随所随縁

所に随(したが)い、縁に随い、時に随い、想いに随い、書き留めていきたい。

2006年の世界を読む(その2)

2005-12-30 23:16:41 | NEWSWEEK日本版



今年最後そして来年最初のNEWSWEEK(日本版)の表紙は「2006年の世界を読む」でした。毎年、最終号と新年の合併号では、新しい年の「世界を読む」ということで、国際社会や経済の動向等について予想をしています。先日は「2005年の世界を読む」を紹介しましたが、本日は「2006年の世界を読む」を紹介します。

冒頭に「知恵こそが私たちの地球を救う」とあり、「知能のパワーゲームが始まった」と論じられています。産業革命以前は「農業の時代」であり、有力者は農産物を産出する「土地」を争ったのですが、産業革命以降は「工業の時代」となり、工業生産に必要な「資源(石油や鉱石など)」そして製品の売り先である「市場(植民地を含む)」を争いました。パソコンやインターネットが普及した90年代後半からは「情報の時代」と言われていましたが、今や溢れる情報を「知識」に変える「知恵」が求められる時代になったようです。

確かに、インターネットに接続し、検索サイトにキーワードを入力すると、キーワードに関連した情報(サイト)が数万件も紹介されます。しかし、数万件の情報の中で、利用者にとって本当に役に立つ情報がどれほどあるのか?という問題があります。別の記事にも「情報量は増えたが、実際に有効利用されている知識の割合は減少している」とあり「これは歴史的に見て危険だ」と警告しています。考えてみると、人類は、従来から「足りなくなっている物は大切に使い、余っている物はふんだんに使う」という性格をもっています。たとえば、石油ショック前、石油が余っていた時代に、石油をエネルギーとして使うだけでなく、合成繊維やプラスチックなどの「石油化学製品」が生まれ、石油化学産業は、現在では巨大産業に成長しています。そして、どうやら資源や土地に限界が見えてくると、「省エネ」「地球にやさしい」産業や製品がもてはやされています。今後は、ひとつのキーワードで数万件も検索されるという、有り余る「情報」をふんだんに使った「何か」が開発されるのではないかと考えられます。

他にも2006年の予想記事として「世界経済:一極消費モデルはもう限界」「中国経済:技術大国は見果てぬ夢?」「ソフトウェア:IBM「オープン革命」の衝撃」などの興味深い記事がありますが、いずれも今後10年前後のスパンでの予測であり、2006年がどんな年になる、という感じではありません。。「2006年に優勝するチームは◎◎」とか「2006年の株価は△△」といった明快な予測を期待してしまうのですが、経済や世の中の流れなどの予想はしょせん無理なのかもしれません。ただ、今回「2005年」と「2006年」を一緒に読むと、なんとなく、世界がその方向に進んでいくような気がします。さらに「2004年」「2003年」あたりも読むとイメージがつかめるのではないかと思います。