ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

映画「靖国」を観ての感想

2008年06月28日 | 靖国神社関係
 遅ればせながら、色々な意味で話題になった映画「靖国」を観てきた。結論からまず言わせてもらえば、文化庁が助成金を出すには到底許されない、極めて問題のある映画であった。とてもではないが、田原総一郎が言うほどのものではない(当然か)。

 今、手元に本映画のパンフレットがあるが、このパンフレットがまた酷い。佐藤忠男という映画批評家は、「日頃平和主義を心がけている日本社会の表面には現れてこない軍国主義時代へのノスタルジーあふれる大東亜戦争肯定論者たちの軍服姿の恐るべき稚気の噴出」などと述べている。
 私から言わせれば、彼のこのような主張こそ「恐るべき稚気」以外の何ものでもない。こうやって靖国神社を参拝する人たちを蔑視している限り、そこからは何も生まれてこない。彼の主張に従えば、靖国神社に参拝する人は、戦争好きの反平和主義者ということになる。参拝者への無礼にもほどがあるが、同時に、このような低俗な批評しかできない論者が相手ならば、靖国神社も当面は安泰だろうとも思った。



 まぁ、「恐るべき稚気」な人を相手にするのはこれぐらいにして、本題に入ろう。まず、反「靖国」派として、いつもお馴染みの週刊金曜日系な、ガオチン・スーメイと、菅原龍憲が登場してくる。ガオチン・スーメイは、そもそも台湾の原住民ではないから(笑)。
 彼女の父親は外省人(中国本土から台湾へ移住してきた人)である。彼女の主張が台湾を代表する声でないのはもちろん、彼女自身のアイデンティティは中国のカーボンコピーである。彼女が焚きつけて提訴した、台湾人らによる首相靖国参拝違憲訴訟の原告らも、実在しない住所であったり、彼女の講演会に出ただけで名前が利用されたり、日本政府からお金がもらえるといって名前を貸したいたりするのだ。彼女が靖国神社の神職の人たちに対して吐いた罵声は、永久に記憶されるべきだろう。



 作中で出てくる刈谷刀匠が、映画後半で言った「お茶も煎れないですみませんな」という言葉は、「もう帰ってくれ」という意思表示であったろうにもかかわらず、取材をしていた空気の読めない監督は、「普段はどんな音楽を聴いているのですか?」などと素っ頓狂なことを言っているのが、この映画の姿を象徴しているようであった。まるで、取材対象者の許可も得ずに取材し、挙句それが批判されれば、どこで履き違えるのか、「表現の自由の危機」だと垂れ流すように。

 結局、靖国神社はおろか、日本の価値観に無知な監督が作ったからこうなるのであろう。他にも、参拝者や靖国神社の関係者への配慮もへったくれもない自己中心的なカメラ捌き。最後の部分での、極めて疑わしい写真のBGMを流しながらの挿入というサブリミナル効果を狙ったような演出。これら全て、靖国神社への無知と偏見からきているものである。

 そもそもだが、この映画の公開時期自体、チベット問題が騒がれているときにぶつけてきており、この時点でこの映画がおかしなものだと分かりそうなものである。

 それから、靖国神社を肯定するような勢力は、下品な罵声を浴びせる「ウヨク」を中心に描写し、靖国神社を否定するような勢力は、彼らから暴力を受ける被害者という構図で描いていたのも論外だ。これでは、靖国神社を想う者はしょうもない時代錯誤で偏狭な人たちであるが、靖国神社反対派はこの理不尽な迫害、暴力の被害者であると思われてしまうのではないか。靖国神社にネガティブなイメージを与えようとする製作者の意図が汲み取れる。

 パンフレットにおいて、「もっと靖国を知りたい人のためのブックガイド」という項において、小林よしのりの『靖国論』や、小堀桂一郎ら編『新世紀の靖国神社』などを取り上げ、一見すれば「フェア」を装って見えるが、『靖国論』の解説では、「松平は社務所に引きこもったままで、越中ふんどし姿に等しい形での中曽根パフォーマンス参拝にNO!の姿勢を付きつけた」と書いてあるが、本書はそもそも靖国神社前面肯定論であることが、これでは分からなくなっており、むしろ、靖国神社までが首相の参拝にノーを突きつけたという印象を与えているように思える。『新世紀の靖国神社』は論外で、そもそも解説の日本語がおかしい。

 これに対して、高橋哲哉の『靖国問題』の解説には「数十万部を売った傑作」「靖国を考える上では必読の本です」など、リップサービスが立派だ。靖国参拝違憲訴訟団の書いた『参拝したら違憲』の解説も、「丹念にまとめています」と書いてあり、参拝賛成派の著作は不当な扱いを受けているという印象を持った。なお、パンフレットに寄せられている知識人や有名人のコメントも、不思議なぐらい靖国神社に否定的、ないしは批判的なのである。これでよくも「フェア」な描写を心がけたと言えたものだ。



 「この映画を批判したいなら、まずは観るべし」と、サヨクは言ったものだが、やはり観ても観る前と同じ。思ったとおりの惨憺たるものだ。むしろ、つくる会の「新しい歴史教科書」を、読まずに批判していたのは、どこのどなたでしたか、と。 

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4 コメント

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Unknown (gunkanatago)
2008-06-28 13:50:08
 お疲れ様でした。左がかっている人の「平等」ほど怪しいものはありませんね。こういう映画が反靖国を代表しているなら靖国神社は安泰だとの批評、大変参考になります。
 貴兄の映画「靖国」評のおかげで、もう小生は見に行く必要もないですね。茶番につき合わなくて済むのは有り難いです。田原総一郎、大昔ですが民社党の綱領をよく読まずにテレビで民社党批判をし、時の大内啓伍民社党代表にテレビカメラの前で叱られて、何も言い得ずに小さくなっていた姿を思い出します。
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gunkanatagoさん (管理人)
2008-06-28 16:25:22
コメントありがとうございます。
ナチス・ドイツの参謀ゲッペルスが、映画館をプロパガンダ宣伝のために国有化した理由もよく分かりました(苦笑)。

ガオチン・スーメイが靖国神社の神職の方に、「お前」呼ばわりしたり、「糞みたいな神道」などと罵声を浴びせまくってたシーンでは、こいつらの品性のなさが如実に顕れてましたね。よくもまぁ、ウソの経歴でここまで言えたものだな、と。

それから、日本会議の関係者が靖国神社で国歌を斉唱していた際に、サヨクの若者が「靖国神社参拝はんたーい!」って叫びながら乱入してきて、警察に連れて行かれるとき、「私の痛みなんて、日本軍の侵略によって殺された人の痛みに比べれば全然痛くないです!」などと大声をあげていたシーンでは、思わず笑ってしまいましたよ。
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そのシーン (gunkanatago)
2008-06-28 18:29:55
 警察に連れて行かれるシーン、見たかったですね。哄笑・憫笑入り交じったことでしょうね。中国映画でしたか、アヘン戦争を題材に最後は民衆の力でイギリスに打ち勝つことになっていたのがありました。「そしたら今の(当時)香港は何なんだ?」というところ。けれども毛沢東語録などを持ち歩いていた連中にとっては、それは史実であったようです。
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gunkanatagoさん (管理人)
2008-07-05 00:52:37
せっかくコメントをいただいたにもかかわらず、返信が遅くなってしまい申し訳ありません。

そのシーン、観ているこちらが恥ずかしい気持ちでしたよ。こういうことを平然とできる人は、自分を当時の日本人よりも崇高で平和愛好家だと思っているのでしょうね。そうでなければ、あのような居丈高なことはできないと思うので。

そのアヘン戦争の話、もはや妄想の域に達していますね(笑)。そこまでくると、喧嘩の弱い子供が粋がってウソの武勇伝を自慢しているようで滑稽だし、何よりも哀れですね。
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