ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

またぞろ出た、言葉尻だけを捉えた批判

2007年09月21日 | 国政事情考察
 山崎拓氏は好きではないですし、支持もできませんが、今回の広島と長崎の氏への抗議には首を傾げざるを得ないので、所感を書かせてもらいます。以下時事通信の記事。 



 広島、長崎両市は21日、自民党の山崎拓前副総裁が昨年10月に北朝鮮が行った核実験について「核保有がはっきりしたという意味でやらせてよかった」と発言したことに抗議する文書を、秋葉忠利、田上富久両市長名でそれぞれ山崎氏の事務所に届けたと発表した。
 広島市は北朝鮮の核実験に関し「平和的解決に向けた国際社会の外交努力を無にした」と指摘。「(山崎氏の)発言は、核兵器廃絶に向け不断の努力を続けてきた被爆地ヒロシマとして容認できるものではない」と批判している
 一方、長崎市は「核実験の強行が被爆地をはじめとして周辺国の住民を大きな不安に陥れ、国際関係に緊張をもたらした当時の状況を十分に理解した発言とは思えず、看過できるものではない」としている。



 しかしながら、山崎氏は以下のように述べただけです。

 「(北朝鮮に)核実験をやらせてよかったと思う。北朝鮮の実態が分かったわけだから。実際に核兵器を持っているのか持っていないのか揣摩憶測の限りだったが、はっきりしたという意味でよかったと思う。」

 これの一体どこがけしからんというのか、到底理解できませんが・・・。またいつもの、一部抜粋→批判→繰り返し→言葉だけが独り歩き→真意は無視される→∞、という流れでしょうか。

 この発言を見る限り、山崎氏は核実験を賞賛していませんし、肯定してるわけでもないじゃありませんか。秋葉市長の「外交努力を無にした」という発想は、一体どこから出てくるのでしょうか。

 「核兵器があるのかないのかはっきりしたので、これで日本としても国際社会としても、北朝鮮にはっきりとした対応ができるようになった。」という程度の発言でしょ、どう考えたって。さきの「久間発言」とは、全く違うものです。 「よかった」という言葉ばかりに拘泥した、本質を見失った(それとも「故意に」見失わせた?)批判であると思います。

 また、いつもいつも広島と長崎は、原爆で亡くなった人を引き合いに出して批判しますが、これって原爆で亡くなった死者を亡霊扱いし、自分たちの思想のために利用していると思うので、原爆犠牲者を逆に冒涜してるのでは、とすらも思うのです。

 この異常なまでの「核アレルギー」、一体どうにかなりませんか?

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