water steppe memo

日々、考えていることをここに記します。
ブログと呼ばずに「日記」としたいところです。

脈絡の無い写真5種

2010年09月26日 03時08分35秒 | 街歩き
溜まっていた写真から、ある程度良く取れているものをなんの脈絡も無く。

どこかの飲み屋さんにあった招き猫。両手を上げ、しかも鈴を持っているという、その可愛さとは裏腹な欲張りな感じが味わい深い逸品です。


夜に自転車を走らせていると、繁華街とそうでない場所の明るさの違いによく気が付きます。歌舞伎町などはその最たるもので、夜を昼のように照らす、とはこの事なのだなあ、とつくづく思います。あまりに明るいので、通るのが恥ずかしくなり、最近は別の道を選ぶことが多くなりました。


ホタテのクリームパスタ。このイタリアンのお店は味が良い上に店長がカッコよく、しかも、

店の外がこんなにいい景色なのです。近くにあればしょっちゅう行くのですけど、かなり遠い場所にあるのでたまにしか行けないのが残念、、、。


例によってクリームソーダ。外国で「cream soda please」と言うと、バニラ等のフレーバが着いた炭酸飲料が出てくるそうです。我らが知っているやつを飲みたければ「ice cream soda」乃至「float」と言う必要があるとか。まあ、いくら私でも外国にまで行ってクリームソーダを飲もうとは、、、思うかも知れないので憶えておきましょう。

一年中売って欲しい、モツ鍋セット

2010年09月23日 08時38分46秒 | 
モツ鍋を作ることにはまっていた時期がありました。安いモツを買ってきては焼酎で下茹でし、大量のキャベツ・ニラと一緒にニンニクいっぱいの醤油味ベースのスープでグツグツ。これ、自分で作ったわけですからそれなりに美味しく食べていましたが、いわゆるモツ鍋屋さんの味とは違う物でした。なんとか味を再現しようと色々工夫はして見たのですが、いつもいつも
「もつ入りの寄せ鍋」
になってしまっていて、我が家が保有する調味料の、その種類の少なさに嘆いていたものです。

モツが結構好きです。さすがにMOTHERで好きな食べ物の項目に入力してしまうほどではありませんけども、焼肉屋さんではカルビとかよりモツを焼いて食べていたいと思うほどではあります。でも焼肉屋さんに行く時なんてのは大体誰かと一緒ですので、モツだけ山ほど注文する訳には行きませんから、普通のお肉を注文し、ちょっと良いお肉を注文して、向こうがキムチとかどうしようか悩んでいる間隙を縫って、コッソリ
「、、、モツ、味噌ダレ」
とお願いするのが精一杯です。
じゃあ自宅で気兼ねなく料理して大いに食せばいいじゃないか、という話に成るのですが、前述の様に、どうもモツ料理が上手く行きません。ムグー。

やっと今日の本題に入るわけですが、もつ料理は食べたいけど、料理は苦手というような迷える子羊の為に、世の中には
「モツ鍋セット」
という物が売られているわけです。モツとスープが付いていて、鍋にそれとキャベツとニラを入れてグツグツすれば、あっとゆう間にモツ鍋屋さんのモツ鍋という、超簡単な物が。〆にうどんでも入れれば何の文句があらんや。私はこれを"よく食べる"なんてレベルではなく、すでに
「愛用」
しておると申し上げても過言ではありません。味噌味と醤油味があり、価格も手頃。あー素晴らしい。

なぜ、素晴らしきモツ鍋セットの話題をいきなりし始めたかと言いますと、このモツ鍋セットは鍋シーズンにしか売られておらず、ようやくここ数日に出回るようになってきたからでございます。素麺の様に、夏はセンターコート、冬は乾麺コーナーでひっそりというわけでもなく、鍋のオフシーズンは一切見かけないという徹底ぶり。この間スーパーで久しぶりの再会をし、
「うひょー」
と、勢いでモツ鍋を開始。残暑凄まじい昨今に鍋食って汗だくになるという、なんだか意味のわからない行動をしてしまいましたよ。

という事で、このモツ鍋セットのメーカーさんは、なんとかして1年中販売してもらえませんでしょうか。スーパーさんもモツコーナーの片隅でいいので、1年中販売していただくと、少なくとも私は2週間に1回くらい買います。是非よろしくお願いする次第です。

自転車のタイヤを交換

2010年09月22日 01時45分20秒 | 自転車
我が自転車_エスケープR3のタイヤが裂けていよいよ限界になりましたので、交換することにしました。で、思い切って一段細いタイヤに変更しました。700x28cから700x25cへと。

ロードタイプ自転車は23cが一般的(多分)。自転車屋さんの23cタイヤたるや、山のように種類と在庫があるわけです。でも、クロスバイクにしては細く、ロードにしては太いような25cは、なんとまあ種類と在庫の無いことですか。余りに見当たらないので、もしかしたらそんなタイヤは存在しないのかと不安になる位でした。

1軒目では手頃な価格の物が一個しか無く、前後輪両方変えたかったので2軒目へ。でも同じものは無くて倍額もする高級品しかありませんとの事。これ以上探してもしょうがないので、こんなことして大丈夫なのかどうか分かりませんが、後輪だけ高級品を装備させることにしました。
タイヤ2本とチューブ3本で1万以上の出費。むこう2000キロメートル分だとしても、結構な額を払ってしまったなあと感慨深いです。2000キロも自転車本体や乗っている人そのものが持つのかどうかも不安になってしまいます。


タイヤの空気は120psから140psへと圧力アップ。現在所有の空気入れでは、全体重を掛けないと入りません。走る前に空気を入れ直したりなんかすると、それだけで汗だくになって、その後の走行距離を短くしたくなってしまうんじゃないか、というくらい負荷がある運動です。25cでこれなのですから、23cなどを使っている方はどうやって空気いれていらっしゃるのでしょうか。

ちなみにタイヤ交換したら電池が切れてしまって、まだ走行に至っておりませんです、ハイ。

接客って難しい

2010年09月15日 01時13分48秒 | 
「またか」と言われてもしょうがないのですが、画策したのは私ではありませんんので、本当にいかんともしがたいところです。最寄り駅に新しいラーメン屋さんができていました。豚骨で細麺で替え玉があってと、いわゆる博多ラーメンな雰囲気。味はアリナシで言うと十分にアリだと思います。豚骨ラーメンはあれど博多ラーメンは手近にありませんでしたので、選択肢が増えて嬉しい限りです。


ちょっと気になったのは、店員さんの行動。開店したてですから仕方ないとは思うのですけども、一番偉いと思われる方の接客方針が他の店員さんに対して十分に浸透していなかったり、やや空回り感が出ていたりしていました。

例えば、
店員A「ラーメン、コッテリ、バリカタ、チャーシュー入りました!!」
店員全員「ハイ!!かしこまりました!!」
みたいな元気いっぱいな感じを出したいのだと思われるのですが、掛け声が揃わなかったり、店長さん(と思われる方)だけ声出てしまったのでもう一度言い直そうとしてみたりと、優しく言えば
「そんなに無理しなくてもいいよ」
であり、厳しく言えば
「練習は裏でやれ」
である、という風でした。

あるいは。
お会計に向かうお客さんに気づいた店長さん、手があいて居なかったので別の店員さんに
「お客様、お会計です!!」
と声をかけるまではよかったのですが、他の店員さんも食器の片付けとかでみんな塞がっていらっしゃる。そこでお客さんに
「もう少々お待ちください」
とか、
「ただいま参りますので」
とか言ってくれれば十分綺麗に流れる話なのに、
「お客様、お会計です!!!!」
と、語気を強めやや叱責するかの様に(塞がっている)店員さんを呼んでしまっている。おそらく作業の優先順位が明確になっていなくて、店長さんは会計を先にして欲しかったのですが、店員さんは(待っているお客さんの為に)食器を片付けたかったのだと思います。


いわゆるリピーターを確保したいが為、開店したての物珍しさで来る客に良い印象を持ってもらいたい、という気持ちが全面に出ているのは好感が持てます。でも力が入りすぎて空回りし、それになんとなくイライラしている雰囲気も同時に感じられてしまったのが残念でした。怒られている店員を見て食事が美味くなる程、人間はサディスティックにできていないと思うのですよ。
せっかくそれなりの味なのに、店内の雰囲気がピリピリしていてはもったいありません。まずは接客をしっかりパターン化して頂きたいなあ、と思う次第です。

猫の思い出

2010年09月14日 01時23分13秒 | 真面目な話
どちらと問われれば「犬派」と答える私ですが、猫を飼っていた経験も一応ございます。まだ小学生だった頃に家族のだれだかが拾ってきた子猫でしたが、就職して上京する直前まで生きていたので、多分15年くらいのお付き合いだったと思います。茶色と白で、長い尻尾にトラ模様のある猫でした。

しょっちゅう外に出かける猫でした。猫砂を一応用意していたのですが全く使用される気配は無く、雪の日も雨の日も扉の前で
「外に出せ~」
と鳴いてお出かけしては、概ね足をビチョビチョにして帰ってきていましたし、時には全身ビショ濡れになってしまい、
「すんません、こんな状態ですけども、どうしましょうか」
と、リビングでくつろいでいる私の前に歩いてきたりしていたものです。じゃあと足を洗ってやると、水が冷たいのかなんなのかわかりませんが、
「ング~」
などと唸り声を上げ嫌がり、でも引っ掻いたり齧ったりすることは無い感じが、なんだかんだ言って飼い主だという認識があるんだなあ、と感心してしまっていました。

夜中に起きて勉強なり本を読んでいたりすると、よく猫が見回りに来ていました。ベットに上がり机に上がり、異常が無い事を確認するとすぐ部屋から出て行きたがるのですが、出してあげるとまたすぐに
「ニャー」
と扉の前で鳴くのです。じゃあまた部屋に入るのかと言うとそうでもない。でも扉を閉めるとニャーと鳴く。何回かやると諦めるので気にしていなかったのですが、ある日「付いて来い」という意味なんじゃないかと思いついて実際に付いていってみると、確かに時々後ろを振り返りながら数歩先を歩いていくではありませんか(当時住んでいた家は田舎の平屋でしたので広かったのです)。なんだこれは猫の恩返しか何かかと期待をしたのですが、何の事はない、リビングの扉の前でニャーと鳴き、つまり、いつも寝床にしているリビングの扉が閉まっていて中に入れないので開けてくれ、という事だったようです。
(ちなみにこの猫、リビングの扉は自分で開けられる方でしたので、諦めた日は自分で開けて中に入っていたはずです)


この猫、私が就職の為に上京する2日前に外出したきり、出発する日にも帰って来ませんでした。それまでも2~3日帰って来ない事があったのですが、その時は何か感覚が違うと言いますか、
「二度と会えないかも」
と、なんとなく思いながら飛行機に乗ったのを鮮明に憶えています。案の定、そのまま行方不明になってしまいました。
何週間かして実家に電話をした時にまだ帰って来ていないという話を聞き、もう帰って来ないだろうし、多分どこかで死んでいるのだろう、と確信しました。そして、死による別れという重苦しい事態がこうも唐突に発生し、15年も続いた関係が
「じゃあね」
と右手を上げてさらっとどこかに行ってしまう事に、
「そうか、猫とのお別れとはこういうものなのだなあ」
と、感じてしまったものです。

猫年齢15歳は人間で言うと75歳とか80歳くらいでしょうから、じゅうぶん生きてくれたと思います。ですので、天寿を全うしたと言ってしまうと少し仰々しいですけども、深い悲しみを感じるというわけでもない、あえて表現するなら
「寿命を迎えるまで側にいてくれた事に対する感謝」
というような感情を持っています。
でも、街歩きの途中で茶トラな猫を見る度に、心の奥の方で
「あ、こんな所にいた!!、、、やっぱり別の猫だ」
と、ほんの爪の先っぽ程度に感じてしまうあたり、猫って不思議な生き物だなあとつくづく思う、今日この頃です。