ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

イラク派遣違憲「判断」について 番外編

2008年07月06日 | 憲法9条
 当ブログにおいて以前から批判を繰り返してきた、イラク派遣違憲訴訟名古屋高裁判決だが、先日、この訴訟の原告側弁護団の方の講演会があった。自分も当初、この講演会に行く予定であったが、急用が入ってしまったため行けなかった。そこで、今回ここに掲載する情報は、あくまでも講演会に出席した人から聞いた講演会の内容ではあるが、これを基に、この訴訟を改めて考えてみたい。



 まず、自分が講演会に行っていたら質疑応答のところで訊こうと思っていた質問を、以下で挙げてみる。

①、原告側は敗訴したにもかかわらず、どうして「勝訴だ」と喜んだのか?

②、①の光景を見る限り、当訴訟は「政治的パフォーマンス」であったように思われるが、どうか?

③、今回の訴訟について「出来試合であった」という意見が聞かれるが、これについての真相はいかなるものなのか?



 まず①についてだが、やはりこちらが思っていたとおり、今回の訴訟をはじめとした一連のイラク派遣違憲訴訟は、最初から負けることは承知で起こした訴訟であり、一連の訴訟の中で「違憲の疑いがある」「違憲の可能性がある」といった文句を、判決文の中に掲載させることが目的であったのだ。

 つまり、原告らが主張した平和的生存権等は彼ら自身、最初から認められるものとは考えておらず、「法律上の争訟」にするための、いわば「道具」として使用した程度のものであったと見てよい(「法律上の争訟」については、警察予備隊違憲訴訟判決を参照のこと)。

 ということは、原告らは自衛隊がイラクに派遣されたことにより精神的苦痛を蒙ったと主張していたが、これも自身らの政治的パフォーマンスのための口実であり、よって実際は、自衛隊が派遣されたことによって彼らに何の損害も生じていないのである。このことは、彼らが損害賠償額として一人あたり1万円しか求めていないことからも推測できよう。したがって、①が肯定された以上、②も肯定されたことになる。



 ③については、更に悪質である。彼らは、違憲「判断」をしてくれそうな裁判官を選んで、訴訟をしていたとのことである。これはもはや確信犯である。そこで案の定、違憲「判断」をしてくれる裁判官に訴訟を担当してもらい、万事(実質上の)勝訴を勝ち取ったわけである。当該判決を報じた4月18日の産経新聞にも「原告側の承認申請は積極的に認められ、法廷は違憲主張の『独壇場』となった」とあるが、そのようになった背景には、左翼によって綿密に練り上げられたこのようなシナリオがあったからである。

 イラク派遣違憲訴訟が最高裁まで行けば、原告側は(実質的な)敗訴をすることは分かりきっていたとのことである。だからこそ、敗訴をしたのにもかかわらず、上告をしなかったのだ。せっかく違憲「判断」が出たのに上告をしてしまえば、これが取消されることになるので、請求は認められなくても上告をしないということだ。よって、国側の「上告封じ」をしたという批判も正当であったと証明できた。



 しかしながら、本来ならば、自分の権利や損害の回復のために裁判を起こすのであって、権利や損害の回復をまっとうさせるために三審制が敷かれているのであるという大前提に立って考えてみれば、原告側は上告をして、平和的生存権侵害による損害の回復のために闘うのが筋だ。まさにイェーリングの言う「権利のための闘争」を行うのが、本当に怒れる左翼のやるべきことではないのか。このような姑息な手口によって自分たちの政治的主張を行うことに、良心は痛まないのか?

 最初から出来上がったシナリオに則って裁判を行っておきながら、そこで出た判決を錦の御旗にして、「自衛隊はイラクから撤退せよ」などと、よくも言えたものだ。これが彼らにとっての正義なのかも知れないが、このような事実が白日の下に晒された場合、それでも自分たちの主張が正しいと、胸を張って言えるか?

 自身の主張を通すためなら筋を曲げても構わないとしているところが、私が左翼が嫌いな理由の一つだ。もし何らかのケースで国側が敗訴をしたものの、自衛隊は合憲と裁判所が認めた(判断した)ので、国側が上告せずに訴訟を終わらせたら、いの一番に批判をするのはどこのどなただろうか。この如何ともし難い矛盾を、どう説明してくれるのだろうか。



 よって、国側がこの判決を黙殺し、イラクから自衛隊を撤退させないとした判断は極めて妥当であり、かつ、その判断こそが正義に適ったものである。このような茶番は、いずれ化けの皮が剥がされるものなのだ。

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2 コメント

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Unknown (gunkanatago)
2008-07-08 16:21:19
 裁判の場がプロパガンダの手段になっていたということですね。もし、連中が政権を取れば三権分立も何もなくなるということがよくわかりました。必死の思いで国を相手に裁判をおこしている人たち馬鹿にしていると思います。
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gunkanatagoさん (管理人)
2008-07-12 19:15:30
コメントありがとうございます。
まさに仰るとおり、裁判がプロパガンダの主張の場になったわけです。しかも更に悪質なのは、判決を出した裁判官自身も、その片棒を率先して担った可能性が極めて高いということです。

裁判は、起こすだけでもお金がかかりますし、仮に敗訴をした場合、負けた側が訴訟費用を支払うわけで、起こすには経済的に相当な覚悟が要るものだと思います。それなのに、同様の訴訟を各地で「乱発」するアジテーターこと左翼護憲派は、裁判を政治のための道具としか見ていない。これは裁判を必死の思いで起こしているその他大勢の心ある人たちに対して、極めて失礼ですし、権利の濫用であると思います。
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