先週、母方の祖母が亡くなりました。93歳でした。
そう書いただけで涙が出る。
家族みんなが心配するほどのお人好しで簡単に人にだまされちゃうようなとにかくやさしいおばあちゃんでした。魚をさばくときも「かわいそうやねー。ごめんねー。」って泣きながらさばいていました。道端のタンポポを見ては「健気で涙が出る。かわいいねー。」と言っていました。テレビドラマが大好きで、キムタクとペ・ヨンジュンには真剣にトキメいて、もう少し若かったら結婚したかった、と何度も言っていました。 わたしは小さい時からおじいちゃんとおばあちゃんが大好きで、一人でよく泊まりに行っていた。大人になってからも遊びに行くたびにいろんな話を聞いてもらった。学生時代、初めて彼氏を連れていった時、結婚とかまだそういう話ではなかったのに、「一度この人って決めたらね、別れるって選択肢はないと思わんといかん。何があっても、その人とどうやってうまくやっていくかを考えんといかんよ。」とアドバイスをくれた。
コスタリカに3年間旅立つ前には、もう会えないかもしれないと思って涙が出たけど、元気に待っていてくれた。「みーちゃんが帰ってくるまでは死なれん。」と言っていたそう。いとこが手伝ってくれてコスタリカまでお手紙を書いてくれた。
パナマに旅立つ直前には肺炎をこじらせ一時危篤にまでなって、その時はいよいよ最後だと覚悟した。そこから奇跡の回復。リハビリで筋トレマシーンに乗っている写真が送られてきたときは「死にかけてたのに筋トレ!」と笑った。
昨年兄の結婚式で帰国した際に施設に会いに行ったら顔のツヤがよくなっててご飯ももりもり食べていてうれしかった。
今年の6月に帰国した時にももちろん会いに行った。
もう誰が誰だかあんまりわからなくなってるはずだけど、なんとも朗らかな笑顔で、よく来たねって迎えてくれた。手を握っていたら、あったかいねって笑顔で言ってくれた。おじいちゃんが弱ったおばあちゃんを見ていられずそそくさと退室しようとしたら、「おじいちゃん!また来てね!」ってかなり大きな声を出したものだからみんなで笑った。
天井の電気を見つめながら、「電気がついててうれしい。夜は暗くてさびしくなるから。」って言った。
父が言ってた。年をとっていろんなことがわからなくなることは神様からのギフトという考え方もある。死への恐怖がなくなる、と。おばあちゃんは会いに来てくれる子どもや孫の顔を楽しみにしながら、きっと安らかに旅立ったんだろうなと思っています。
おばあちゃんは本当にやさしい人でした。純粋で天然ボケで少女のような人でした。うちの親戚がみんなやさしいのはおばあちゃんの影響が大きいと思う。おばあちゃんは4人の子どもたちとその家族、みーんなにやさしくされていた。
母はわたしから見てもとても親孝行で、おばあちゃんのことをとても大切にしていた。ここ数年、おばあちゃんが大事にしていた着物を着付け教室に通って片っ端から着ている姿を見守りながら、おばあちゃんと繋がっていたいんだなと思っていました。
祖父母と同居してくれているおじ・おばへは感謝の気持ちしかありません。自分たちの病気もありながら、献身的に介護してくれて、本当に頭が下がる。おばあちゃんのこと、最後までありがとうございました。おじいちゃんのこと、これからもよろしくお願いいたします。
そして、おじいちゃん。仲良し夫婦だったから、大丈夫かな。お手紙書こうっと。
おばあちゃんとわたしの最後の会話は、
「来てくれてありがとうね。また会おうね。また来てね。」
「また来るね。また会おうね。またね。ばいばい。」
でした。
またおばあちゃんに会えるのを楽しみにしています。
最後に、2年前、おばあちゃんの部屋を片付けていた時に出てきたメモ。
当時91歳のおばあちゃんの生きる希望にあふれたメッセージ。本当にかわいらしくて素敵な人でした。
私も、18年(おそらく)来の相棒を「またいつか必ず会おうね、ありがとう」といって見送りました。名前を呼んだら、蚊の鳴くような声で返事してくれました。猫だけど、私の大事な家族で一番の理解者でした。合掌