ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

靖国参拝問題に関する考察2

2007年07月14日 | 靖国神社関係
、政教分離に関する判例。

 政教分離を巡っての一連の反靖国の動きの原点は、津地鎮祭違憲訴訟(最高裁判決昭和52年7月13日)であろう。
 この事件は、三重県津市が、市立体育館の建設にあたって、神式の地鎮祭を行い、これに公金を支出したことが憲法20条の政教分離に反するとして争われたものである。
 これについて、最高裁は目的効果基準(=その行為の目的が宗教的意義を持つか、その効果が宗教に対する援助・助長・促進または干渉・圧迫につながるか、で判断すること)の立場で判断し、神式地鎮祭はその目的は世俗的で、宗教的なものとは言えず、よって政教分離に反することはない、とした。

 その後、中曽根総理靖国神社公式参拝違憲訴訟(福岡高裁平成4年2月28日)でも、明確に違憲とは判断していない(ただし、傍論で裁判官が違憲の疑いがあると記述。だが、法的拘束力のあるのは主文のみなので、これには何の拘束力もなく、むしろ蛇足であると考える)。

 この後も、全国各地で下手な鉄砲数撃ち当たるの方式で全国で違憲訴訟が起こされているが、明確に違憲としたものは少なく、その殆どが憲法判断は行っていないので、司法でも判断は明確になされていないのが実情である。

 加えて、原告らの主張する「宗教的人格権」なるものは、その法的根拠も定かではなく、裁判所もその権利を認定していないので、よって現在のところの憲法の教科書の権威、芦部信喜教授の憲法の教科書にも記述されていない。

 余談ではあるが、現在では政教分離が更に独り歩きをしてしまい、市役所に達磨が置いてあることが政教分離に反するなどという噴飯ものの主張もされている始末である。

 政府は昭和58年、奥野元法務大臣を委員長とする、小委員会に「政府見解」の見直しを指示し、それを受けて同小委員会は以下のような見解を公表した。
 
 それによると、「慰霊、表敬等のため公務員が靖国神社を訪れる。私人としての私的参拝ではなく、公人としての公的参拝がふさわしいところである。宗教問題をこえた国民の心情の発露である。
 すでに最高裁が判断しているように(注、上記の津地鎮祭訴訟のこと。)、参拝という公的行為の外形的側面のみにとらわれるべきではないし、またこのことによって何れの人の信仰の自由がそこなわれることもなければ、他の何れの宗教上の圧迫、干渉になることもない。憲法が示す政教分離の原則に抵触することはない」。しかしながら、これも、後の靖国懇によって反故にされてしまう。

 ここで注意しなければならないのは、反中、反韓感情で首相靖国参拝を支持してはならないということだ。
 百人斬りをしたとして戦犯として処刑された、向井敏明氏の遺書には「我ガ死ヲ以テ中国抗戦八年ノ苦杯ノ意恨流レ去リ、日華親善東洋平和ノ因トモナレバ捨石トナリ幸デス。中国ノ御奮斗ヲ祈ル。日本ノ敢奮ヲ祈ル。中国万歳、日本万歳」とある。
 野田毅氏の遺書にも、「我々の死が中国と日本の楔となり、両国の連携となり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が到来することを喜ぶものであります。何卒我々の死を犬死、徒死たらしめない様、これだけを祈念いたします。中国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳」と記されている。

 反中、反韓感情での靖国参拝など、英霊方は決して望んでいない。 



、靖国はあいまい路線でいくべし。

 安倍晋三首相が歴史認識や、靖国参拝の有無に関して明確な発言を控えていることに関して、一部から「あいまい路線は通用しない」とか「歴史認識を明確にせよ」という批判が聞こえてきているのは周知の通りである。

 昨年10月5日の朝日新聞社説「首相、中韓へ 信頼をどう築き直すか」では以下のような件がある。

 「いざ政権を担って、従来の持論が通らないことを学んだのは結構だが、首相の言い回しは「政府」とは別に「首相個人」の見解があるかのような印象を与えている。そんな疑念を持たれて信頼関係は築けまい。」

 こういった社説はいつものことだが、いつから朝日新聞は憲法違反の主張を公然とするようになったのか。
 日本国憲法19条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と明確に規定されている。戦前の治安維持法等の反省を踏まえての規定である。

 個人が内心で過去の歴史をどのように考えても、それは構わないのである。たとえ、安倍首相が大東亜戦争は自存自衛の戦争で、慰安婦強制連行を否定していても、別にいいのである。そういった考え方や歴史観もあるのだから。
 それを、首相だからダメだでは、昨年9月の国旗・国歌判決で、憲法19条を持ち出して、さかんに都を批判したときと矛盾している。下衆の勘繰りかも知れないが、恐らく朝日の社説執筆陣は「安倍憎し」が先行してしまって、感情的になってしまっているのであろう。総裁選までの常識を逸した批判を見ても、それは明らかである。

 一方で、こういった批判に対して、日経新聞2006年10月2日社説はこう述べている。

 「靖国神社参拝の有無を「肯定も否定もしない」とする首相の姿勢を「あいまい」とする批判に意味がなくはないが、政治の世界では物事を明確にしない事例はある。肯定も否定もしないのは「NCND」と呼ばれる米国の核政策と似ている(「外交でも存在感示せる国に」)。」

 小泉純一郎前首相が、あまりにも明確過ぎたため、後継の安倍首相がはっきりしない姿勢に見えてしまったのではないか。

 話が少し脱線するが、安倍首相には、小泉前首相と同じく、毎年靖国神社へ参拝して欲しい。これは、勿論、今の日本の平和のために、尊い命を犠牲にされた方々に尊崇の念を捧げるという意味もあるが、外交上、ここで中断してはならない理由があるからだ。

 外交では、常に国益を第一に考えなければならない。国益とは、日本が外交上、自国に有利な展開で物事を運ぶことである。言っておくが、これは決して自国中心主義的なナショナリズム的思考ではない。
 今、アジア外交、とりわけ中国・韓国との間では、日本は良好な関係を築いているとは言えないであろう。そして、その原因のひとつに靖国参拝があることは否定できない。しかしながら、先述したような、中韓との問題は靖国参拝以外にもたくさんあるのであり、これらたくさんの問題が複雑に、まるでもつれた糸のように絡み合っているのが現状である。これらに対して、中韓は日本に一方的な譲歩を求めて、日本の世論が割れている靖国問題を前面に出し、日本を揺さぶっているのと考えるのが適切であろう。

 では、何故、靖国問題で揺さぶってくるのか。
 答えは明白だ。日本が一番譲らない、いや、譲れないであろうと考えており、これ一つで歴史問題、領土問題を一つにしてまとめることができるからである。すなわち、日本の世論が分断しているからこそ、他のどの外交カードよりも、対日本では有効なのだ。一番譲れない問題で、日本から譲歩を引き出せれば、他の問題からも譲歩を引き出せると考えているのである。

 靖国神社に参拝しなくなったことによって、具体的に何か日本に直接的に損害が出るわけではないが、それが他の問題に及ぼす影響力たるや、計り知れないものであろう。

 参拝をやめたことによって、日韓・日中の首脳会談が実現し、短期的に見れば、国益になると見えるが、国家を論じるにあたり、短期的な視点で判断をすることは禁物である。中長期的視点から見れば、間違いなくマイナスである。

 しかしながら、ここで安倍首相が「必ず参拝する」明言すれば、中韓との問題が抉れることは必至であろう。だからこそ、ここは参拝するかしないかを明言せず、あいまいな路線を取ることこそが唯一の道なのではないだろうか。

 しかも、この安倍首相の「あいまい路線」のもとで、中韓が首脳会談に応じたのだから、わざわざ、こちらから参拝の有無を明確にして、墓穴を掘る必要もない。歴史問題、靖国問題はあいまいな路線で臨むべきであろう。



、いわゆる「富田メモ」に関する見解。

 2006年7月20日、日経新聞の報道により、昭和天皇が、松岡洋右ら一部のいわゆる「A級戦犯」の靖国神社への合祀に不快感を示されていたとされるメモが見つかった。
 このメモ(富田メモ)には以下のように書きなぐられていた。

 「私は或る時に、A級が合祀されその上、松岡、白取までもが」、「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」、「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と」、「松平は、平和に強い考えがあったと思うのに」、「親の心子知らずと思っている」、「だから私あれ以来参拝していない」、「それが私の心だ」

 昭和天皇が松岡洋右を評価しておらず、むしろ批判的だったのは、既に多くの文献で知られている。白鳥敏夫(メモ文中の白取は誤り)元イタリア大使は、日独伊三国同盟の立役者と言われ、後に松岡の外交のブレーンとなった人物である。ちなみに、白鳥元イタリア大使の叔父は、昭和天皇に学習院において歴史教育を施した白鳥庫吉博士である。

 昭和天皇は、さきの大戦はとにかく和平交渉で解決して欲しかったと切に願っておられたのは、「四方(よも)の海 みな同胞(はらから)と 思う世に など波風の 立ちさわぐらむ」という御製からも窺える。
 
 さて、今回の日経新聞の取材により明らかとなった、「富田メモ」には様々な疑問点があることをここで指摘する前に、事実関係をおおまかに整理してみる。なお、このメモの信憑性を疑っているのであり、皇室を批判したり、このメモを否定するものではない。
 
 昭和27年年4月、サンフランシスコ平和条約の締結により、日本は戦争状態を終結させる(戦争は、国際法上、関係国と条約を締結しない限り終わらない)。

 昭和28年8月、衆議院で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が採択され、遺族援護法が制定され、A級戦犯の遺族も含め年金と弔慰金が支給されることが決定し、国内法ではA級戦犯は犯罪人ではないことが示された。

 昭和50年8月、三木武夫首相が「私的」参拝を強調し靖国神社を参拝。

 昭和50年11月、昭和天皇最後の御親拝。

 昭和53年10月、靖国神社が14人のA級戦犯を合祀。中国・韓国は何ら抗議せず。

 昭和54年4月、大平正芳首相が春の例大祭に参拝。同じく中韓は特に抗議せず。

 富田メモは昭和63年当時の昭和天皇のご発言として、書き記しているが、昭和天皇が「あれ以来参拝していない」と仰ったというくだりが、上記の流れを考えると辻褄が合わない。
 昭和天皇が、昭和50年以来靖国神社を御親拝されていないのは、思うに、三木武夫首相が「私的参拝か公的参拝か」という問題を作り出してしまったからで、天皇に「私的」な立場などあるはずないのだから、宮内庁などの判断で靖国神社御親拝を取りやめた、と考える方が自然ではないだろうか。
 
 昭和天皇は、昭和23年12月23日、東条英機はじめ7人が処刑されたことをお聞きになり、沈痛な御表情で、誰に言われるとなく、ぽつりと「皆、私の代わりに死んでくれた。」と、仰せになり、終日謹んでおられたという。
 この時、松岡・白鳥共に処刑はされていなかったが(松岡は拘禁中に死亡、白鳥は服役中に死亡)、このように仰ったのであれば、昭和天皇はA級戦犯全員に対して不快感を感じておられたわけではないだろう。
 昭和天皇は、連合国側に戦争遂行の責任者として、彼ら戦犯を差し出すときも「心が痛む」と仰ったということはさきに記した。

 そして、なぜA級戦犯が合祀されてから10年もの月日が流れたあとのご発言なのか、という点だ。
 外部の情報が皇族方に伝わるのが遅いと考えても、いくらなんでも10年というスパンは長すぎる。仮に昭和天皇が自らの死期を悟ってされた発言としても、やはり釈然としない。
 しかも、昭和60年代当時は、中曽根康弘首相が靖国神社を参拝したことに対し、中国が抗議をはじめた時と一致する。
 これでは空白の昭和50年代が説明できない。

 昭和天皇は、A級戦犯が合祀された後も、毎年、ABC級戦犯も追悼の対象となっている全国戦没者追悼式に毎年参列して、御言葉も述べていたのか。そして靖国神社の祭典のときには勅使もだされていた。そして、これは今上天皇もなされている。

 中曽根首相が靖国参拝を取りやめた際に昭和天皇は「よくやった」と仰ったとされているが、これもA級戦犯云々のためではなく、一国の首相の靖国参拝により、周辺諸国との関係が悪化するのを危惧されての発言で、A級戦犯に対し不快にお思いになられていたからの発言ではないのではないか。

 そして、邪推かも知れないが、これが一番引っかかったのであるが、なぜ終戦記念日前の微妙な時期にこのメモが公開されたか、ということだ。
 新聞社というものは、自分たちの主張を通すために、時に特定の個人や団体を狙い撃ちにすることがある。朝日新聞がいい例だろう。思うに、今回のこの記事の背後に新聞社の悪意が見えて仕方ないのである。
 以前、NHKの番組改編問題をめぐり、朝日新聞が当該番組放送から何年も経過してから安倍・中川両氏の圧力によって番組が改編されたと伝えた。そして矢継ぎ早に当時の番組プロデューサーが涙を流しながら会見を行った。今回の日経新聞の「スクープ」はこの構図によく似ている。
 何年も前のことを、しかも小泉前首相の終戦記念日の靖国参拝が取りざたされ、ポスト小泉も靖国参拝をするかしないかが首相就任への踏み絵のようにされている最中のこの報道でもあった。まさに朝日新聞が両氏の台頭を牽制するかのように報じた、さきの「スクープ」と同じである。

 そして、思ったとおり、全国紙は(産経除く。)、昭和天皇のこのご発言を、鬼の首を取ったかの如く、A級戦犯の分霊論の論拠にしようと、社説で大々的に論じた。
 普段は天皇の政治利用は避けるべきだ、などと主張していたにも関わらずにこれである。天皇という「権威」を味方につけ、できもしない分祀論へ拍車をかけようとしている。
 彼らのやっていることは、戦前の一部の国家主義者と変わらないではないか。天皇を自分たちの主張を通すための「道具」にしているのだ。プロパガンダには、ある権威を味方につけて、自分の主張を展開する「移転」という手法があるが、まさにこれであろう。

 仮に、このメモを真性のものと見ても、昭和天皇がA級戦犯全員に対し不快に思っていらしたのではなく、靖国神社に合祀されている一部の者に対して不快にお思いになられたのであって、このメモが直接分祀論に結びつかないし、結びつけるのは短絡的に過ぎる。



、まとめ。

 A級戦犯の方たちは、この日本を守るために戦勝国の裁判の名を借りた復讐の犠牲者となった。彼らはその後、戦争指導者の責任のため、悪の権化の如く忌み嫌われた。
 しかし、ようやく彼らの魂が休まるところが提供された。だが、そこからさえも「出て行け」と言われる。いつになったら彼らは報われるのだろうか。A級戦犯は「永久戦犯」なのか。

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