長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

296. 彫刻刀を砥ぐ。

2017-07-03 17:47:41 | 版画
今月に入って、ようやく梅雨らしい気候となってきた。湿気も多くて晴れれば真夏並みの酷暑となる。板目木版画用の使い込んだ彫刻刀の砥ぎがたまっていたので、この数日間午前中は彫刻刀の砥ぎを行った。

板目木版画以外でも木口木版画や銅版画の直刻法など直接版を彫って製版していく版画技法は使い込んだ刃物の切れ味が落ちてくるとイライラとして仕事にならない。なので常にそれぞれの専用の彫刻刀や工具を砥ぎ、手入れを怠らないことが版画家の必要十分条件となっている。版画家の職人としての部分でもある。

現在では砥ぎに使う砥石はいろんな素材のものがある。ダイヤモンドの粉を固めた板の上で直接砥いでいく「ダイヤモンド砥石」などという製品もある。この場合、水は使わないで乾いた状態で刃物を砥ぐので作業も楽になってきている。
僕は20代の頃から水砥といわれる水を使って砥ぐ我が国の伝統的な砥石をずっと使ってきた。刃物の状態により荒砥、中砥、仕上げ砥などという砥石を使い分けるが、それぞれ石の目の粒子が異なっているものだ。刃先がかけてしまった場合など以外は普通は中砥と仕上げ砥で砥いでいく。それから木版画の彫刻刀は「版木刀(切り出し)」「丸刀(駒すき)」「平刀(間すき)」「三角刀」(カッコ内の名前は浮世絵版画の彫り師が使う呼び方)など刃先が異なる微妙な形をしていて砥ぎ方も形に沿って変えて行かなければならない。

朝から机に向かい砥石に水をくれながら1本1本丁寧に時間をかけて砥いでいくのだが、この時間が僕はけっこう心地がよい。例えて言えば日本画の画家が顔料を乳鉢で摩り下ろして膠で練っていくような時間や書道家が硯に向かい墨を磨る時間と似ているのかも知れない。つまり穂先、刃先に精神を集中していく時である。刀を使って版木を彫って行く作業は絵筆で絵を描いたり、筆で書を書くことと等しいと思っているのだ。

ただ、最近少し、しんどく感じていることが一つある。40代の半ば頃から加齢により老眼が進んできたことで砥ぎ終わった刃先の点検がメガネだけでは心もとなくなってきたことである。微妙な砥ぎ具合を確認するために仕方がないので銅版画の彫りに使用している高倍率のアーム式ルーペを傍らに置いていちいち確認しながら仕上げの砥ぎを行っている。まぁ、これも慣れである。

砥ぎ終った彫刻刀が机の上に並んでくると何とも言えない満足感、安堵感に満たされる。そしてまた「これから版木の彫りを一仕事しよう」というやる気がジワジワと湧いてくるのである。

画像はトップが砥ぎの作業のようす。下が向かって左から同じく砥ぎの作業のようす3カット、水砥と砥ぎ終ったいろいろな彫刻刀3カット。