空港で涙流し、抱き合い=ノリコさん両親帰国-フィリピン人一家(時事通信) - goo ニュース
不法滞在で強制退去を命じられたフィリピン人一家の在留問題で、中学生の長女カルデロン・ノリコさん(13)の両親が13日夜、成田空港をたち帰国した。学業目的で1年間の在留特別許可を得て日本に残るノリコさんは、両親を同空港まで送りに来た。
ノリコさんは午前中は学校へ行き、午後1時40分ごろ、両親と空港に到着。報道陣が両親に伝えたいことはあるかと尋ねると、うつむきながら「一生会えないというわけではないので、特別なことはない」「できることなら3人でいたい」と話し、袖口で涙をぬぐった。父親のアランさん(36)には、一緒に写った写真を渡したという。
アランさんも涙ぐみ、「頑張ってほしい」とノリコさんへのメッセージを絞り出すように言葉にし、「日本の皆さんありがとう」と話した。法務省に対し何か言いたいことはとの質問には「娘は13歳の女の子なんです。ただそれだけです」と述べた。
母親のサラさん(38)はティッシュ箱を抱え終始涙を流しながら「娘は塾に通っている。夜帰るときが心配」とノリコさんを思いやった。
出国手続き間際まで、3人は抱き合い別れを惜しみ、ノリコさんは両親の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
ノリコさんは今後、現在住む家で親類と生活する。
ようやく帰国するのか。これがこのニュースを知ったときの最初の感想である。マスコミはどういうわけか翼賛体制でカルデロン一家をバックアップして見せたが、果たして世論はマスコミの見解と一致していただろうか。マスコミと世論が乖離してはいなかっただろうか。
少なくとも私の周りの人間は今回の件に関し、両親の不法入国という事実を無視してまでも親子で日本に滞在させるべきだという意見を口にした者はなかった。むしろマスコミの熱心なアジテーションも空しく、不法入国者なのだから、法律に則って国外退去させるべしという見解が圧倒的だった。1814年のウィーン会議を風刺した有名なフレーズ、「会議は踊る、されど進まず」ではないが、「マスコミは踊る、されど国民は踊らず」ではなかったか。
そして、この「事件」を、まるで何の罪もない平和な家庭に訪れた悲劇のように報道するのはいかがなものか。古館という人は、「自分の家族が同じ目に遭ったらどう思いますか?」などと言っていたが、私の家族は不法入国者ではない。古館がサヨクのバイアスから解放されたとき、同じ言葉を拉致被害者救出に向けて北朝鮮に発することを、そうなることは一生ないと思いつつも、願っている。
ところで、支援者ら曰く、のり子さんは日本語しかできないというが、これもよくよく考えたら実に怪しいものだ。そもそも両親は生まれも育ちもれっきとしたフィリピン人であり、その両親が家庭で母国語であるフィリピン語を話さず、日本語だけで会話していたということはあり得ないだろう。
のり子さんが彼女の人生の中で一番多くの時間一緒に居た人間は、両親であろう。もちろん、両親がフィリピン語で話していたからといって自働的に彼女も喋れるようになるとは思わないが、このような環境下において、日本語しか話せないというのには、違和感を持たずにはいられない。
もし本当に彼女が日本語しか話せないとしたら、それは両親の教育がまずかったということになるのだと思う。普通に考えて、自分たちは不法に入国した、いわば犯罪者である。そうである以上、警察にでもそれがバレれば日本を追い出されることぐらい分かりそうなものだ。にもかかわらず、自分の娘に母国語を教えていないとすれば、それは日本政府が悪いのではなく両親の教育の失敗であり、彼女がフィリピン人でありながら日本語しか話せない原因は両親にある。
もっとも、私はのり子さんも込みで、一家を日本から強制退去すべきであったと思う。のり子さんはまだ13歳である。13歳であればフィリピン語を習得するスピードも速い。
以前、大東亜戦争終戦当時20数歳で東欧の国で終戦を迎え、それから60年もの間そこで人生を送った元日本兵がテレビに出ていたが、彼は何と母国語の日本語が殆ど喋れなくなっており、現地の言葉を流暢に(というか、もはや母国語のように)操っていた。そのため、一部は通訳を介して会話をしていた。のり子さんも何年もフィリピンの地で過ごせば、この元日本兵のようになるだろう。しかも彼女にはフィリピン人の両親もいるのだ。
だいたい、フィリピン人でありながら母国語が話せないというのは、自己のアイデンティティが納得できることなのだろうか。自分の体内に流れている血と同じ血が流れている国民の言語が話せない、聞けない、読めないということに、自分の中でジレンマを感じないのか。「のり子」という名を持ってはいても、彼女は紛れもなくフィリピン人なのだから。
この事件は、これで終わりなのではなく、これは終わりのように見える始まりである。カルデロン一家を支持した勢力はこれをお涙頂戴の悲劇にして、感情論で法を揺るがしにかかってくるだろう。それは今この現在においても水面下ではじまっているだろうが、これが表面化するときは、のり子さんの両親が再入国するときだ。
だが、不法入国者であっても不法入国した国で子供を産み、暮らしていれば不法が合法になるという理屈は、これまでも述べてきたように絶対に間違っている。欧米がそのようなシステムを採用していようと右に倣う必要はない。スイスや中東の入管法は日本と同程度か、それよりも厳しいと聞く。欧米が世界標準ではないし、必ずしも欧米のやっていることが正しいとも限らない。
不法入国者から生まれてくる子供が不幸にならないためにも、不法入国者に対する監視・摘発体制の一層の強化が望まれる。犯罪者が犯罪者でなくなるとき、それは刑の執行が終わったときであって、お涙頂戴の悲劇を演じ切ったときではない。
不法滞在で強制退去を命じられたフィリピン人一家の在留問題で、中学生の長女カルデロン・ノリコさん(13)の両親が13日夜、成田空港をたち帰国した。学業目的で1年間の在留特別許可を得て日本に残るノリコさんは、両親を同空港まで送りに来た。
ノリコさんは午前中は学校へ行き、午後1時40分ごろ、両親と空港に到着。報道陣が両親に伝えたいことはあるかと尋ねると、うつむきながら「一生会えないというわけではないので、特別なことはない」「できることなら3人でいたい」と話し、袖口で涙をぬぐった。父親のアランさん(36)には、一緒に写った写真を渡したという。
アランさんも涙ぐみ、「頑張ってほしい」とノリコさんへのメッセージを絞り出すように言葉にし、「日本の皆さんありがとう」と話した。法務省に対し何か言いたいことはとの質問には「娘は13歳の女の子なんです。ただそれだけです」と述べた。
母親のサラさん(38)はティッシュ箱を抱え終始涙を流しながら「娘は塾に通っている。夜帰るときが心配」とノリコさんを思いやった。
出国手続き間際まで、3人は抱き合い別れを惜しみ、ノリコさんは両親の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
ノリコさんは今後、現在住む家で親類と生活する。
ようやく帰国するのか。これがこのニュースを知ったときの最初の感想である。マスコミはどういうわけか翼賛体制でカルデロン一家をバックアップして見せたが、果たして世論はマスコミの見解と一致していただろうか。マスコミと世論が乖離してはいなかっただろうか。
少なくとも私の周りの人間は今回の件に関し、両親の不法入国という事実を無視してまでも親子で日本に滞在させるべきだという意見を口にした者はなかった。むしろマスコミの熱心なアジテーションも空しく、不法入国者なのだから、法律に則って国外退去させるべしという見解が圧倒的だった。1814年のウィーン会議を風刺した有名なフレーズ、「会議は踊る、されど進まず」ではないが、「マスコミは踊る、されど国民は踊らず」ではなかったか。
そして、この「事件」を、まるで何の罪もない平和な家庭に訪れた悲劇のように報道するのはいかがなものか。古館という人は、「自分の家族が同じ目に遭ったらどう思いますか?」などと言っていたが、私の家族は不法入国者ではない。古館がサヨクのバイアスから解放されたとき、同じ言葉を拉致被害者救出に向けて北朝鮮に発することを、そうなることは一生ないと思いつつも、願っている。
ところで、支援者ら曰く、のり子さんは日本語しかできないというが、これもよくよく考えたら実に怪しいものだ。そもそも両親は生まれも育ちもれっきとしたフィリピン人であり、その両親が家庭で母国語であるフィリピン語を話さず、日本語だけで会話していたということはあり得ないだろう。
のり子さんが彼女の人生の中で一番多くの時間一緒に居た人間は、両親であろう。もちろん、両親がフィリピン語で話していたからといって自働的に彼女も喋れるようになるとは思わないが、このような環境下において、日本語しか話せないというのには、違和感を持たずにはいられない。
もし本当に彼女が日本語しか話せないとしたら、それは両親の教育がまずかったということになるのだと思う。普通に考えて、自分たちは不法に入国した、いわば犯罪者である。そうである以上、警察にでもそれがバレれば日本を追い出されることぐらい分かりそうなものだ。にもかかわらず、自分の娘に母国語を教えていないとすれば、それは日本政府が悪いのではなく両親の教育の失敗であり、彼女がフィリピン人でありながら日本語しか話せない原因は両親にある。
もっとも、私はのり子さんも込みで、一家を日本から強制退去すべきであったと思う。のり子さんはまだ13歳である。13歳であればフィリピン語を習得するスピードも速い。
以前、大東亜戦争終戦当時20数歳で東欧の国で終戦を迎え、それから60年もの間そこで人生を送った元日本兵がテレビに出ていたが、彼は何と母国語の日本語が殆ど喋れなくなっており、現地の言葉を流暢に(というか、もはや母国語のように)操っていた。そのため、一部は通訳を介して会話をしていた。のり子さんも何年もフィリピンの地で過ごせば、この元日本兵のようになるだろう。しかも彼女にはフィリピン人の両親もいるのだ。
だいたい、フィリピン人でありながら母国語が話せないというのは、自己のアイデンティティが納得できることなのだろうか。自分の体内に流れている血と同じ血が流れている国民の言語が話せない、聞けない、読めないということに、自分の中でジレンマを感じないのか。「のり子」という名を持ってはいても、彼女は紛れもなくフィリピン人なのだから。
この事件は、これで終わりなのではなく、これは終わりのように見える始まりである。カルデロン一家を支持した勢力はこれをお涙頂戴の悲劇にして、感情論で法を揺るがしにかかってくるだろう。それは今この現在においても水面下ではじまっているだろうが、これが表面化するときは、のり子さんの両親が再入国するときだ。
だが、不法入国者であっても不法入国した国で子供を産み、暮らしていれば不法が合法になるという理屈は、これまでも述べてきたように絶対に間違っている。欧米がそのようなシステムを採用していようと右に倣う必要はない。スイスや中東の入管法は日本と同程度か、それよりも厳しいと聞く。欧米が世界標準ではないし、必ずしも欧米のやっていることが正しいとも限らない。
不法入国者から生まれてくる子供が不幸にならないためにも、不法入国者に対する監視・摘発体制の一層の強化が望まれる。犯罪者が犯罪者でなくなるとき、それは刑の執行が終わったときであって、お涙頂戴の悲劇を演じ切ったときではない。