ひとり井戸端会議

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非核三原則法制化という愚策

2009年08月10日 | 憲法9条
非核三原則の法制化検討=慎重姿勢を転換-民主代表(時事通信) - goo ニュース

 民主党の鳩山由紀夫代表は9日、長崎市内のホテルで被爆者団体代表者と懇談し、非核三原則について「唯一の被爆国として守っていくことが重要で、その一つに法制化という考え方もある。しっかり検討したい」と述べ、法制化を検討する考えを表明した。
 鳩山氏はこれまで「逆に法律が変えられる危険性も持つ」として法制化に慎重な姿勢を示していた。しかし、衆院選後の連立相手に想定する社民党が法制化を求めていることから、「鳩山政権」が誕生した場合の政権運営を考え、軌道修正したものとみられる。
 鳩山氏は懇談終了後、記者団に「法律よりも強い『国是』の方が守られると思ったが、法治国家として法制化が必要だと皆さんが判断されるなら一考する十分な価値がある」と説明した。



近年、これ以上の愚策はあったろうか。それは非核三原則の法制化である。

 非核三原則の法制化には、当然反対である。核武装論者である私としては、日本が自前で核戦力を保持することに賛成であるが、それはNPT体制、日米原子力協定、国内世論等によって実質的に不可能であると思うので、そこまでは主張しない。

 しかし、せいぜい非核三原則は「つくらず」以外は全て撤廃すべきである。もちろん、非核三原則が有効な現在でも、暗黙裡のうちに在日米軍が核戦力を日本国内に入れているが。


 では、どうして非核三原則の法制化に反対かと言うと、法制化してしまうと、それは現在の宣言程度の非核三原則に比べ、国家を拘束する力が増し、日本の安全保障政策の変更が非常に難しくなってしまうからだ。

 しかも法制化したということは、「日本は核はどんなときでも持たないし使いませんよ」と宣言してしまうことになり、これは安全保障政策上、極めてデメリットの多いことである。

 自衛権は、「いざという時になったら容赦しないぞ」という事前の軍事力による威嚇力もその中に含まれるべきで、それをみすみす放棄し、自分の手の内を公開してしまうようなことは、愚策としか言いようがない。


 国家を強盗にとられかねない非常に不適切な喩えだが、ピストルを振りかざして強迫する強盗が、「このピストルには弾が入ってしませんよ」と言ってしまえば、その強盗の計画は失敗するだろう。

 しかし、たとえ弾が入っていなくとも、「撃たれる可能性がある」と相手方に認識させることが、強盗成功への重要なファクターである。この喩えを先ほどの非核三原則法制化に当て嵌めたら、日本が蒙る不利益が分かるはずだ。



 日本が非核三原則という、「おりこうさん」のポーズをとっても、それによって日本にとって直接的脅威である中国や北朝鮮、ロシアが、「ならばうちも核戦力を放棄しよう」といつ言ったか。日本だけが馬鹿を見る政策である非核三原則を、法制化によって更に強化しようなどとは、正気の沙汰ではない。

 今日の産経新聞「正論」の渡辺利夫氏ではないが、「核兵器を保有していないベルギー、ドイツ、イタリア、オランダなどが米国との核シェアリング(共有)の下、自国内に米国の核兵器を備蓄し、自国軍隊が核戦略に参加しているではないか、日本にはなぜこの程度のことができないのか」ということだ。



 ただでさえ、非核三原則など亡国思想甚だしいのにもかかわらず、それを法制化することなど、断固反対である。民主の社民との連立を睨んだご機嫌取りであって、本気の発言でないことを祈る。

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