「よし。」

「あそこに飛び込んで死んだことにしよう。ここから先は別の人生だ」
と、本当に思いました。パラダイムシフトは、阿蘇山の硫黄溜りを見ているとき、急に起きたのです。
何を馬鹿な事をのたまっておるのだ、中学生の妄想でもあるまいし、とお思いの皆様、たしかにその通りです。私だってそう思っています。でも本当に起きたのです。信じてもらえない事を承知でもう一度申し上げます。本当に、急に、そこで起きたのですよ。

いま後付で考えれば、ありきたりな色々な理由が考えられます。雄大な自然に魅せられたとか、その大きさを前にして自分の小ささを認識したとか。でもどれもしっくりきていないというのも事実です。
そもそも、そんなに仰々しいイベントではありませんでした。例えば、雷にうたれたような衝撃が走った、わけではないのです。なにか、
「、、コトリ、、、」
と、何かの部品がどこかの方向に動いて、それで終わってしまったような感じ。

こうして何年も経ってからゆっくり冷静に考察しても、あの感覚がなんだったのか、説明をつけることはできません。たぶん、合致する説明を考えつくより前に、次のパラダイムへとシフトしてしまうでしょう。
ひとつだけ言えるのは、私はこのパラダイムシフトをとても肯定的に考えている、という事です。それは、シフトした先の(つまり今の)居心地の良さもそうなのですが、なにより、
「シフトできた」
のが素晴らしいと思っています。変われた、というのは貴重な経験ですし、変わり続けたいというのが、今の願いでもあるわけなのですよ。

「あそこに飛び込んで死んだことにしよう。ここから先は別の人生だ」
と、本当に思いました。パラダイムシフトは、阿蘇山の硫黄溜りを見ているとき、急に起きたのです。
何を馬鹿な事をのたまっておるのだ、中学生の妄想でもあるまいし、とお思いの皆様、たしかにその通りです。私だってそう思っています。でも本当に起きたのです。信じてもらえない事を承知でもう一度申し上げます。本当に、急に、そこで起きたのですよ。

いま後付で考えれば、ありきたりな色々な理由が考えられます。雄大な自然に魅せられたとか、その大きさを前にして自分の小ささを認識したとか。でもどれもしっくりきていないというのも事実です。
そもそも、そんなに仰々しいイベントではありませんでした。例えば、雷にうたれたような衝撃が走った、わけではないのです。なにか、
「、、コトリ、、、」
と、何かの部品がどこかの方向に動いて、それで終わってしまったような感じ。

こうして何年も経ってからゆっくり冷静に考察しても、あの感覚がなんだったのか、説明をつけることはできません。たぶん、合致する説明を考えつくより前に、次のパラダイムへとシフトしてしまうでしょう。
ひとつだけ言えるのは、私はこのパラダイムシフトをとても肯定的に考えている、という事です。それは、シフトした先の(つまり今の)居心地の良さもそうなのですが、なにより、
「シフトできた」
のが素晴らしいと思っています。変われた、というのは貴重な経験ですし、変わり続けたいというのが、今の願いでもあるわけなのですよ。