"チンチン"という特徴ある発射の合図
から、「チンチン電車」の愛称で
親しまれ、名物となった
3社は1906年(明治39年)に合併し
東京鉄道株式会社となった
因みに我が国最初の営業用電車開業は
京都で、1895年(明治28年)である
④川上音二郎・貞奴
錦絵「川上音二郎肖像」(部分)
錦絵「貞奴の道成寺」(部分)
落語家浮世亭○○の名で
「オッペケペー節」を売り物にした
川上音二郎は、俳優として
妻の貞奴と共に1899年(明治32年)に
欧米巡業し、大成功を収めた
1901年(明治34年)1月帰国
1903年(明治36年)には、明治座で
「オセロ」、本郷座で「ハムレット」
等の大型公演を成功させた
1908年(明治41年)帝国女優養成所を
開いて女優養成を始め、
日本の近代劇運動の先駆的役割を
果たした
⑤⑥日露戦争
⑤⑥とも錦絵「日露戦争大日本赤十字
野戦病院負傷者救療の図」(部分)
1904年(明治37年)2月
日本がロシアに宣戦布告
奉天の戦い、日本海海戦等、戦局は
日本に有利に展開したが
日本の戦力は限界に達し
アメリカのルーズベルト大統領が
講和を斡旋し
1905年(明治38年)9月
日露講和条約(ポーツマス条約)が
締結された
⑦「吾輩は猫である」夏目漱石
初版本表紙の題字と扉絵(部分)
⑧「坊ちゃん」夏目漱石
中短編集「鶉籠」の表紙絵(部分)と題字
1905年(明治38年)1月に発売された雑誌
「ホトトギス」に、夏目漱石の処女作
「吾輩は猫である」が発表され、以後
続編、続々編、等々、1906年(明治39年)
8月まで11回にわたり全編が掲載され
1905年10月から1907年5月まで
3回に分けて単行本が刊行された。
「吾輩は猫である」発表を機に
漱石は本格的な作家活動に入り
1906年(明治39年)4月には「坊ちゃん」
を「ホトトギス」に
同年9月には「草枕」を雑誌「新小説」
に発表し、これらを収めた中短編集
「鶉籠(うずらかご)」を1907年に
刊行した
⑨ハイカラ
「時好雙(双)六」のハイカラが
描かれた部分
三越呉服店(現在の三越)が発行した
月刊誌「時好」の1906年(明治39年)
1月1日号の付録
⑩両国国技館落成
錦絵「常陸山と梅ケ谷」(部分)と
当時の両国国技館外観
(錦絵は玉波画 明治34年 日本相撲協会蔵)
(外観写真は当時の着色絵葉書から)
1909年(明治44年)6月2日に
東京・両国に「国技館」が開館し
板垣退助を委員長にした開館式が
盛大に行われた。
「国技館」という名称は
完成案内状に書かれた
"相撲は日本の国技なり"の言葉から
名付けられた。
開館式では、当時の東西両横綱
常陸山と梅ケ谷の土俵入りが行われた。
☆☆☆☆☆☆☆☆
以上が20世紀デザイン切手
第1集で発行された切手の解説でした
第2集の概要予告です
明治から大正へ
1910年(明治43年)〜1913年(大正2年)
の題材です
お楽しみに!
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
一日中雨で、気温も上がらず
肌寒いモカ地方でした
モカも
レインコートを着用しての散歩
少し小やみになった頃を
見計らっての散歩でしたが
雨はあまり好きではないモカは
最短コースを選択して
最低限の用事を済ましたら
さっさと帰路に着きます
そして
”犬は炬燵で丸くなる"
を決め込んで
暖をとっていました
あしたは、お天気も
回復する予報ですが
雨が降り続いていたので
菜園のコンディションが心配です
これからもう少し
気温が下がるようなので
皆様も暖かくしてお休みください
それでは、また