今週のNEWSWEEK(日本版)の表紙は「ゲイ in Japan~あなたの隣にもいる彼や彼女の本音と真実」でした。ハードゲイを演じる芸人のブームで脚光を浴びる、というのはゲイの人たちにとって良いことなのかどうなのか分かりませんが、日本の「非異性愛者」は推定500万人とのこと。500万人の人がどのような生活をしているのか想像がつきませんが、記事の中で採り上げられている会社員、府議会議員、牧師などのインタビューを見ていると、同性愛という以外は「普通の人」という感じがします。日本では「同性愛」を宗教的なタブーとするような伝統はないと思われますし、大家族制が崩れた現代では、同性愛や子どもができないカップルに対するプレッシャーも減りつつあると思われます。ただ、同性愛を告白するのはまだまだ勇気が必要なようで、自分を同性愛だと知りつつ、異性と結婚したりする「隠れ同性愛」が多いようです。私としては、ゲイの人に対する偏見はない、と思っていますが、いままで自分の回りにはゲイの人がいなかったためかもしれません。
あと、いくつか気になった記事として「イランの危険な賭け~欧米の反発を承知で切った核のカード、隠された真の目的とは」で、核開発をめぐり、どうやらイランは国際的に孤立してでも核開発を続けるようです。いまさら核ミサイルを10発や20発持ったところで、と思ってしまうのですが、イラン国民の支持は高いようです。核ミサイルや戦闘機などの「軍備」は、防衛力や軍事バランスというより、国の威信や誇りの象徴となってしまうようで、この「軍備」の魔力には、どの国、どの民族であれ捕らわれてしまうようです。日本も、日清・日露戦争あたりから戦前まで、国家予算の半分以上を軍備に費やし、国際的に孤立したり、暮らしがだんだんと貧しくなっていくのに、国民はそれに耐えた、という経験を持っています。この「軍備の魔力」というものは、麻疹のように誰もが一度は通過しなければならない道なのかもしれません。
もう一つは「クールで熱い理想郷の現実~手厚い社会保障と、高い競争力を手に入れた夢の「スウェーデンモデル」に生じた亀裂の重み」という記事でした。「社会の豊かさBest10」とか「競争力Best10」といえばスウェーデンなどの北欧諸国ですが必ず上位にランクされています。「福祉と競争力の両立」などという選挙の公約みたいなことが実際に実現するのは信じられないのですが、どうやらスウェーデンは「なかなかうまくやっている」ようです。日本も「うまくいっていた」時期がありましたが、今から思うと、あれは様々な事象が最良の状態となった時期が重なった、という気がしています。「日本式経営」「終身雇用」「1億総中流」などのキーワードも今となっては空虚に響きます。「理想の社会」というものは、頭の中にだけ存在するもので、現状というものは、良くも悪くも「ある局面」と思い始めていますし、記事でも「スウェーデンモデル」の限界を指摘する部分もあります。しかしスウェーデンの人口は900万人あまり。このくらいの規模が、中国のような「爆発的な経済成長」もないかわり、変化に柔軟に対応でき、社会を安定成長させるには丁度良いのかもしれません。