ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

私の憲法9条改正論(その1)

2008年05月03日 | 憲法9条
 61回目の憲法記念日(この憲法の一体何を記念するに値するのか分からないが)に、私の憲法9条改正論として、改めて9条改正の意義を考えてみたいと思う。



 私の憲法9条改正はシンプルである。9条1項は残し、2項を削除する。これだけである。同じような提案は、確か西尾幹二先生もされていたと思う(少し内容は異なっていると思うが)し、改憲派の百地章先生も、「憲法第9条の改正はあくまで2項のみにとどめ、1項の平和主義つまり侵略戦争の放棄はそのまま維持すべきであろう」とし、「1項による歯止めは必要である」と述べている(『憲法の常識 常識の憲法』129頁)。では、どうしてこの結論なのか。

 まず、世論の賛成を得るという点でこの案は適切だと思う。最近、マスコミが相次いで行った世論調査などによれば、そこでの9条改正に関する聞き方は、この見解に立てば、おかしな(故意に?)聞き方である。

 9条改正と言っても、他国を侵略する意図であったり、好き勝手に戦争をはじめるための布石のためであったり、ましてや徴兵制を敷くための一歩でもない。9条改正の必要性は、日本が「いざという時」に、国民の生命と財産を護り、日本という国を護れるようにするというのが、その目的であって、思うに、世論の多くは9条改正の意図を勘違いしているのではないか(サヨク護憲マスコミによる故意の世論ミスリードである。だから朝日新聞の行った世論調査の結果で、9条改正反対の主な理由が「日本の平和に役立っているから」などというものが多数を占めてしまうのではないか。この認識が誤ったものであるということは、シーレーン上で日本籍の船舶が海賊に襲撃されたにもかかわらず、何の対処もできなかったという最近の事例からも明らかである)。

 よって、「平和主義を定めた9条の改正を・・・」などという聞き方は論外であって、これでは反対が増えるに決まっているし、以前から述べているように、9条の改正の是非を本当に知りたいのならば、1項と2項を分けて聞く必要があろう。

 サヨク護憲マスコミが世論を誤解させている証左として、以前琉球新報が「世論は9条改正反対」と喜び勇んで書いた社説の論拠であった共同通信社による9条に関するアンケートは、以下のようなものだった。


問7 憲法9条は戦争を放棄し、戦力を持たないことを定めています。あなたは、憲法9条を改正する必要があると思いますか、そうは思いませんか。


 これでは改正反対が増えるのは、作成者でなくとも分かりそうなものであって、このような質問事項の作成は、世論を自身にとって都合のいいような結果に導こうとするやり方であって、改正派の趣旨を無視したものである。政府・与党の行おうとしている9条改正とはいっても、1項の戦争放棄の理念は継承し、2項の戦力不保持を見直そうというものであって、このようなアンケートをいくら繰り返し行って同じような結果を出したところで、この結果は護憲派の主張の正当性の論拠たりえないのは言うまでもなく、ましてや世論を誤解させているという意味では、罪ですらある。

 したがって世論は、戦争放棄の理念は守り抜くが、現実にそぐわない戦力の不保持には反対という意見が、本当ならば多数を占めていいのではないか。世論の多数がこの国際情勢の中、日本が非武装中立であるべきなどと考えるだろうか。サヨクのバイアスのかかった姑息な世論調査の結果になど惑わされずに、毅然とその改正の必要性を説くべきだ。なお、砂川事件最高裁判決において、最高裁は「わが憲法の平和主義も決して無防備、無抵抗を定めたものではない」と述べている。



 この案を支持する理由の第二は、現在の9条を普通の人が読めば、明らかに軍隊は憲法違反ということになるからである。それこそが2項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という箇所である。9条制定の経緯などは、西修先生の多くの著書に詳しく書かれているため、ここでは触れないが、この箇所が存在している限り、自衛隊の合憲論争という、もはや神学論争にも等しい無益な議論に終止符が打てない。

 その2に続く。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。