小学校時代のことを思い出すと、いつも行きつく先は母への申し訳なさと感謝です。
子どもの頃、学校の遠足は父母の参加も認められていたようです。
彦根へ行った時はまだ足は悪くなかったけれど、母と、何故か?近所に疎開してきていた、おばちゃん(飼っておられた犬の名前からピチおばちゃんと言っていました)も一緒でした。
ギブスを外した後の4年生の遠足は大津。
県庁や図書館などの見学があったのですが、私はずうっと母におんぶして貰って移動しました。途中先生が代わりましょうか?と言って下さったのに、私は母の背中以外はイヤだったのです。
5年生の京都の遠足の時は、付き添いは母と、もうひとり疎開してきておられた、友達のお祖母さんの二人だけでした。その時はもう自分で歩けましたが・・・
今思うと病院の往き帰りもずうっとおんぶして貰いました。家から駅までは普通大人の足で5、6分で行けると思うのですが、それでも小柄な母が、これもいくら小柄とはいえ4年生の子供をおんぶするのは本当に大変だったと思います。その上重いギブスをはめているのですから・・・相当重かったはず・・・
今なら車椅子もあるし(両足を横に水平に広げてギブスをかけているので、そのままでは座れないけれど・・・何か工夫すれば・・・)、その頃でもリアカーなどはあったけれど、駅の往復は母の背中でした。
前述のピチおばちゃんは斜め向かいに住んでおられ、そこのお宅は2方向大きなガラス窓の廊下がありました。母はよくそこへ連れて行ってくれて、そこで日光浴をさせて貰っていました。子供好きなおばちゃんは近所の子供達の面倒もよく見てくれる優しい人でした。
家に帰りたくなった時、おばちゃんがおんぶして送ってあげると、言われたけれど、おばちゃんの背中は丸いからイヤ!だとか言って母を呼んできて貰いました。今思っても顔から火が出るような恥ずかしいわがままな子供でした。
まるまる母に甘えていた私。大人になって4、5歳の子供をおんぶしても結構しんどいのに・・・今になって身が縮む思いをしています。
大津の遠足の時など、母もきっと誰かに代わって欲しいと思ったに違いありません。
ホントにホントに母の身体を、寿命を縮めたのは私だと今更ながら、当時を思い出すたび自分を責めています。
兄妹の中で一番苦労をかけたのは私です。
いくら親孝行しても足りないくらい辛い思いをさせてきたのに・・・
お母ちゃん 本当に本当にごめんね!色々本当に有難う!
今ならどこの駅にもエレベーターは設置されてるし、障害に応じた便利なグッズも色々ある。洋式トイレもどこにも設置されてる。
本当に障害者も動きやすい便利な時代になりました。