2015.4.11からこの日記を書いているらしい(だいぶ書いていない日もあるけど)。
ちょうど先生を辞めてメキシコ留学を目指していた頃、みなさんに無事を知らせる場所にしようと始めた。
先日この日記経由で友人が連絡をくれて、しみじみと続けててよかったなぁと思った。
大学時代にそれはそれはくだらないことで大爆笑をした仲間。
1ヶ月の教育実習ではレオパレスを借りて二人暮らしをしたことも。
明るくてマメな彼女は、関東から福岡に帰省して大学時代の仲間と会うことになれば何年会ってなくても連絡をくれたり、自分から年賀状を出さない私にも毎年年賀状をくれたり、おかげで繋がっていられた。
一方の私は自分勝手な行動により現在地不明になったり、連絡先が変わってもみなさんに知らせなかったり、SNSや年賀状をやめたり、決してマメではない(スミマセン)。
そんな彼女が突然連絡をくれて、喜んだのも束の間、闘病中との知らせ。
すでに手術を終えて治療は続いているけれど、手術もうまくいって術後の経過も良好とのこと。
やり取りのトーンは明るかったけど、どれだけ大変やったろうか不安やろうかと思った。
そんな時に思い出してくれて、連絡をくれて、ありがたい限り。
いろんな経験や心の内を話してくれて、何もできないけど、心から彼女の完全復活を祈った。
誰と比べてもだいぶ明るい人なので、基本的に体は元気な細胞でできていると思うし(失礼か?失礼じゃないよね?)、かわいい子どもたち3人をおいて死ねん!とパワーみなぎっていたし、きっと大丈夫。
彼女と帰省の時期が重なったら(いや、むしろ重ねて)ぜひ会いに行こう。
久しぶりにお酒でも飲みながら、「ちょっと聞いてー!!大変やったー!!」とハイテンションな話が聞けるのを楽しみにしています。
私がブログというのを始めたのも病気がきっかけだったなぁ(この日記とは別の日記が存在していた)。
2007.10.8
日記つけてみます。なーんでもないことも、大切なことも、そのまんま書いていこうと思います。生きてる証。
社会人になって4年目。この1年で肺の病気で5度の入院、3度の手術。トータルすれば闘病生活4か月。いろんなことを考えました。長期的に仕事を休んだり、たくさんの人に心配や迷惑をかけてしまいましたが、病気のおかげで自分を見つめなおしたり、気付かなかったことに気づいたり、自分にとって大きな節目となったなという実感があります。
過去の私は理想の自分っていうのがなんとなくあって、それに向かって、こうしよう!こう考えよう!ってがむしゃらに走ってきた気がする。自分ではどうしようもないことを経験して、「そのまんまでいるしかないな」といい意味で開き直ることができるようになった気がします。こうしよう!こう考える!と決めるでもなく、決めないと決めるでもなく、そのときのカンを大切にしながら肩の力を抜いてふわ~っと生きていけそうな気がします。
そんな書き出しから。
彼女とも「この年になればみんないろいろあるよね」なんて話したけど、そうやっていろんな経験を経て丸くなったり尖ったりして、それでもいろいろ折り合いをつけながら生きていっているんだなぁと。
わたしは日々オトモダチと連絡を取ったりしないんだけど、いい時間を共に過ごした人たちはすでにわたしの一部となっていて、寝る前にいろんな人をピックアップしながら元気かなぁと思い出したり、勝手に無事を祈ったりしています。
だから久しぶりに会っても久しぶりじゃない感じで向かっていってしまうことも。
一人で思い出すだけじゃなくて、いろんな経験を経て丸くなったり輝いたりいぶし銀ってたりする、久しぶりのみなさんに会いたくなりました。
そして、これからもこの場所は残しておこうと思ったのでした。
来年初詣に行くたびに彼女の無事も一緒にお願いすることにします。