最近、日経新聞で毎朝一番楽しみにしてるのが、一昨年のノーベル化学賞の下村脩さんの「私の履歴書」。
終盤にかかって、受賞対象になった蛍光たんぱく質(GFP)を発見し、それが徐々に着目されつつある経緯が書かれていて、わくわくしながら読んでいる。
特に昨日の記事は読んでいて、ちょっと感動してしまった。
仮にGFPを私が発見していなかったとすると、代わりに誰かがGFPを発見していただろうか。そんなことは考えられない。仮にそんな予測があったとしても、それを確かめるためには、そのたんぱく質を検出する方法を考案し、(中略) それは膨大な仕事で、誰もやらないだろう。ということは私が発見していなかったら、誰もGFPを発見していないであろう。
これはすごい自信だ。
もちろん、下村先生は、GFPの発見というのがそれほど難しいことだというのを強調するためにこういう書き方をされているが、一方でこれこそが、科学者のプライドだなあと思った。
「自分がやらなければ、他の人には出来なかっただろう。」 と言い切れる仕事をすること。
Only I Can Do。
つい自分に問う。
私はOnly I can doだということを常にやっているか?
学者を目指していた学生の頃や、留学前に仕事をしていた20代の頃は、そんなことを思いながら生きていた気がするが、最近はそうでもないな、と思う。
先週火曜日の、MITメディアラボ石井裕 (@ishii_mit) 先生の講演を思い出した。
講演の中で先生は、「百年後、自分が死んだときに残るものを作るべき」とおっしゃっていた。
それは単純な技術やプラットフォームではなく、思想である、と。
そう言われて思うのが、たとえばドラッカーは100年後にも残っているだろうが、
「もしドラ」は100万部超えても、100年後には残っていないんだろうな、と思ったりする。
物書きとして、100年後に残る、Only I Can Doな仕事をしてみたい、という思いはある。
しかし「そんなことは100万部売れる本を書いてから言え」と誰かに言われそうではあるが・・。
というわけで、今日は100年後どころか、1年後にも残っていないかもしれないような、つぶやきでした。
ここでは文化論はしないことになってますが、日本語と英語を耳で聞いてますと、英語がダイナミックで動的に感じますが、このへんも私は人間の精神に及ぼす影響が大きいといつも感じてます。
100年後も大事ですが、今日1日に影響を与えられるってスゴイなぁと思います。
今日も頑張ろう!
独創的とか自負できるのは生物分野だからなのか?
100年後に残すぞ!という気概でアウトプットして、100年後に残ってるかな?という視点で評価する。
これを繰り返してたら、100年後に残ってるものぐらいは作れる気がします。仮に作れなくても、十分充実した日々を過ごせる気がします。
というわけで、いいヒントをいただきました。ありがとうございました。
(Twitterも楽しく読んでます。今日は簡単なテーマだったのでコメントしてみましたwww)
確かに、下村さんが日本にいたら成功したのかな、とは思いますね。
南部陽一郎のように完全にアメリカに帰化したノーベル賞受賞者もいますが。
日本は「ノーベル賞受賞者50年で30人計画(でしたっけ?)」というのがあるそうですが、それが利根川進氏なども含む「在米日本人」によって進められていったら、目的達成といえるのか?と思いますね。
日本をサイエンスのハブにするのがこういう政策の目的だったはず。
@NaohiroIidaさん
それはよかったです!
@石川さん
結局自分が無ければ、何も出せませんからね
@Willyさん
独創性があるのと、再現性があるのは別の話なのかな、と思いました。
再現性はMustであって、同じやり方をすれば再現できるということ。
そのやり方自体は独創的であることが常に好まれますよね。
@トラベラーさん
そう、後世に残せるようなものが何か出来たらいいな、と思いますよね。
今の世の中にインパクトを出せるものを、戸も思いますが。
ある意味「不老不死」願望に近いのかも。
@Yoichiroさん
がんばってください!!
@ツバメさん
確かに。
米国も昔を知ってる先生はいろいろおおらかですよね。
今のアメリカでは信じられないくらい。
ビジネスの世界でもそうですが。
日本みたいに終身雇用の世界だったんですからね、米国も。