先月29日。東京丸の内の三菱一号館美術館で開催中の『ヴァロットン-冷たい炎の画家』展を観に行ってきた。
フェリックス・ヴァロットン(1865~1925)と言えば19世紀末から20世紀初頭のフランスで活躍したナビ派に所属した画家・版画家である。ナビ派の中にあって日本の浮世絵や写真から着想を得た平面的で造形性が強い画風は「外国人のナビ」と呼ばれ、当時の前衛芸術の渦中にあっても特異な存在であった。絵画や版画作品のみならず彫刻、装飾芸術、小説や戯曲などにも手を染め多彩な表現を持つ芸術家としても知られている。
僕が初めてこのヴァロットンの名前を知ったのは、モノクロームの木版画作品だった。19世紀末のヨーロッパでは、木版画という版画技法は銅版画やリトグラフなどの隆盛に押されて低迷していた。木口木版画は別として中世以来廃れてしまっていたのだ。それが、1890年にパリの2ヶ所の美術館で浮世絵の大展覧会が開催されたことが引き金となり、中世以来の木版画の伝統に人々が再評価をし始めることとなった。ヴァロットンがモノクロームの木版画に手を染め始めたのもこの頃と重なっている。僕が興味を持った理由もこのヨーロッパでの木版画復興期の作家の一人としてだった。
今回の企画展は日本初となる大回顧展である。会場では油彩画の代表作が目についたが、版画作品も全出品作の半数となる60点が出展されていて、版画家としては見逃せない内容となっていた。そしてそのほとんどがモノクロ作品である。パリで生活する人々の日常やミステリアスな情事を主題とした木版画は、どれも白と黒の構成が明快で印象に強く残るものである。今回僕が発見し、感心したのは彫られていない黒の空間の「凄み」だった。その一見平坦に見える黒い面の中に登場人物の心理的な闇まで感じとることができた。美術館で観た版画作品としてはひさびさに感動したので会場を3往復してしまった。シンプルな彫りの技法と小さな画面構成の中にヴァロットンの深い精神性と画家としての力量を垣間見ることができたのはこの日の大きな収穫だった。
日本ではまだまだ知名度が低い画家だが、その燻し銀の魅力は落ち着いた雰囲気を持つこの美術館とも相性が良く、いい展覧会だった。パリ~アムステルダム~東京と巡回してきたこの展覧会は今月23日まで。まだ観ていない方はぜひこの機会をお見逃しなく。画像はトップが木版画連作アンティミテから「最適な手段(部分)」。下が左から同じく木版画「怠惰(部分)」、油彩画の代表作「ボール(部分)」以上展覧会図録より転載、美術館広場の看板。