1日。泉涌寺の大門を午後の1時過ぎに出ると次の目的の東山の寺院である「東福寺(とうふくじ)」へと向かった。ガイドブックの地図によると歩いて20分強ほどとなっている。地図をたよりに住宅地の中の狭い道を歩いて行くのだが、途中迷ってしまう。自慢ではないが持ち前の方向音痴である。元来た道を三叉路までもどり仕切り直し。逆方向をしばらく進むと人家の壁に「→東福寺」の小さな標識を見つけた。しばらく進むが、この標識が続いて現れる。「これで大丈夫だ」。
標識に添ってしばらく進むと最初に登場したのは「霊雲院・れいうんいん」という寺院。泉涌寺と同様、塔頭と言われる支院のようないくつもの小さな寺院が本堂の周辺に建っている。拝観受付でチケットを購入し、靴を脱いで寺院の中に入っていくと目の前に美しく整備された庭園が現れた。東福寺は禅宗の臨済宗の大本山。墨で描かれた襖絵などの絵画も良いが禅宗寺院の一番の魅力は「枯山水」などの庭園だろう。それから寺院によって嗜好を凝らした茶室や客室にも魅かれる。霊雲寺の庭は「九山八海の庭」と呼ばれ白砂の律動的な波紋の中心には「遺愛石」という台座に乗ったモニュメントのような石が配置されている。九山八海とは須弥山世界(しゅみせんせかい・仏説に此の世界は九つの山と八つの海からなりその中心が須弥山だという)とも呼ばれ経典によると、ブッダを中心とした壮大な世界だと説かれている。数多い名庭の中でも異色の禅庭として評価が高い。長い間荒廃していたものを近年、作庭家の重森三玲氏が修復したものだ。
霊雲院を出て参道沿いにしばらく進み小さな川にかかる橋を渡ると土塀に「→芬陀院(ふんだいん)・雪舟寺」という標識が見えた。右折して少し歩くと寺院の入口に到着。ガイドによるとここは室町時代の画僧・雪舟(1420~1506)が築いたと伝わる有名な「鶴亀の庭」があるという。山水画の巨匠の作った庭となれば、これは楽しみだ。さっきと同様に拝観受付で靴を脱いで寺院内に入る。こちらは手前に白砂の波紋を配し、石組は奥の苔むしたグリーンの絨毯の中に配置されている。借景はさまざまな種類の背の高い木々となっていて、シットリとしてとても落ち着いた雰囲気である。若い学生風の男子二人が庭を望む廊下で座禅をしながら石を見つめていた。この石庭も永い歳月の中で荒廃していたものを昭和14年に重森三玲氏の手により一石の補足もなく復元されたものだということだ。
廊下をコの字に回り東庭という庭を見ようと進むと突き当りに小さな茶室が二つ現れた。この二つの茶室が感動的であった。左手の茶室はとても小さく二畳半はない小さなものだった。中央に湯を沸かす鉄の窯がセットされ、その横に一輪挿し、奥の壁には書(文字は読めなかった)の掛け軸。これも小さい。それだけのシンプルな空間。ところが中で位置をいろいろと変えて座ってみると不思議と広く感じてくる。その時に華厳経(けごんきょう)という禅宗にゆかりの経典の中に出てくる一説、「一即多、多即一(いっそくた、たそくいつ)」という言葉を思い出した。「一微塵の中に全てが存在し、全ては一微塵と等しい」という哲学的な思想である。茶室というのはまさにこの世界を具現化しているのではないか。片側がオープンに空いていて柔らかい光が入ってくる。なんとも言えない美しく厳粛な空間だった。右手の茶室に移る。「図南亭(となんてい)」というこの茶室はさっきの部屋より少し広いが内部は薄暗い。ここは後陽成天皇の第九皇子の一条恵観公が茶道を愛したことから「茶関白」と呼ばれ、東福寺参拝のおりに茶を楽しんだと伝えられている。内部には恵観公の小さな木像、愛用の勾玉の手水鉢、燈籠、そして「図南」と書かれた扁額が配されていた。全体的にシンプル。障子のある丸窓が一つ付いていてここから東庭を眺められるようになっていた。
朝から寺院を廻り続けて来て、ここまででも、かなり内容の濃い巡礼の旅となっている。ところが、僕にはもう一つ是非観て置きたい場所があった…と、いうわけで東福寺の大伽藍を目指した。伽藍に到着するととても広い境内に山門、本堂、禅堂などが整然と配置されそれぞれがとても大きい。建築の色彩も禅宗の寺院らしくモノトーンで統一されている。「東司」という大きな共同トイレもあった。かつては600人ほどの修行僧をかかえ、たいへん栄えた時代もあった。ところが禅宗の中でも臨済宗は徳川家の菩提寺で保護されていたということもあり明治時代には新政府から冷遇され苦難の多い時代が訪れ、現在のように再興するまでに時間がかかったようだ。巨大で重厚な山門を見上げながら歴史の持つ重みを感じた。ここで時間を確かめると予定よりもかなり押していて、足早に回ることとなった。まず初めに紅葉の名所である通天橋を普通に観光。やはり前の泉涌寺と同様、燃えるような紅葉にはまだ早かった。その次がいよいよ「是非見て置きたい場所」である。
それは「八想の庭」と呼ばれる本坊庭園の中の方丈庭園にある北庭である。庫裏を抜け急く気持ちを抑えながら、まずはスケールの大きい南庭を観てから、右に独創的な「北斗の庭」と順を追って観ていく。西庭を過ぎて…廊下をコの字に曲がると…「あった、ようやく会えた、念願の北庭!!」 ウマスギゴケという美しいグリーンの苔と恩寵門の敷石を利用したというモダンなデザインの市松模様。昭和の日本画の巨匠、東山魁夷が1950年代に川端康成から「今のうちに古き良き京都を描いておいてください」と進言されて始めた京都の連作の中で描いた庭。国際的な彫刻家、イサム・ノグチが「モンドリアン風の新しい角度の庭」と賞賛した庭が眼前に広がっている。僕自身はパウル・クレーの抽象的で静かな絵画世界を連想した。まさに現代アートに通ずる感性の庭である。やっと来れた。ここで廊下を行ったり来たり、時間をかけ角度を変えて眺めた。溜め息をしながら外に出ると陽も傾き、閉門時間がせまっている。急いで今期特別公開という「竜吟庵」に駆け込みここでも庭を堪能。とにかく庭、庭、庭…今日の半日は庭づくしで、上等な庭のビフテキを何枚も食べたような状態で脳がパンパンである。そのほとんどが、重森三玲の手による。ここからさらに山門を出て「光明院」という有名な枯山水の庭のある塔頭に向かったが、ここでタイムオーバー。閉門時間の午後4時を過ぎていた。次回のお楽しみとなった。ここから京阪電車の「鳥羽街道」駅まで歩き、電車を乗り継いで、今日の宿となる京都駅近くのホテルにチェックインした。
画像はトップが方丈庭園の北庭(アップ)。下が向かって左から、東福寺に向かう道すがら見つけた瓦入りの土塀、霊雲院「遺愛石」、芬陀院の雪舟作「鶴亀の庭」、同、茶室(小)、図南亭の丸窓、東福寺山門、通天橋から観た紅葉、方丈庭園北庭(ロング)、竜吟庵石庭(部分)。