今日は車酔いの話です。
少なくとも小学4年までは車に酔ったことはありませんでした。
低学年の頃、学校の遠足で彦根に行った事があります。その頃は私の住んでいた町にも港があって、船で行きました。
途中、沖の白石が見える地点で、みんなが一斉に白石の見えるほうへ寄って行ったので、結構、船が傾きました。床が坂に見えるほど・・・
私は、といえば、船がひっくり返るんじゃないかと思って必死の思いで、反対側で頑張っていたのです。
人に言う度に笑われたけれど・・・ホントに今思うと大バカですね
4年生になって足の手術(と言っても股関節が外れたのをはめただけですが)を受けました。
全身麻酔でした。多分私が大暴れするからだったのかもしれません。
看護婦さんに手足を押さえつけられ、顔に濡れたガーゼを被せられました。
ガーゼからポトポトと水滴が落ちてきて・・・ひと~つ、ふた~つと数えさせられました。
10くらいまで数えたのを覚えています。
そのうち意識がなくなり・・・気がつけば病室のベッドの上、腰から右足は足首まで、左足は太もものあたりまでギブスで固められていました。
ギブスは一年間はめていました。子供で成長期ということで一年の間に3回くらい入院してギブスをやり替えました。ギブスが乾くまで一週間くらいづつの入院でした。
その3回の内最初だけ船だったかな?後は江若鉄道で大津まで行ったのです。
2回目か、3回目か忘れたけれど、退院のとき、たまたま体調が良くなかったのと重なって、車に酔ってしまったのです。頭痛と吐き気に苦しめられ、それが、私の車酔いの始まりとなってしまいました。
その後は、乗り物に乗る度、停車する度に気分が悪くなりました。
昨日私はディーゼルと書いたけれど、ガソリンなのか、ディーゼルなのかよくわかりません。
あの臭いも気分の悪い一因です。
後に京阪電車に乗ったとき、電車なら臭いはないから大丈夫かと思ったけれど、やっぱりそればかりではなかったらしく、電車でも大丈夫ではありませんでした。
一年遅れで学校に復帰した私は遠足の度に苦しい思いをする事になります。
小学校の修学旅行は、奈良、大阪方面の一泊でした。若草山でお弁当を食べた時、朝早く起きて母が作ってくれた海苔巻きを一個しか食べられなくて、その頃、まだ浮浪者の人たちがいっぱいいて、残り全部、その人たちに上げてしまいました。
そして中学校の修学旅行でも、東京、日光に行ったのですが、同じ状態でした。
東京都内の観光はもうバスから降りる元気もなく、羽田空港と、二重橋の写真しか残っていません。
高校は江若鉄道で6つ先の終点の駅にありました。
一学期の間は汽車通学が辛くて、辛くて、何度学校をやめてしまいたいと思ったか知れません。
一年生の時の集合写真は目玉ばかりギョロギョロしたガリガリに痩せた私が写っています。
それでも毎日通っている間に少しずつ慣れて、2年生の時の写真はいくらかふっくらして写っています。
高校の修学旅行は北九州へ・・・行きは国鉄、煙もくもく吐いて走る汽車で、トンネルに入ったら窓を閉めないと鼻の穴が真っ黒になるよ!とか言われながら・・・帰りは神戸まで船旅でした。夜の甲板で潮風を肌で感じたり、霧島高原では馬に乗って写真を撮ったり、高校でようやく楽しい楽しい旅を経験しました。
その後乗り物に酔うことはなくなりました。
今はどこへ行っても楽しいです。
車にも自分でも乗るようになったし、人に乗せて貰っても楽しい思いばかりです。