
蒋介石の「南京大虐殺否定発言」
1966年(昭和41年)9月に岸信介元首相の名代として訪台した5名の日本人台湾使節団の一人として、田中は蒋介石と面談した。田中の弟子である深田匠の著書によると、蒋は田中が松井大将の秘書であったことを思い出し、田中の手を堅く握りしめて涙を流しながら「南京に虐殺など無かった。松井閣下にはまことに申し訳ないことをした」と告白したという。深田は「この蒋介石の涙の謝罪は、日本人訪台団、通訳、蒋介石の側近らが全員耳にした歴然たる事実であり、南京大虐殺なるものは一切存在しなかったことを当事者が認めた貴重な証言である」と同著に記している。
田中が2001年12月に「興亜観音を守る会」の講演にて語ったところによれば、上記面談にて、1936年(昭和11年)に松井大将の秘書として蒋に一度会ったことを伝えると、蒋は「松井石根」という名を耳にした瞬間、顔色がさっと変わり、手を震わせ、目を真っ赤に涙ぐみながら「松井閣下には誠に申し訳ないことをしました」
「南京に大虐殺などありはしない。ここにいる何應欽将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを記録してあるはずです。私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。松井閣下は冤罪で処刑されたのです」
と言いながら、涙しつつ田中の手を二度三度握り締めたという。2003年5月に出版した自著『朝日が明かす中国の嘘』によれば、蒋は「松井閣下にはまことに申訳ないことを致しました」と語り、田中と同席者一同を驚かせた。田中は蒋の発言について「あれほど支那を愛し、孫文の革命を助け、孫文の大アジア主義の思想を遵奉したばかりか、留学生当時から自分(蒋)を庇護し、面倒を見て下さった松井閣下に対して何ら酬いることも出来ず、ありもせぬ「南京虐殺」の冤罪で刑死せしめた。悔恨の情が、いちどに吹きあげたものと思われる」と推測している。Wikiより
南京戦
昭和41年、松井大将の秘書だった田中正明氏は岸首相と台湾に行った時、このように語りました。
蒋介石は80歳。私は蒋介石に敬礼してから「私はかつて閣下にお目にかかったことがございます」と申し上げた。
「いつか」と聞かれるので「昭和11年3月、松井石根閣下にお伴して、南京で」と申し上げた。松井大将の名を聞くや、蒋介石の顔色が見る見る変わった。
ふるえ声で「松井閣下には、申し訳なきことを致しました」と私の手を堅く握りしめて、むせぶように言われ、眼を赤くして涙ぐまれた。私は驚いた。一同も蒋介石のこの異様な態度に驚いた。
周知の通り南京戦の直後、蒋介石は漢口にいて、しきりに対日抗戦の声明文を発表したが、虐殺事件など一言も触れていない。南京の何応欽軍司令官の「軍事報告書」の中にも虐殺は一行もない。
それを東京裁判は松井大将の責任で20万余を虐殺したと判決して絞首刑に処したのである。
あれほど支那を愛し、孫文の革命を助け、孫文の大アジア主義の思想を遵奉したばかりか、留学生当時から蒋介石を庇護して、面倒を見て下さった松井閣下に対して、何ら報いることも出来ず、ありもせぬ「南京虐殺」の冤罪で刑死させた。
蒋介石は悔恨の情が、いちどに吹きあげたものと思われる。
蒋介石は私の手を2度、3度強く握って離さず、目を真っ赤にして顔を伏せた。蒋介石は88歳でこの世を去るまで、松井大将の冥福を祈ったと聞いている。
○筆者の父親が昭和12年支那に派遣され、南京城攻略戦に参加している。
その話では、蒋介石や指揮官は全て逃亡しており、残っていたのは便衣服に着替えた中国兵で国際法など無視したゲリラ戦になり、残された住民の家に立てこもりその中から無差別に撃ちまくってきた。そして不利になると民家に火を放って逃亡した。住民の焼死体があちこちに散らばった。戦闘が終わったあと、夥しい焼死体を揚子江の河原へ運んだ。その数4000体ほどであった。
その後は、南京に支那人たちが集まってきて、日本兵はそれらの人々を安全に保護し守ってあげた。誰も銃声など聞くことはなかった。
南京戦に参加して戦った本人が話していることなので、かなり信憑性があると思う。日本兵が虐殺や強姦など出来るはずがない。世界一軍律厳しい日本の兵隊で、そんなことが分かればすぐに処罰を受け、不名誉なことになるので、皆、規律はしっかり守っていた。まあ日本人ですから、生来、残酷な行為などする人はまずいなかっただろう。強姦などをした日本兵と言うのは、大概が朝鮮人兵だったようだ。
飢餓状態の戦場に送られた朝鮮人兵は、時として死肉を食べた、と伝えられている。連合軍の証言に「日本兵が人肉を食っていた」と言うものがあるそうだが、当時は日本兵には違いないが、朝鮮兵だったそうだ。
支那朝鮮では昔から、人肉食(カニバリズム)が盛んに行われていたそうだから、抵抗なく人肉食したのかもしれない。
「虐殺派」が用いるウソ写真の解説
写真で見る「南京大虐殺」は
捏造ねつぞうだった
中国の虐殺史