気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

オリジナル

2013-08-19 09:59:48 | 日記

私がこれまで繰り返していた事の一つに
「人の才能に惹かれる」というのがあった。
切っ掛けは「その才能を見てみたい」という単純な好奇心だった。

まだ開花していないとてつもない才能をその人が持っていて
その事をその道のスペシャリストが見抜いて褒めている。
それを聞いて、その人が褒めるくらいなら相当凄い才能なんだろうと思い
その才能を見たいが為にその人を応援する。

でも結局は、「私が見たい才能」を見る事は出来なかった。
少しばかりの幸運、何度も訪れる悲運が必ず付いて回った。
なんで?と思うほど、私の願い通りにはならない事だらけだった。
振り返ってみても、男女で2人そう言う人が居た。

才能を見たいが為に、極端にのめり込んだ。
でもある時気付いた。
人の夢に乗っかっているだけの自分に。

自分の夢は自分で叶えないといけないのに、私にはこれといって「なりたい夢」がなかった。
自分には人よりも優れている才能はないし、やりたい事も見つからない。
だから人の夢に乗っかっている方が楽だった。

でも本当にそうなのだろうか。
自分の才能って、そう簡単に見えてくるものではない。
ちゃんとじっくり、その事について考えた事があったか?

今朝その事を考えていたら、なんとなく理解出来た。

私の才能を褒めてくれた人たちが、過去にもちゃんと居たじゃない。
絵画教室で、私が書いてた何気ない絵を「良い」と褒めてくれた先生。
数学の証明問題で紆余曲折した私の答えを「おもしろい」と褒めてくれた先生。
イタリア旅行で撮った写真を、撮り方が上手いと褒めてくれた会社の社長。

どれも「私のオリジナル」だから褒めてくれてた。
みんな持っているんだよ、自分のオリジナルを。
褒めてくれたことを振り返ってみたら、そこに「才能」の片鱗が芽吹いていた。
そこを伸ばしていけば、自分の才能は自ずと開花していくと納得できた。

自分の内側から来る感覚、言霊。
そういったものを、ただ出していけばいいだけ。
それに気付いた。

他人の才能を羨んで欲しがるから埋まらないんだ。
だって他人の才能は、その人の人生の一部だから、それを自分の中に持って来ても
自分の人生ではないのだからピッタリとそこに収まる訳がない。
いつまでも満たされないで、合わない部分から隙間風が吹いている。

でも自分の内側から来るものを大きくしていったら穴は塞がる。
自分の才能を見つけるというのも同じだなと思った。

「私のオリジナル」
そこを見つめて出して表現していけばいい。
それは私にしか出来ない事。

それをみんな平等に手の中に握りしめて生まれて来るのに、なかなか気付けないね。
ついつい他人の才能ばっかり見て羨ましがったりする。
本当は自分の内側から来るモノが一番光輝いてて「本物」だと知っているのに。。。

そうか「メッキが剥がれる」というのは
他人の才能を羨んだり盗もうとする心のベールが剥がれるんだ。
隠している本心が表に表れてくるのか。
だから「本物=本心」だけが生き残っていくのかな。
本物の光の方が、まがい物の光よりも比べものにならない程眩しい。
まがい物の光は見えなくなって存在が消えてしまうのかな。。。

自分のやりたいイメージが少し見えてきた。
自分を表現する事。
前にやってた事で、途中で「形」に拘りやめたモノがある。
でも、あれを褒めてくれた人がいたもの。
あれは私のオリジナルという意味で「本物」だったのかな。
あれを目指していけばいいのだと解った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする