長期に及んだ自民党政権時代の政策の失敗や輸出主導の成長への過度な依存で弱められていた日本経済のファンダメンタルズは、民主党政権下でさらに悪化した。日本の公的債務残高は今や国内総生産(GDP)の220%以上に相当する。一方、かつては技術革新の世界標準となっていたソニーや東芝といった日本のブランドは、国内外で急速に市場シェアを失っている。
半導体や自動車用プロセッサの高品質部品などを提供している日本には、世界的なサプライチェーンにおいて大きな役割を果たしているという自負があり、それをあてにもしていた。ところが、2011年3月の東日本大震災の結果、日本は世界の生産国にとって中国、米国などほど重要ではないということが露呈した。民主党政権にとって自然災害は改革推進の好機となり得たが、原子力発電所の稼働を停止させ、二酸化炭素の排出量に応じて課税することを検討するなどし、逆に経済に打撃を与えてしまった。
流血を止められる策があると主張する安倍氏は今、こうした混乱の中に飛び込もうとしている。円高に歯止めをかけるために低金利政策を実施したり、1990年代半ばに試したような大型公共事業を推進する可能性が高い。実際、安倍氏が提案していることのほとんどは1990年代に自民党が実施したが成長をもらすことはなかったケインズ主義の実験の繰り返しである。インフレの激化は日本の比較的厳しめな金融政策でどうにか避けられてきたが、自民党は今、その政策を変えると宣言している。
安倍氏は、日本が環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉に参加すべきかどうかについてはあいまいな態度を取り続けている。野田氏もこの問題については賛成と反対の間を行きつ戻りつしてきた。自民党は昔から農業に支えられてきたので、安倍氏が農村部の反対を押し切ってこの自由貿易協定への参加を決められる可能性は低い。この重要でほかに例のない世界的な貿易交渉に参加し損なった場合、日本はこれまで以上に貿易相手国としてふさわしくないという印象を与えてしまうだろう。
しかし、日本の四分五裂の政治体制の中では、どのような政策でも推進することは難しい。自民党とほぼ消滅したといっていい社会党にあまりにも長く支配されてきた日本の国会では、新党の結成、解散、合併などが目まぐるしく繰り返され、ますます政治的万華鏡の様相を呈している。12月16日の衆議院選挙で有権者がいくつかの大きなグループにまとまる可能性は低い。日本の有権者の半数近くは無党派層であり、世論調査によると自民党の支持率は25%にすら達していない。したがって安倍氏は連立を組まざるを得なくなるのだ。
有権者の明確な負託も説得力十分な政治要綱もない状態で、安部政権は、日本再生どころか順調な政権運営すら期待できない。安倍氏は現実的な政策があることを示し、悲観的な国民を納得させる必要があろう。議席を増やすことばかり考えている多くの小規模政党のいくつかと連立を組む必要もある。さらには、法案通過の妨害ばかりする野党というかつての役割に戻った民主党にも対処していかなければならない。
日本の名誉のために言うが、かつて自民党にこれを実現した政治家がいた。2001年、型破りな小泉純一郎元首相は政府債務削減と特殊法人の民営化を目的とした一連の改革を断行した。小泉元首相はロックスターのような人気を博し、歴代3位となる5年以上の長期政権を築いた。2004年には主要先進7カ国のあいだでも最高の経済成長率2.7%を実現した。06年、安倍氏は小泉元首相の後を引き継いだが、その改革主義政策をうまく利用することができなかった。最初の任期がぱっとしなかっただけに、安倍氏の2期目に期待するのは難しい。
(WSJ記事・アメリカン・エンタープライズ研究所の日本部長マイケル・オースリン氏)
ウォールストリートジャーナル記事からの抜粋ですが、日本の政治家の姿を客観的に捉えていることもあり、少々長いかなと思いましたが、転記させていただきました。私たちは、あまりに情動(衝動)的に「一票」を投じてしまいがちであり、結果として過剰に政治を「不安定化」させてきたように思います。もう少し冷静に、政治を見つめる必要があります。あまりに性急に、あまりに多くのことを政治に望んだとしても、それは容易に叶わないことを、「不可解さ」とともにわかってもきた。国民の生活が政治によって大きく左右されることも、成熟した政治を得るためには私たちの認識を変えなければいけないことも、政治家も政党も時間をかけて育てていく以外にないことも、この3年間で否応なく学び理解してきたのかもしれない。私たちにとって「政治」は大切であり、真剣に対峙すべき「存在」であることに間違いはない。であれば、この「一票」は情動(衝動)的であってはいけない、冷静に考えて投じなければいけない、そう思うのです。