モカとティータイム

生まれて2ヶ月で我が家に迎え入れたモカの成長記録と
スローライフな日常を楽しく綴って行きたいと思います。

平和への祈り

2023-08-10 08:54:00 | 日記
2回にわたって
堅苦しい記事の掲載となります

冒頭
被曝体験の悲惨な記述もありますので
ご気分を害されると思われる方は
スルーしてください

(鳳凰の羽ばたきのように見えた昨日の雲)


広島平和祈念式典に続いて
8月9日、長崎でも平和祈念式典が
執り行われました

台風の影響で
屋内の「出島メッセ長崎」で
市関係者のみの出席だけで
縮小して行われましたが

その中で、とりわけ「被爆二世」でもある
長崎市の鈴木史朗市長の平和宣言が
心に刺さりました

以下、その全文です

令和5年 長崎平和宣言

長 崎 平 和 宣 言

 「突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ、道路に叩きつけられました。

背中に手を当てると、着ていた物は何もなく、ヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。

3年7か月の病院生活、その内の1年9か月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。

私の胸は床擦れで骨まで腐りました。

今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨の間から心臓の動いているのが見えます。」
 
これは16歳で被爆し、背中に真っ赤な大火傷を負った谷口稜曄さんが語った体験です。


 1945年8月9日午前11時2分、長崎の上空で炸裂した1発の原子爆弾により、その年のうちに7万4千人の命が奪われました。

生き延びた被爆者も、数年後、数十年後に白血病やがんなどを発症し、放射線の影響による苦しみや不安を今なお抱えています。

 谷口さんは6年前にこの世を去りましたが、生前、まさに今の世界を予見したかのような次の言葉を遺しました。


 「過去の苦しみなど忘れ去られつつあるようにみえます。

私はその忘却を恐れます。忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます。」


 長期化するウクライナ侵攻の中で、ロシアは核兵器による威嚇を続けています。

他の核保有国でも核兵器への依存を強める動きや、核戦力を増強する動きが加速し、核戦争の危機が一段と高まっています。
 今、私たちに何が必要なのでしょうか。
 「78年前に原子雲の下で人間に何が起こったのか」という原点に立ち返り、「今、核戦争が始まったら、地球に、人類にどんなことが起きるのか」という根源的な問いに向き合うべきです。

 今年5月のG7広島サミットでは、参加各国リーダーがそろって広島平和記念資料館を訪れ、被爆者と面会し、被爆の実相を知ることの重要性を自らの行動で世界に示しました。

また、このサミットの成果文書である「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」では、「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」ということが再確認されました。
 しかし、この広島ビジョンは、核兵器を持つことで自国の安全を守るという「核抑止」を前提としています。

核抑止の危うさはロシアだけではありません。核抑止に依存していては、核兵器のない世界を実現することはできません。

私たちの安全を本当に守るためには、地球上から核兵器をなくすしかないのです。

 核保有国と核の傘の下にいる国のリーダーに訴えます。
 今こそ、核抑止への依存からの脱却を勇気を持って決断すべきです。人間を中心に据えた安全保障の考えのもと、対決ではなく対話によって核兵器廃絶への道を着実に歩むよう求めます。

 日本政府と国会議員に訴えます。
 唯一の戦争被爆国の行動を世界が見つめています。核兵器廃絶への決意を明確に示すために、核兵器禁止条約の第2回締約国会議にオブザーバー参加し、一日も早く条約に署名・批准してください。

そして、憲法の平和の理念を堅持するとともに、朝鮮半島の非核化、北東アジア非核兵器地帯構想など、この地域の軍縮と緊張緩和に向けた外交努力を求めます。

 地球に生きるすべての皆さん、一度立ち止まって、考えてみてください。


 被爆者は、思い出すのも辛い自らの被爆体験を語ることで、核兵器がいかに非人道的な兵器であるのかを世界に訴え続けてきました。

この訴えこそが、78年間、核兵器を使わせなかった「抑止力」となってきたのではないでしょうか。
 その被爆者の平均年齢は、今年85歳を超えました。被爆者がいなくなる時代を迎えようとしている中、この本当の意味での「抑止力」をこれからも持ち続けられるか、そして核兵器を廃絶できるかは、私たち一人ひとりの行動にかかっています。
 被爆地を訪れ、核兵器による結末を自分の目で見て、感じてください。

そして、世界中で語り継ぐべき人類共通の遺産ともいえる被爆者の体験に耳を傾けてください。
 被爆の実相を知ることが、核兵器のない世界への出発点であり、世界を変えていく原動力にもなり得るのです。
 私は、両親ともに被爆者である被爆二世です。

「長崎を最後の被爆地に」するため、私を含めた次の世代が被爆者の思いをしっかりと受け継ぎ、平和のバトンを未来につないでいきます。

 日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と一日も早い被爆体験者の救済を強く求めます。


 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げるとともに、長崎は、広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島をはじめ、平和を希求するすべての人々と連帯し、「平和の文化」を世界中に広め、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2023年(令和5年)8月9日
長崎市長  鈴木 史朗


広島、長崎に投下された
原子爆弾の構造図です
(画像は
長崎市ホームページからお借りしました)



若いとき、ショックを受けたことは
そのネーミングです

「広島型」を「リトルボーイ(チビ)」
「長崎型」を「ファットマン(太っちょ)」

どんな名前が付こうが
非人道的な武器には変わりませんが

2023年7月までに
原爆死没者名簿に記されている犠牲者が
約533,854名にも及んでいる事を
考えると

あまりにも軽々しいネーミングも含めて
改めて、怒りと、やりきれない思いと
悲しみを感じてしまいます

今、ロシアが核兵器をちらつかせながら
ウクライナに侵略している現状で

改めて
愚かな、悲惨で非人道的な核兵器の廃絶を
心から願うばかりです

2回にわたって堅苦しい記事の掲載と
なってしまいましたが
これはあくまでも私見です

最後までご覧いただき
ありがとうございました

次回はまたのんびり日記に戻ります

それでは、また^_^