ひとり井戸端会議

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関電は即刻控訴を

2014年05月23日 | 消費、環境、食品問題
「司法生きてた」勝訴に歓声=原発ゼロへ原告期待―大飯原発差し止め判決(時事通信) - goo ニュース

「差し止め認める」「司法は生きていた」。21日午後3時、福井市の福井地裁前。関西電力大飯原発差し止め訴訟の判決直後、飛び出してきた弁護士が二つの垂れ幕を掲げた瞬間、法廷に入りきれなかった原告らから大歓声が上がった。続いて開かれた原告団の集会で「判決の意義は計り知れない」と声明が発表されると、集まった約110人から大きな拍手が湧き起こった。
 全国の原発差し止め訴訟で、弁護団同士の連携を図っている脱原発弁護団全国連絡会共同代表の河合弘之弁護士(70)は、「42年弁護士をしているが、判決を聞いて泣いたのは初めて。輝かしい成果だ」と感慨深い様子で語った。
 原告で福井市の翻訳業小野寺和彦さん(59)は「全国の原発の再稼働差し止め訴訟で勝訴するために、大きな力になる」と期待を膨らませた。
 福島県富岡町から水戸市に避難し、原告団に加わった木田節子さん(60)は「裁判官の一言一言は、デモや集会の発言の総まとめのようだった。福島のことを忘れていない、たくさんの人の思いが通じた」と声を詰まらせながら話した。
 集会に参加した福井県敦賀市の主婦戸嶋久美子さん(49)には7歳の娘がいる。「大人たちが原発をやめる決断をしないといけない。子どもたちに負の遺産を残してはいけない」と語った。
 福井市の無職石黒弘基さん(69)は「歴史的な瞬間だ」と感激し、「政府は判決を謙虚に受け止めるべきだ。原発は1基も動かす必要はない」と求めた。




 大飯原発差止め訴訟の判決要旨を読みました。結論ありきの、公平の対極にある判決という感想を持ちました。


まず現在の原発の在り方について:

 原発を将来なくすべきかどうかは措くとして、自然エネルギー分では原発の発電量を補えないのは数値上客観的に明らかなのですから、電力源として原発を当面は使用するというのは現実的な判断、というか致し方ない選択だと思います。

 今の電力割合は非常に歪だと思います。銀行預金で譬えるなら、ある特定の銀行に自分のほぼ全ての現金を預金しているような状態です。この場合、この銀行が破たんしたらどうなるでしょう。電力政策もこれと発想は同じだと思います。

 電力はお金と同じように生きていくうえでなくてはならないものだから、それを確保する手段が一つ潰れたとしても生活していけるように、他の手段を常に複数確保しておく必要があるのではないかと思います。銀行でいえば複数の銀行に預金をすること、電力政策でいえば火力、水力、そして原子力をベストミックスで運用していくことです。

 しかし、今の電力事情は火力にもっぱら依存している状態です。「火力発電銀行」が潰れたら(=停止したら)、生活を続けるのは困難になってしまいます。ただでさえ、現在火力発電所はフル稼働(と言われている)です。こうした状態で「万が一」、火力発電所が停止したらどうるのでしょう。福井地裁は原発の「万が一」は強調する一方で、火力発電所の「万が一」には無関心のようです。

 そもそも、現在の発電事情は、ただただ電気を生むだけのために、他に回したほうが効率的なエネルギー使用になる貴重なエネルギーを浪費してしまっていると思います。これは単純にもったいないことだと思います。しかも、その燃料は海外からの輸入に頼らざるを得ないわけです。だからこそ関電は、裁判において「国富の流出」を主張したのです。



次に「国富の流失」について:

 にもかかわらず福井地裁は、「このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」と、何ら客観的なデータにもとづかない、「文学的な表現」(中川亮弁護士:彼はこの判決を支持していますが。)を述べるにすぎません。

 こうした文章というのは、「読み物としての判決」としては及第点としても、「問題解決としての判決」としては失格です。

 火力発電のフル稼働による「国富の流出」は、このようなセンチメンタルな文章で語るべき問題ではありません。現在のようなことが今後も続くようであれば、日本の景気回復の腰を折りかねませんし、単純に国内で回るべきお金が外国に流出しているのだから、人々の雇用環境にも影響してくる話ではないのでしょうか。

 福井地裁は、「原発の危険性」については、ゼロリスク論に立脚しつつ詳細に検討する一方で、もう一方の秤に乗せるべき「コスト増加の継続による国富の流出」については、上のような情緒的な表現を示すだけで、詳細に検討した痕跡は判決文には見当たりません。冒頭で私が「公平の対極にある」と批判したのは、まさにこうした理由からです。



 念のため述べておきますが、私は裁判所が「原発の危険性」と「コスト増加の継続による国富の流出」の両者を詳細に検討した結果、大飯原発停止は正当との結論に至ったのであれば、それはそれでいいと考えています。しかし、本判決を読む限り、いわば「コストとベネフィット」を、両者の意見等を斟酌して詳細に検討した結果、大飯原発停止との結論に至ったものとはどうしても思えません。

 したがって、関電が控訴をしたのは当然のことであると考えます。控訴審では司法の天秤が正常に機能することを期待します。

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