色んなことに手を出して、自分の可能性を広げるのが大切な時期もある。
でもずっとそればかりでは、人生で何も成し遂げられなくなる、とよく思う。
特に大人になり、仕事の責任も重くなり、更に家庭も出来たりすると、「自分の時間」がどんどん無くなる。
限られた時間とエネルギーの中で取捨選択をしなければ、何も成し遂げられずに終わるだろう。
その中で何かを達成するためには、別の何かを犠牲にする必要がある。
昔、親日家のシラク元仏大統領の、テレビのインタビューを見て衝撃を受けた。
「日本、特に相撲が本当に大好きなので、日本語を勉強したいと思っているのですが、
政界に入ってからはやるべきこと、やりたいことが多く、日本語の勉強に時間をかけることが出来ません。
自分がもっと時間を取れる人間だったら、もっと日本語の勉強をしたいですが。」
当時中学生で、人生の時間が有限だということに気がついていなかった私は、この言葉を素直に受け取って、大きな衝撃を受けた。
自分がそんなにも好きで、やりたいことを、時間が無いから出来ないなんてことがあるんだ・・・。
シラク元大統領ほど多忙ではないが、大人になって徐々に仕事の責任が重くなるにつれ、この感覚が良く分かるようになった。
そして時間だけでなく、自分のエネルギーも有限だ。
何に、自分の時間とエネルギーをかけるべきかをよく考える。
そしてそれを実行する(これが結構大変)
特に、「大事な瞬間」というのがある。
その期間は集中して、本当に意識して自分の時間とエネルギーを使わなければ、チャンスを失ってしまう、そういう瞬間。
企業経営を見ていると、この「大事な瞬間」がよくある。
世の中で何かがブームになったり、産業の構造変化が起きたりする瞬間は「商機」である。
この千載一遇のチャンスを逃したら、大きな利益を逸する、どころか損失を出したりする。
だから会社の全てのリソースをつぎ込んででも、売り攻勢をかける必要がある。
ところが、いろんな事業に手を出し過ぎたため、この「瞬間」を見極められず、人材や資金などのリソースを融通してその事業に集中する、ということが出来ない企業は負けてしまう。
だから「選択と集中」が大切だといわれるのだ。
これは一人の人生でも同じで、自分にチャンスがめぐってくる瞬間というのがある。
仕事でも、就活でも、留学や勉強でも、恋愛とかでも同じ。
ここで任された仕事でちゃんと成果を挙げれば社内で大きく認められる、とか。
世の中がこの流れになってるときに起業すればうまく行くとか。
あるいは運命の人に出会ったとか。
このチャンスをちゃんと感じ取って、全身全霊をそそぐ。
そのためには、他の欲しいもの、やりたいものを犠牲にするかもしれない。
例えば、私は今年こそワインエキスパートの資格を取るために勉強したい、と思っていた。
が、どうしても今年やりたい他のことを優先させるため、悩んだ挙句延期することにした。
私だって2,3年のうちに色々あるだろうし、いつになったらその資格をとるため、自分のリソースを集中できるかわからない。
けれど、今年しかないだろうその「瞬間」のために、ワインは犠牲にすることにした。
最悪、引退したら出来るでしょう。
本当にシラク元大統領の「日本語」みたいだな、と思う。
ほかの事を捨てて、一つのことに集中した結果得られるものは実は非常に大きい。
後から見ると「捨てた」と思ったものよりもずっと大きい果実を得られ、「捨てた」以上に人生の可能性が広がることがある。
他の方も書いていたが、私にとってMBAへの留学はまさにそれだった。
もう一つ大切なのが、集中しようと決めたことに全身全霊を注ぎながらも、アンテナは常に張っておくこと。
これがリスクヘッジになる。ただし、アンテナは張るだけで、自分の力と時間は余りつぎ込まない。
というわけでとりとめも無いですが、今日は、そんなことを思いました。
ちょっと内容は違う気もしますが…
ブログの中にここへのtrackbackを貼らせていただきました
何かをするということは何かを止める、何かを止めるということは何かをするということですよね
ちなみに、喫煙者が禁煙に失敗する理由の一つに、喫煙しない時間を有効に使えないという考えもありますよね
@yokichiさんもおっしゃってましたが、「目標を計画に落とし、期限を決め、時間配分を変え、成果を管理しなければならないというのは基本。~」ということの実践しかありませんね
やりたいことはないし、ど欲しい物もない。
得たいものはないし、望んでも得られないことも知っている。
未来に希望を抱いたこともないし、抱くことも出来ない。
ただ、淡々と生き、そして死ぬだけ。
今後、「選択と集中」することは永遠にない。
いろんな記事に感動しました。
この日記にもとても。
すごく素敵な方ですね。勇気がでました!ありがとうございます!
私はいままさに
その瞬間に立っていると思います。
何故か環境だけが全てうまく回っているんです。あとは私がやるだけです。
そんな状況でこの日記を読めたことを感謝します。
長島茂雄が、不調だった時に一生懸命バッティング練習をしていたら試合に行くのを忘れてしまった、という話を聞いたことがあります。そのくらいでなければ、一流にはなれないのでしょうね。
自分の場合は、間違いなくスポーツを通じた成功体験がベースになっています。
ここが勝負どころだっていう直感というか、ここだ大事な瞬間だ、と感じれるようになってくるんですよね。
私自身は昨日の公立高校入試で全ての生徒の今年の受験が終わった塾の講師です。ご迷惑でなければ、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
Lilacさんが中学生の段階以前からですでに高い意識を持っておられ、好きなこと、やりたいこと、なりたいものがあったことに改めて感銘を覚えます。
また同時に、沢山の中学生や、それ以上に「中学受験をする(させられる)小学生たちと日々接していると、今の子育てに関する大きな問題点の一つは、「色んなことに手を出して、自分の可能性を広げる」ことを経てから徐々に「自分がやりたいこと」を見つけていくのが人間の成長の本来のまっとうな姿だと思うのですが、そうなる前に、主として保護者によって、困ったことには善意から、親としてのある意味では当然の感情から、早すぎる段階で「お勉強」や「習い事」に行き過ぎた「選択と集中」が行われてしまうことによって、「善意」をぐっとこらえて待ってあげていれば、おそらくは持てたであろう「好きなこと、やりたいこと、なりたいもの」が消滅してしまってゲームばかりするようになったりしていることではないかと思うのです。
子育てについては、まずは子供の主体的興味・関心を育てることに集中し、余計な「お勉強」は排除しなけれならない、そのためには塾屋は仕事が減っても本当はむしろ喜ぶべきなのでしょうが、残念ながら現状は、他業界も含め、大人たちの多くが子供(未来)から収奪して現在の利益を最大化する路線を選択してしまっているような気がしてなりません。
それは「アドバイス」ではないのか?
選択と集中なんて、言うほど簡単ではない。
そんな時に優秀な上司がいると、どんだけ楽か?
もちろん、楽とは「厳しさ」と表裏一体だからとても苦しい選択を選ぶ。
特に歳を取っている人のノウハウは、若い人は反射的に反発するが、相当なノウハウの塊。素直になれるかどうかです。