秋雪君も翼君も、染色体の数が たった一本多いだけ…。
ダウン症です。
秋雪君の入学前、お母さんは、養護学校2校と小学校の特殊学級の
見学に行かれたそうです。
そして、県内の肢体不自由児の養護学校への入学を決められました。
「ここなら秋雪をまかせられる。
学校全体、そして先生の姿から、両手を広げて受け入れてくれるようすが
伝わってきたのだ。」
でも、こうも書かれています。
「しかし、心身に障害があると、なぜ就学先を探し、選ぶという作業を
しなければならないのだろう。徒歩で十分ほどの場所に小学校があるのに、
そこへ通わない、通えないという不条理」と…。
スクールバスで片道1時間半もかけて通わなければならない学校を
選ぶしかない現実。
どこまで、つらい思いをしなければならないのか…
心が痛くなりました。
結局、秋雪君は、この学校に通うことはできませんでした。
重い心臓障害の合併症もあり、
1歳のお誕生日を迎えることは難しいと
お医者さんから告げられていたようです。
でも、彼は6才の入学前まで生きました。
一日、一日、生きているだけで大変な毎日。
それでも、秋雪君が、いっぱい楽しんで、いっぱい頑張っていたようすが
お母さんの言葉や写真から、伝わってきました。
翼君は、地元の小学校が受け入れてくれました。
でも、それまでにお母さんは、何度も何度も教育委員会に足を運ばれ、
翼君のことを細かに書いて、学校にも伝え、お願いされていた様子です。
就学通知書が届いた時、お母さんは、涙ぐんでおられました。
小学校へ行くということ…
そんな当たり前のことが、当たり前でない現実。
友達の学校では、いろいろな障害を持つ子ども達を受け入れていましたが
その方が珍しいことなのでしょうか?
なぜ、他の子ども達と一緒に過ごすことができないのでしょうか?
なぜ、分けられるのでしょうか?
理由はたくさんあるでしょう。
でも…
いろんな矛盾が心の中で、今も回っています。
ダウン症です。
秋雪君の入学前、お母さんは、養護学校2校と小学校の特殊学級の
見学に行かれたそうです。
そして、県内の肢体不自由児の養護学校への入学を決められました。
「ここなら秋雪をまかせられる。
学校全体、そして先生の姿から、両手を広げて受け入れてくれるようすが
伝わってきたのだ。」
でも、こうも書かれています。
「しかし、心身に障害があると、なぜ就学先を探し、選ぶという作業を
しなければならないのだろう。徒歩で十分ほどの場所に小学校があるのに、
そこへ通わない、通えないという不条理」と…。
スクールバスで片道1時間半もかけて通わなければならない学校を
選ぶしかない現実。
どこまで、つらい思いをしなければならないのか…
心が痛くなりました。
結局、秋雪君は、この学校に通うことはできませんでした。
重い心臓障害の合併症もあり、
1歳のお誕生日を迎えることは難しいと
お医者さんから告げられていたようです。
でも、彼は6才の入学前まで生きました。
一日、一日、生きているだけで大変な毎日。
それでも、秋雪君が、いっぱい楽しんで、いっぱい頑張っていたようすが
お母さんの言葉や写真から、伝わってきました。
翼君は、地元の小学校が受け入れてくれました。
でも、それまでにお母さんは、何度も何度も教育委員会に足を運ばれ、
翼君のことを細かに書いて、学校にも伝え、お願いされていた様子です。
就学通知書が届いた時、お母さんは、涙ぐんでおられました。
小学校へ行くということ…
そんな当たり前のことが、当たり前でない現実。
友達の学校では、いろいろな障害を持つ子ども達を受け入れていましたが
その方が珍しいことなのでしょうか?
なぜ、他の子ども達と一緒に過ごすことができないのでしょうか?
なぜ、分けられるのでしょうか?
理由はたくさんあるでしょう。
でも…
いろんな矛盾が心の中で、今も回っています。
学校選択は、いろいろな価値観と選択肢があるんですけれど、「近くの小学校の通常学級がベスト」というわけでもないんですよね。
本当に子どもの個性によるところがある。
「普通の子の集団」だけだと、子どもが自信を失ってしまったり、お世話好きの子に囲まれて、自分でという意志を失いがちになってしまったりすることもあるんです。
本人が本人のペースで学べる場と、普通の子と生活できる集団の場と、その両輪をどう作っていくかということなんだと思います。
そのどっちかしか保障されないという自治体が多いんですよね。
日常的な交流教育と、本人のペースに合わせた支援教育。
問題は、ここなんだと思いますよ、「分ける、分けられる」ということだけではなくて。
片方だけしか得られない場合、家庭の努力で得られない方を保障していくってことも多いんです。
通常学級を選んだ人がクローズアップされると、その後で、特殊教育の場を選んだ人たちが、どこか「負けた人」みたいに見られることが、この手の番組の弊害でもあるんですよね。
コメントありがとうございました。
返事が遅くなり、ごめんなさい。
ずっと、考えていました。
S嬢さんのブログも何度も読ませていただきました。
いろいろな価値観と選択肢があること、
その子自身の個性や状態にもよること、
必ずしも、近くの小学校の普通学級がベストではないこと、
その通りなんだろうなと思います。
又、どちらを選んでも、得られない部分がある…
本当は、どちらを選んでも保証されるものがあっていいはずなのになぁと私は思ってしまいます。
そのあたり、意識も取り組みも遅れているように
感じるのは私だけでしょうか。
それから、ずっと引っかかって自問自答していたのですが、
特殊教育の場を選んだ人は「負けた人」でしょうか…。
そう感じる方がいらっしゃるのは、そういうことだといわれても仕方ないのですが。
私があの番組を見て、感じたのは少し違うことでした。
ダウン症に限らず、障害のある子どものご両親は
他の人が考えもしない問題を突きつけられています。
でも、誰もが その子のために、どうすればいいのか、どうすることがその子自身のためになるのか
ずっと真剣に考えて悩みながら、一つ一つ選んでおられているのだと思います。
子どもの状態や性格、いろんな条件を考慮したうえで
それでも、どちらを選ぶにしても、いろいろな葛藤があるのではないかと感じていました。
本当は教育の場が、その葛藤を減らす役割を担うべきだと思うのに、まだまだ、子どもの親に全ての負担がかかっているところが多いのかなと。
クローズアップされたのは、普通学級に行かせたいお母さんでしたが、きっと、どのお母さんも、いろんな場面でつらい思いをしたり、苦しんだりしていらっしゃるんだろうな…と感じていました。
それに、あの番組を見て、反対に、あんなことまでさせて、子どもの負担が大きくかわいそうと感じた方もおられたのではと察します。
どのお母さんも、子どものために精一杯頑張っておられるはず。誰のことも責めることはできないし、誰も、勝っても負けてもいない…。私はそう思います。
親の責任、親の選択、親の負担、多くの問題が親に押しつけられているような状態が問題ではないのかなと思うのです。
私の友達に障害児学級の担任をしていた人がいます。
その小学校では、毎年、春に全校生徒に障害児学級の子ども達が紹介されます。聴覚障害の子、てんかんの子、ダウン症の子、自閉症の子…。もちろん、一軒一軒、保護者の方と相談しながらなので、いやな方には無理じいされません。子ども達は、一人一人の子らが抱えている病気と状態、そして、自分達がどうすればいいのか、何ができるのかを考え、学びます。賛否両論、いろいろな考えがあるかと思いますが、私は、それは、とても大事なことだと思います。キチンと知ること…そこからしか何も始まらないし、変わらないと思うからです。私もその学校に何度か行ったことがありますが、交流の時間、ゆったりと自分のペースで過ごす時間が保証されていました。又、子ども達の お互いの付き合い方、フォローの仕方も とても自然で感心しました。それらの状態は彼や同僚の先生達の学校への働きかけで実現したようですが、お互いを知り、理解し合える場所がたくさんあればいいのになぁと思っていました。
その小学校で、私はダウン症の女の子と知り合いました。S嬢さんのブログを読んでいると、もう卒業したその子のことを思い出します。短い期間でしたが、私は彼女が大好きでした。きっと、あんな風に人なつこい笑顔の素直な可愛い子なんだろうなと思っています。体調を崩されたと読みましたが、もう、大丈夫ですか?どうか、お大事に。早く、よくなりますように。