ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

自己責任を言い出す事件ではない

2007年10月13日 | 国政事情考察
 先日、イランにて日本の大学生が武装集団に拉致をされる事件があった。今回のこの事件に、イラクのときと同じようにまたぞろ「自己責任」云々という批判が聞かれるので、その批判が的外れであることを述べていきたいと思う。以下、時事通信の記事より引用。



 イラン南東部を旅行中の横浜国立大の中村聡志さん(23)とみられる邦人男子学生が誘拐された事件で、同国のファルス通信は11日、治安筋の話として、学生を誘拐したのはイスマイル・シャハバフシュ容疑者が率いる武装集団で、刑務所に収容されている同容疑者の息子の身柄と男子学生との交換を求めていると報じた。
 同容疑者が当局に電話してきて明らかにし、その際、学生の健康状態は良好だと伝えてきたとしている。また、学生はケルマン州で拉致された後、隣接するシスタンバルチスタン州に連れ去られたという。
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%a5%a4%a5%e9%a5%f3%a1%a1%cb%ae%bf%cd&k=200710/2007101200071



 この事件について、イラクで起こった邦人人質事件のときのように自己責任論が出てくることがあってはならないと思う。自己責任云々を言い募る人間こそ「反国家」なのである。

 国家は、いかなる思想・信条の人間であれ、その国家に所属する以上、海外などで自国民が事件に巻き込まれたら救出し安全の確保にあたるのは当然である。国家の存在基盤の一つに国民の生命と財産の保護がある以上、必然と導き出される結論である。それをつまらぬ感情論で一蹴してはならない。
 国家は人質にされた人間がたとえ反国家であれ、更には国家転覆を狙う危険分子であれ、自国民である以上、その者を救済し、安全を確保する責務を負っていると考えている。

 しかし、誤解をされないように。私は決してイラクのときも今回も、犯人の要求に従って邦人の解放を目指せと言っているのではない。イラクで邦人が拉致をされたときも、テロリストの要求には断じて屈するべきではないと思った。当然、テロリストの要求に屈する=私の言う国家の役目を果たす、テロリストの要求を突っぱねる=人質の自己責任として事を片付ける、という二元論ではない。

 国家としては、いかにして自国民を助け出し、かつテロリストなどを蔓延らせないようにするかということを両立するのが最大のポイントなのである。その意味では、「よど号ハイジャック事件」での当時の日本の対応や、さきの韓国のアフガニスタンでの決定は、片方の利益(人質の解放)のみしか最大化できなかったという点では、国家の国際的な戦略の展開としては非常にまずい、ということだ。

 仮にもだ。貴方自身が海外で武装勢力に拉致をされ身代金を要求されたとき、自身にも落ち度があったといっても、自身の所属する国家に「お前の入国は自己責任だから助けてやらん」と言われたら、どう思うか。少なくとも、私はそんな国に「愛国心」など絶対に抱かないし、抱く必要も意味もないと思っている。
 
 愛国心とは、国家に迷惑をかける者を反国家として排除する思想ではなく、国家が国民のために良質な国家建設のために尽くし、国民もそんな国家のために何か自身も力になりたいと思う、その相互間の紐帯からはぐくまれるものだと思うからだ。

 ではそもそも、イラクのときもそうだが、武装勢力に捕らえられた人質が、愛国心旺盛で国家への忠誠心に溢れていたら助けてやるのか。もう一度言うが、そんな国家なら「愛してやる」必要などない。

 もし私が拉致されたこの大学生で、国家から「自己責任だろ」と言われたら、とてつもない絶望感に陥れられるだろう。自己責任云々は人質が救出された後に言えばいい。優先順位を間違うのも甚だしい。自己責任云々を言い募る者は、自分は落ち度のない完璧な人間なのだろうか。思うに、こういうことを言う者に限って、何か起こると自分以外のもののせいにする傾向があると思うのだが(冷笑)。

 したがって、自己責任を振りかざし被害者を批判するネットウヨクなどは愛国のかけらもない存在だ。本当に国家を愛する者であれば、被害者がどういう素性の者であれ、同じ国家に属する「同胞」が不遇な目に遭っているという現実に、まずは憤慨し怒るべきだ。よって批判は当然に武装勢力に向かう。しかし、多くの自己責任を振りかざす者は、その批判の矛先をまずは同胞である被害者に向ける。

 彼らの図式に従えば、同胞の救出は武装勢力の要求に屈することになり、武装勢力の要求を突っぱねることは同胞の見殺しを意味することになる。この二元論が、イラクでの同様の事件のときに、左翼勢力の自衛隊撤退論に体よく利用されることになったのではないか。その意味では、左翼もネットウヨクも同じ穴の狢ということになる。だから、ここで自己責任論を言い募る者は、「反国家である」と言ったのだ。

 私から言わせれば、自国民一人救出できないで何が国家だと思う。憲法改正、教育改革以前の問題であって、国家の存在自体が問われる話である。日本は国家である。よって自国民を救出する責務を負う。これだけのことである。

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