My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

人が組織のために倫理を犯してしまう時-クリステンセン教授のメッセージ

2010-04-26 03:20:17 | MBA: MBA授業

米国ではゴールドマンサックスの不祥事が連日のように新聞の一面をにぎわせている。
それに関連して、先月、「イノベーションのジレンマ」で有名なクリステンセン教授が、MITで講義をしたときに話していた内容を、忘れないように書いておく。

クリステンセン教授の授業は4回シリーズで行われた。
2時間の長時間授業だが、400人収容のホールが前シリーズに渡って満席で、立ち見も。
イノベーションのジレンマ(Innovator's dilemma)」や続編「イノベーションの解(Innovator's solution)」
に書かれていた内容に加え、2000年代に行われた彼の研究が主な講演内容。

確か3回目の講演で、授業のうち30分を使って教授がした話。
スライドには「Don't Go Jail」と書いてある。
「私のハーバード時代の同級生のうち、3人もが逮捕された。まだ服役中の人もいる。
 一人はインサイダー取引、一人はある大企業での会計不正・・・」

昔から悪人だった、というなら分かる。
でも、どの友人も学生時代からクラスの人たちの信頼が厚く、リーダーシップを取っていた人たちだった。
間違っても不正などしないであろう、と思うような高潔な人たちだった。
そんな人たちが、何故このような事態になるのか。

人は、組織に入り、組織の人間として動いてしまうと、だんだん自分が当たり前に思っていた規律を無くしていく。
最初は、自分や家族の約束や規律から。
そうしてだんだん自分の倫理に関するところまで・・。
一度、その規律を無くしてしまうと、ある意味なし崩しに、人としての最低限の倫理観にまで突入してしまう。
だから、どんな状況でも、自分の規律を守ることから始めるのは大切なのだ。
多くの場合、自分がそういう行動に出ても、実は組織はちゃんと回ったりするのだ。

そうして、クリステンセン教授の大学時代と、
大手コンサルティングファームに勤めていた時代の話を一つずつシェアしてくれた。

クリステンセン教授は、大学時代はイギリスのオックスフォードの経済学部だったが、
背の高い彼は(190センチ以上はある)、大学バスケットボールのチームで主要選手として活躍していたそうだ。
ある年、全英大学トーナメントでチームが勝ち進み、ついに宿敵の大学と準決勝で戦うことになった。
チームにとっては、ここ一番の大事な試合だ。
ところが、その試合開催が、日曜になったのだという。

クリステンセン教授は宗教上の理由で、小さいときに神に「日曜日は安息を取る」ことを誓っていた。
日曜に球技を行うことは、自分がずっと守ってきた規律を破ることになる。

でも、ここは大事な試合だ。
コーチも、チームもみんな自分の活躍に期待している。
この期待を裏切ることは、自分の規律を破ることより大きなことなんじゃないか?
そう思って、試合先のホテルの部屋で悶々と悩んだ。

悩んだ末、コーチに相談に行くと、コーチは
「そうか。良く分かるが、君の貢献が無くなったら、チームは崩壊だ。
 君は非常に優秀な選手で、前回の試合だって君無しには進めなかった。
 ちゃんと理由があるんだから、この一度だけ規律を破るのを、神様も許してくれるよ」
という。

またホテルの部屋に帰り、一人悩む。
「今回だけ破るっていうのもアリなんじゃないか?あれだけみんなが期待してるんだから。」

1日近く悩んだ後、
「長い人生の中で、今回よりも大切なことが日曜日に起こる可能性はゼロじゃない。
 もし今回規律を破ってしまったら、またそんな瞬間が来たとき、
 「あの時よりも、今回のほうがずっと重要だ」と結論して、また破ることになるだろう。
 だから今破ったら、なし崩しになる。やめよう。コーチとチームにちゃんと言おう」
という結論に至り、みんなに話にいった。

結局、補欠要員がチームに入り、チームは無事勝ち進んだ。
「実は自分なんかいなくても良かったのでは?」という一抹の不安を覚えたが、
チーム全体が自分を求めてる時に、自分が規律を守っても、組織は回るんだ、という自信が持てた。

その後、大手コンサルティングファームで働くようになって、「どうしても日曜に働かなくては」
という事態になったときがあった。
そのときも、結局周囲を説得して、無事回避することが出来たのだそうだ。
もし、大学時代に自分が戒律を破っていたら、ここでも同じように破っていたかもしれない、という。

「日曜に安息を取る」などというのは、見る人が見れば、下らない規律に思えるかもしれない。
何故そんなもののために、組織全体の利益を損ねるのか?と言う人は必ずいる。
同様に下らないと見えるかもしれないものとして、「土曜は妻と過ごす」というのもあるだろう。

でも「全ての曜日で働けない」と言ってるわけじゃない。
ただの一週間に一度だけ、(妻との約束も入れると2度だけ)、働けない日がある。
本当にその日に働かないと、組織は回らないのだろうか?
そして、蓋を開けてみると、そんなことはないのだ。

この話は考えさせられた。
インサイダーや不正会計などの組織犯罪に至ってしまうのも全く同じ原理なのだ。
自分の利益のためだけだったら、彼等だって不正を起こしたりはしない。
追い込まれた状況で、「この情報を話すことが、この会社を救うんだ。顧客のためになるんだ。」
と言われ、自分の倫理を犯してしまう。
或いは、周囲のみんながやってるのに、自分だけやらないわけには行かない、という理由で、
自分の倫理観を破ってしまう。

でも、そのときに考えるべき。
「自分がこの倫理観を犯さないと、本当に組織は回らないだろうか?」
「本当に自分もやらないと、ダメになっちゃうだろうか?」
そして、そんなことは絶対に無いのだ。

それから、自分が「やらない」と決断したことを、きちんと組織に説明するのも大切だと思う。
個人的な倫理観で「やらない」と決めたことを、ちゃんと伝えて、承認してもらう。

MBAにいるような私たち若い学生は、組織の下っ端か、せいぜい小さなベンチャーの社長くらいなので、
20年後に、組織を守るために自分の倫理を破るような行為を求められることがすぐには想像できない。

でも、クリステンセン教授が言ったように、それは小さなことでも同じことなのだ。
どんなに回りに期待され、周りが平気でやっていたとしても、
自分が小さな頃から心に決めてるようなことを破らない、とか。

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
クレイトン・クリステンセン,玉田 俊平太
翔泳社


最終講義の後、有志で取った写真。
クリステンセン教授は中央後ろ。

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18 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
 (山口健二)
2011-02-25 01:00:13
とても大切な事だと思った。

日本の企業にはもっと倫理観を持って貰わないと>canon
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ありがとうございます (finalfancy)
2010-04-28 02:41:32
blogの直接の趣旨とは離れたコメントでしたが、コメント返していただいてありがとうございました。
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Unknown (R)
2010-04-28 01:56:38
元精密部品メーカー勤務、現IT企業に勤める者です。だいぶ前に一度だけコメントをさせてもらいました。

企業の倫理観・・難しいですねぇ。
個人的には正しい事をやるだけなので難しくなんともないんですが、会社全体がトチ狂った時(架空売上・粉飾決済等)に、一人で騒いでもだれも聞いてくれません。その過程で解雇に近い形で放り出された管理職もいましたねぇ・・。まあ結果として私は辞めましたが・・。

IT企業もどこか倫理観が欠如した人物が多く、しっくり来ませんでした。どこか儲かればいいやみたいな感じで・・。節税と脱税の差が分かっていない人が多いような印象を持っています。

そういった人が居ないような企業で気持ち良く働きたいものです。
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宗教の方に興味をお持ちの方が多いようですが (Lilac)
2010-04-28 01:02:10
コメント有難うございます。
宗教にご関心の方が多いようで、皆さんのコメントを読むのは非常に勉強になります。
ただ、それぞれに信じるところがありますし、個人的にあまり議論をしたくない分野なので、個別のコメントは差し控えます。
ご了承ください。

ただ事実についてだけのべると、大学での採用が宗教をどう見ているか、というのは、恐らくアメリカ国内でも州によって色濃く差が出てくると思います。
ユタ州やペンシルベニア州など、特定の宗教を信じる人が多い地域では、「個人の価値観の違い」では語りきれない部分がありますし。
また、イスラム教のように、一時的に国全体で反感が高まった宗教もあります。

大学の先生は、個人の信仰する宗教の戒律などによって、他の先生や学生の活動が妨げられないように注意されている方が多いです。
例えばユダヤ教は平日に安息日があることがありますが、ユダヤ教信徒の先生の授業とかぶった場合は、その日は代理の講演の先生を呼んで授業してもらうなど。
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エントリーの趣旨とはなれて (finalfancy)
2010-04-27 17:14:40
エントリーの趣旨と離れてしまって申し訳ないのですが、宗教による差別について大学やその他でも差別はあってはならないことだというのは基本的には納得できるのですが、一概にそれに同意することは宗教とその人の能力は関係がないと採用する側がそのような姿勢であったとしても、採用される側も同じ姿勢であるとは限らないと思います。ある宗教を信じている人が学術的に権威のある位置に採用されたりされることは、その宗教に対してある種の信用を与えるような効果があると思いますし、また実際にそのようなことを利用してその宗教の妥当性を主張するようなモデルで布教しているようなところもあります。どのような宗教を信じるかは当人の自由ですしその見方を否定する気はありませんが、一般的にカルトと揶揄されるような宗教、その認定もまた難しくはありますが、「反社会的な思想」この認識をどの程度共有できるかという問題もありますが、少なくとも自分が採用するような立場になった場合、かつ自分がその宗教の掲げる理念に全く賛同できないような場合にも、宗教によって採用等が左右されてはいけないというのは、「お金が稼げるならすべて正しい」という理屈に似た、かつそれより納得できない強引さを感じます。
うまく表現できなくて申し訳ありません。
エントリーの趣旨とは離れてしまって適切でないかもしれませんが、そのことについてはどう思われますか?
また、念のためモルモン教というのを念頭に置いてのコメントでは全くありませんし(モルモン教がどんなのか知りません)、お金を稼ぐことに対して問題意識を持っていいるわけではなく、むしろ経済活動は自由であるべきだと考えているような者です。
ほんと表現下手ですいません。
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言っている事は極めてシンプル (毒舌批評家)
2010-04-27 16:27:10
「自分の中に善悪の基準を持ち、その基準に従うこと」

ただそれだけでしょう。

しかし、これを実行することが難しいのは、人間が社会的な生き物であり、
個人の基準と自らが所属する組織との基準と対立することが多々あるからです。

そうなると、自らの基準を厳格に守ることができるのは、
周囲の流れに屈しない強靭な精神力の持ち主、信仰の持ち主となります。

でも、そういう人こそが「自立した個人」でしょう。

このような意見を発信する人が、日本にもいればとつい思う今日この頃です。
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プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (mkz)
2010-04-27 12:11:51
いつも興味深い話題ありがとうございます。

内村鑑三著「余は如何に基督教徒となりし乎」の一節を思い出しました。
内村のいた札幌農学校内ではキリスト教に対する主な反対意見として、安息日(日曜日)に勉強もしてはいけないのはおかしいではないか、というものがあったそうです。ところが内村が卒業するとき、成績優秀者上位はすべてキリスト教徒だったとのことでした(内村はトップ)。ちなみに、この著作は内村という日本人が西洋社会・キリスト教といかに格闘したか克明に記述されていて、現在の日本人が読んでも非常に得るところが大きいと思います。

クリステンセン教授もモルモン教徒だったんですね。Stephen Covey氏等著名人はかなりいますね。アメリカは信教の自由を求めて建国された宗教国家なわけで、異端であろうと信教の自由は最も重要視されます。この点日本人にはあまり認識されていないようですね。

それから宗教と経済を「聖」と「俗」と分けて考えている方がいるようですが、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読んでみることをお勧めします(超有名な著作ですが)。キリスト教(プロテスタント)がいかに資本主義を生んだのか解ります。この著作(1904年)にも、すでに「驚嘆すべき経済的業績」を達成した教団としてモルモン教についての記述があります。
また先の内村鑑三は、後世に残すべきものとして、1.金、2.事業、3.思想を挙げ、それができる才能がないならば、4.高尚な生涯を残せと言っています。

以上、Lilacさんの趣旨と離れて、宗教よりのことを書きすぎたかもしれませんが、ご了承いただきたく。
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功利主義 (freedom)
2010-04-27 03:28:14
Jeremy Benthamの提唱した「最大多数の最大幸福」(個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福を最大化すべきとの考え)を旗印にした功利主義を追求し、功利主義から発展したリバタリアニズム(他者の権利を侵害しない限り各個人の自由を最大限尊重すべきとの考え)が今日の困難をもたらしているとの考え方なのでしょう。
功利主義が世界経済危機を引き起こし、善人で高潔であった同級生がJailに入ることになったのだと思っておられるのでしょう。Clayton Christensen氏はリバタリアニズムを批判する立場なのでしょうね。「最大多数の最大幸福」を追求していると善人であっても犯罪を犯すことになるという警告なのでしょうね。それを人間の宗教倫理観に訴えて説明するところがアメリカらしいところですね。
日本ではみんなでやれば怖くないと、責任者があいまいで最終的には追求されないことも多いので、正義や倫理を貫こうとする人はKYということで、かえって悲惨な目にあうのでしょうが、アメリカではみんなでやったとしても責任者が逮捕され、最終的に誰かがJailかPrison又はPenitentiaryに入ってお勤めすることになるからね。
アメリカでは20人に1人が刑務所経験者で日常に身近なものなので、アメリカ人にとっては倫理観で話しても刑務所に入っていると聞いて日本人が感じるほどのインパクトはないでしょうが。

ちなみに今NHKでハーバード大学のMichael Sandel教授の政治哲学の授業を週1回シリーズで放映しており、先日、ちょうどJeremy Benthamの功利主義についてやっていて、この記事を見て学者同士はこういうせめぎ合いがあるんだなと思って、このコメントです。
(Michael Sandel教授はコミュニタリアニズムの立場から功利主義には批判的に論じておられます。しかし少なくともこの番組になっている部分では功利主義を攻撃するのではなく、いくつかの事例を出して学生に意見を出させ、考えさせる手法をとっておられました。)
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Unknown (Re:GS (ysjournal) )
2010-04-27 03:17:22
GSはある程度なら価格を弄れる立場にあるのは(ワラントなど一部識者からGSの八百長と批判された事も)昔から知られてましたがね・・・。違法スレスレのビジネス手法が裏目に出た、って所でしょうか。
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主観のanchor (vertigo)
2010-04-27 02:29:28
これは個人が尊重されるアメリカ人より会社に対する忠誠心が高く周りの空気に囚われやすい日本人の方が陥りやすいのではと感じます。
『空気の研究』や『法律より怖い「会社の掟」』と言った本に書いてあったことを思い出しました。

法律で容易に判断できることならともかく、倫理観については状況や時代においても変化することがあるので、クリステンセン教授のように自分に明確なラインを引いていない場合の決断は難しいですね。バス停を毎日数cmずつずらせて誰にも気づかれずに移動させてしまうように。


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Unknown (ケント)
2010-04-27 01:19:56
モルモンといえば、東大の藤本隆宏とトヨタの研究してHBSのdeanになった人もモルモンで、いまはブリカムヤングの学長になってたと思います。
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一部だけコメントを・・ (Lilac)
2010-04-27 01:14:58
皆様コメント色々有難うございます。
時間が無くて全てにコメントできないのですが、一部だけ・・

@とおりすがり関西人さん

米国の大学では、宗教による差別は性や人種による差別などと同じ程度に、あってはならないことなので、
日本の「色」が付いているのに大学の先生になるなんて、という感覚はありえないですよ。

@YsJournalさん

お久しぶりです。
この話は、宗教的倫理観というのは彼自身の個人的な価値観の例として、上げられています。
それが「土曜日には家族と過ごす」という価値観と置き換わっても同じ、ということです。
また、本来ビジネススクールにいる学生は、法律その他が定める社会の倫理観が、個人の倫理観として備わっていることを前提として、彼は話していると思います。

おっしゃるとおり今週話題になってるGSの話は直接は関係ないのですが、関連する人物がきっかけで、この話を思い出したので、書き残しておいた、という程度です。

@前回の さん
はい、書きます(汗
既に文章は大方できてますが、こういうエントリと違って時間とやる気があるときでないと、推敲出来ないので、寝かせてます。
必ず出すので、待っていてくださいね
返信する
前回の (前回の)
2010-04-27 00:47:12
前回の
具体的に、どのようにそのチャレンジ・努力をしていけばいいか、というのを次のエントリで書こうと思う。
の内容を
ぜひ、おねがいします
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GS (ysjournal)
2010-04-26 21:31:53
GSの問題は、GSがCDOを開帳した事が悪いという議論と、胴元として八百長していたのではないかという疑いの2点が争点です。

開帳していた事が悪いとすると、デリバティブ全体が悪い事になるので、そのような立件は難しいと思います。

GSは、CDOの相場の読みは間違っていたが、(今のところ)八百長はしてないみたいなので、これも立件が難しいと思います。

エントリーのキッカケと内容は、ちょっと無関係の様な気がします。(私の見方が当たっていればですが)
返信する
宗教的倫理観とビジネス倫理観 (ysjournal)
2010-04-26 18:37:47
宗教的倫理観とビジネス倫理観を同じ土俵に上げて比べる事については、全くナンセンスであるか、これこそ本質であると両極端の考え方があると思います。

豊かになった事で宗教的倫理観が欠如しつつある事が、社会全体に影響してきていると思います。

但し,法律自体は昔ながらなので、そのタガの緩みを許しません。

今後、厳しい倫理観への回帰が起こるのか、ビジネス倫理観の変質が当たり前になり、法律などにも影響を及ぼしていくのかは分かりません。

「Don't Go Jail」は、単純で力強いメッセージですが、紹介されている話は、余りにも単純すぎて、子供に「悪い事しちゃダメですよ」と言っているのと変わらないと思います。
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「教団」「戒律」へのイメージ (とおりすがりの関西人)
2010-04-26 14:08:17
東京と大阪では村上春樹氏の小説「1Q84」が
飛ぶように売れています。
読んではいませんが、かつてメディアを騒がせたかの宗教団体がモデルになっているようないないようなそんなエンタメものだそうです。
クリステンセン先生の公式ウェブサイトにいって驚きました。
「どうやったら企業収益を上げることができるのか?」
というある意味、とても俗っぽいゴールのトピックをバリバリ扱う人ですが、かなり
筋金入りのモルモン教徒なんですね。
こういう「色」の人がそのままHBSの教授の
ポストに就くというのも新鮮です。
私の地元の駅周辺でも布教してまわっている
欧米系の人がいます。
声かけられることもあります。


Lilacさんが「直接」クリステンセン氏から
聞くことができたエピソードとあわせて
この人はどんな人なんだろうと思いました。

仕事に猛烈しすぎて、一歩間違えると家族が
危ないという人は現実にいるようです。
「安息日を堅持する」という氏のポリシーに
とても厳粛なものを感じることができました。

「1Q84」と「創価学会」のイメージからは
かなりかけ離れているなと思いました。
(実態は似ているような気がしました。)
返信する
欲望の果て (石川)
2010-04-26 09:31:52
優秀な人は人間性の幅が狭くなるのですよ。自分が見つめている先ばかりでなく、自分の背中になにがあるのか振り返ることができる人は、暴走しません。

なので、アメリカは駄目な国ですよね。ブッシュは暴走した。オバマも暴走しそうだけど、彼の場合、黒人のために後押ししてくれる人がいないので、暴走しきれない。ただし、オバマが暴走しなくても、スタッフや国民が暴走してしまえば同じです。

なぜ、暴走してはいけないか。あとからついていけない人が多数できるからです。


韓国映画の「シークレット・サンシャイン」をオススメします。
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Unknown (ken)
2010-04-26 09:15:18
周りからはただのKYとレッテル貼られちゃいそうですね。
自分のルールを押し通す変わりの何かがないと。

教授にライトが当たってない!
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