ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

新型インフルエンザ ヒステリックになり過ぎやしないか

2009年05月19日 | 消費、環境、食品問題
休校生徒のカラオケ「お断り」 近畿の店「感染防止」(朝日新聞) - goo ニュース

 休校中の18歳未満の生徒らの「入店お断り」――。近畿2府2県で94店舗を展開するカラオケ店「ジャンボカラオケ広場」(本部・京都市)は18日から、新型の豚インフルエンザの影響で休校となった学校の生徒・児童の入店を断り始めた。同社は「お客様同士の感染を防ぐため」としている。大阪では、ほかの大手カラオケチェーンでも同様の動きが広がっている。
 同社によると、密閉空間のカラオケルームは完全に消毒できないといい、18歳未満に絞ったのは「感染者のほとんどが高校生以下だから」。休校中の子供らに自宅待機を呼びかける行政の協力にもなると判断した。



 私は医学については全くの門外漢なので、専門的なことを言うことはできないが、今までいわゆる「新型インフルエンザ」に対する政府ならびに国民の反応は、いささか過剰ではないかと感じていた。今回はこのことについて述べてみたい。



 まず記事についてだが、高校生を中心に感染が広がっていることの理由は現在でも不明なそうだが、1918年のスペイン風邪のパンデミックの際も、若年層を中心に死亡率が高かったというデータもあることから、アメリカ疾病対策センターがアメリカの医学誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンに発表した論文によると、「高齢者には何らかの免疫があるのでは」とあるという(産経新聞)。

 したがって、必ずしも医学的に若年層のウイルス感染について因果関係が明らかになったわけではないが、行政が学校に対し休校措置を取らせたことは評価できる。しかし、10代の子たちだ。遊び盛りに決まっている。せっかく学校が休みになったのだから、友達を連れてどこかに遊びに行きたいと思うのが自然だろう。私が高校生ぐらいなら、絶対同じことをしている。

 一方で、店側の対応も理解できる。もし自分の店で感染拡大などと報じられれば、しかもカラオケ店にいくら学校が休みとは平日の昼間から入店さえておいてそうなったら、社会的非難は相当なものであろうからだ。カラオケ店もそこまで責任は負いたくないというものだ。



 ここで本題だが、私は今回の日本政府ならびに国民の新型インフルエンザへの対応は、過剰なものではないかと思っている。一面ではこの過剰さが、日本の医療の進歩や経済発展を助けて、日本独自の文化に貢献しているということも言えよう。

 以前、とある本に書いてあったが、欧米の人間は、インフルエンザを風邪の一種として捉え(現にそうだと思うが)、インフルエンザだからといっていちいち特別な薬を買い求めることもなく、家で寝ていれば治るという感覚なのだそうな。これに対して日本人は、仕事や社会生活に支障が出ることを最小限にするために、少しでも早くインフルエンザを治そうと、特別な薬を買い求める。ここに日本人の勤勉さ、根の真面目さを見てとれる、とあった。



 しかし、今回のインフルエンザは政府の専門家諮問委員会によると、「感染力、病原性などからみて、新型インフルエンザは季節性インフルエンザと大きく変わることはない。」とのことで、いわば冬場に流行るインフルエンザのようなものということだ。

 それでは、毎年のように気温が下がり大気が乾燥し始める冬場に流行するインフルエンザに、我々はここまで反応しているだろうか。確かに、「新型」ということで原因不明という印象を与え、恐怖心を増長し易いとは思うが、医学に詳しくない私でさえ、インフルエンザウイルスは医療の進歩に応じてウイルス自体も進化し、両者がイタチごっこのような状態であることは知っている。つまり、ウイルスは常に進化を遂げており、それは今回に限ってのことではない。

 しかも、冒頭で挙げたスペイン風邪のときは、医学の進歩具合、衛生管理状態、国民の生活環境も、今とは比較にならないほど劣悪なもので、そうだからこそ、全世界で4000万人余りが死亡し、日本でも30万人もの犠牲者を出したのではないか。だが、現在と当時ではこれら諸条件は全く異なっている。さらにこのインフルエンザにもタミフルといったこれまでの抗インフルエンザ薬が効くとのことなので、そこまで無暗に心配し、過剰な対応はする必要ないと思う。



 今回は先述した真面目さが裏目に出てはいはしないか。不謹慎な言い方だが、騒ぎすぎのように見える。先日、薬局にシャンプーを買いに行った時、マスクが売り切れていているのをまの当たりにした。しかも直後に50代ぐらいの女性がきて、マスクを買い求めようとしていて、店員に品切れと言われていた。1973年に起きたオイルショックで、トイレットペーパーを買い求める光景は、このようなものだったのだろうか。

 今、我々の周辺には「除菌グッズ」や「抗菌」を売りにした商品があふれている。公共施設だけでなく、家の室内も除菌、抗菌処理は当たり前であって、不衛生な環境に対して、「精神的な」免疫が著しく低くなってしまったと思う。それはもはや潔癖の域に差し掛かっているとさえ思える。

 しかし、人間は菌との共存によって自身の免疫力を高め、進化を遂げてきた生き物である。赤ん坊や子供も多くの菌と触れ合うことによって免疫力が強化され、風邪を引かなくなったり、ちょっとやそっとのことで腹を下したりしなくなる。それを、汚いから、不衛生だからといって神経質になっていたのでは、それこそ逆に人間にとって危ない事態を招くことになるのではないか。とはいっても、菌とウイルスは別物ではあるが。



 特に、最近では食品や環境問題、果ては政治とカネにまつわる話まで、潔癖なまでに「汚いもの」を嫌う風潮が強まっているように感じられる。不衛生が良いとは全く言う気はないが、弱毒性のインフルエンザにここまで反応するのも、行き過ぎであると言いたい。

 病原菌に不明な点が多いのならば、国家が水際で拡大阻止を図り、国民も十分に警戒する必要があるのは当然だ。しかし同時に、過剰な対応は物事の本質を見えなくさせ、本当に必要な措置を冷静に考えることをできなくさせる。我々はもう少し、このインフルエンザに対して「鈍感」になってもいいのではないか。

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