愛犬くんとのゆったりライフ

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続・飼い主、邪馬台国に関する本を読む

2019年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム

ブログの筆者・飼い主です!

先日、愛猫くんの「ノミ・ダニ予防」のお薬をつけました。

↑後頭部がボサボサっとして、ワイルドな感じです

耳の感じから察するに、ちょっとお怒りのようです

愛猫くんと伝之助の写真は、また別に投稿しようと思います!

今回は「邪馬台国」について書こうと思います。

 

このところ邪馬台国にハマって、邪馬台国についての本を何冊か読みました。

今回は次の二冊をご紹介します。

【一冊目】

書名:邪馬台国は熊本にあった!ー「魏志倭人伝」後世改ざん説で見える邪馬台国

著者:伊藤雅文さん

発行:株式会社扶桑社(扶桑社新書)

【二冊目】

書名:邪馬台国は「朱の王国」だった

著者:蒲池明弘さん

発行:株式会社文藝春秋(文春新書)

※著作権の関係上、詳しい内容までは記載できません。ご容赦ください。


邪馬台国は熊本にあった!ー「魏志倭人伝」後世改ざん説で見える邪馬台国について>

著者・伊藤雅文さんは、次の視点から邪馬台国の場所を検証されたそうです。

  1. 基本的に「魏志倭人伝」の記述は正しいと考え、安易な読み換えは行わない。
  2. 推論の根拠はできる限り「魏志倭人伝」の記述の中に求める。
  3. 考古学的成果を、予断をもって「魏志倭人伝」記述と関連付けることは避ける。

「魏志倭人伝」を含んでいる『三国志』の撰者・陳寿さんの記述は正しかったけれど、後に正史を扱った人が「間違いを正してやりたい」という思いから改ざんしたのではないか?という仮説を唱えていらっしゃいます。

飼い主が前回ご紹介した「邪馬台国の全解決」の著者・孫栄健さんも、陳寿さんの優秀さについて指摘されていました(ご興味のある方は「飼い主、邪馬台国に関する本を読む」をご参照ください)

伊藤雅文さんも、孫さんと同じく陳寿さんを評価しています。

伊藤さんは「魏志倭人伝」の原本(オリジナル版)には、正しい「道里」が記述されていたが、ある時期にその記述が改ざんされたと書かれています。

メモ【邪馬台国の所在地が論争になっている理由(一般論)】

邪馬台国の所在地を特定できない大きな理由として、「魏志倭人伝」の邪馬台国への行程記述が、途中までは「里数」で表記されているのに、投馬国と邪馬台国については、水行二十日(投馬国)、水行十日陸行一月(邪馬台国)というように「日数」で書かれいることが挙げられています。

 

伊藤さんは、不彌国以降の投馬国・邪馬台国への行程の日数表記に矛盾を感じ、「魏志倭人伝」オリジナル版には「正しい里数が書かれていた」と仮定しています(「水行〇〇里」「水行〇〇里陸行〇〇里」というように…)

改ざんは、陳寿さんの記述を「誤り」と考えた人(集団)が、陳寿さんの誤りを正してやりたいという気持ちから、苦肉の策として日数表記に変更したのではないか?と仮定しています(邪馬台国の所在について、「魏志倭人伝」には「会稽東治の東にある」と書かれています。伊藤さんは、改ざんの理由として「会稽東治」と「会稽東冶」という別の土地についての誤認を挙げていらっしゃいます)

伊藤さんは、数式(方程式)を用いて、投馬国への水行の里数・邪馬台国への水行と陸行の里数を導き出しています。

その上で、行程について詳しく検証され、邪馬台国の比定地を挙げていらっしゃいます。

<飼い主の感想>

この本の前に読んだ、【決定版】邪馬台国の全解決 中国「正史」がすべてを解いていた(孫栄健さん著)の影響もあり、『三国志』の撰者である陳寿さんについて「優秀で簡潔明瞭に記述する人」というイメージがありました。

そういったことからも、著者・伊藤雅文さんの「後世改ざん説」について、それが本当に正しいかどうかは別として「あ~、そうなのかぁ」とスッと納得できました。


邪馬台国は「朱の王国」だったについて>

「魏志倭人伝」の倭国全体に関する記述に、産出する鉱物・宝石類として「丹」(朱)が挙げられています。

著者の蒲池明弘さんは、「朱」(辰砂)という水銀の元となる鉱物が、邪馬台国の所在地を解明する手掛かりになるのではないか?という視点から、この本を書かれています。

この本では、邪馬台国の時代から奈良時代までを対象として、「朱」が重要な輸出品であり、巨大古墳を造る際の経済的な基盤になったのではないか?邪馬台国の時代から「朱」によるバブルが発生して、その採掘地をめぐる争いや移動が古代史と関係があるのではないか?という説が展開されています。

朱の三大産地である「奈良」「伊勢」「九州」を対象地として、古代史との関係も書かれています。

 

奈良は、「山地が多いため土地が少なく農業生産は豊かではなかった」「金・銀・銅の鉱山があった記録がない」という条件にもかかわらず、邪馬台国の候補地である纏向遺跡があり、都も置かれていました。

農業・工業を含めて、奈良がナンバーワンの産地であるのは「朱」のみだそうです。

著者の蒲池さんはその点に着目して、「朱産地としての奈良」という視点から古代史について検証されています。

また、神武天皇の東征伝説について、神功皇后が九州を行軍したという記録について、宇佐八幡宮について、景行天皇と景行天皇の皇子ヤマトタケルの伝説についてなど、様々な視点から解説されています。

 

<飼い主の感想>

先日、BS-TBS『諸説あり!』の邪馬台国スペシャルを見て、「丹」(水銀)が邪馬台国にとって重要だったと知り、その関係から、この本を読ませていただきました。

邪馬台国の候補地である九州と奈良、そして宇佐や伊勢が朱の産地だという事実を知り、とても驚き勉強になりました。

朱が、金や銀にも負けないくらい価値があり、朱の輸出で財政が潤っていたという説に説得力があり、朱と古代史との関係に関心が湧きました!

とても勉強になり、読んでいて分かりやすく、著者の蒲池さんの説に感銘を受けました!

 

古代において朱の探査・採掘にかかわった人々が「丹生」姓を名乗ったということは『諸説あり!』を見て知ったのですが、今回、朱の産地が「丹生(にう)」と名付けられ、丹生神社が祀られることが多いということも、この本で知りました。

また、十一面観音と朱産地との間にも、何らかの関係があるらしいということも初めて知りました。

十一面観音菩薩といえば、芝山仁王尊(観音教寺)のご本尊です。

観音教寺が建立された経緯をみると、朱産地とは関係がないようですが、千葉県には馴染みの薄い「朱」が急に身近に感じられました。

さて、我が千葉県には「火山がない」ということで、朱とは無縁だろうと思って、何気なく「丹生神社」を検索していたところ、習志野市に丹生神社がありました!

そこで、訪ねてみることにしました!


<丹生神社にお参りしました>

本殿です。正面からの撮影は遠慮しました。

 

御由緒について案内板を読んでみました。

和歌山県伊都郡かつらぎ町にある「丹生都比売神社」を勧請して祀られたとのことです。

江戸時代の承応四年(1654年)に建てられ、現在の本殿は1812年に建立されたそうです。

※「伊都郡」というところに不思議な縁を感じます。邪馬台国連合の重要な国である「伊都国」が連想されます。

 

千葉県には、黒潮に乗って和歌山県・徳島県から移り住んだ人が多いということなので、和歌山県から移住した方がお祀りされたのかも知れません。

昔はこの辺は海辺で、漁業が盛んだったようです。

敷地内には、漁業組合解散の碑が建てられていました。

↑本殿には竜宮伝説のような彫刻が施されていました。

漁業と関係があるからかも知れません。

 

千葉氏に関する寺院を撮影する時には感じない不思議な緊張感があり、ドキドキしました。

話は飛ぶのですが…

岐阜の各務原に住んでいた曾祖母の旧姓が「丹羽(にわ)」です。

「丹生が転じて丹羽になったのかも…」と勝手に思ったりしました


岐阜の曾祖母に関する姓として、丹羽姓・柴田姓・遠藤姓があります。

美濃・尾張の丹羽姓・柴田姓・遠藤姓といえば、丹羽長秀さん・柴田勝家さん・美濃国郡上の遠藤氏といった方々が思い浮かびますが、曾祖母の家系との繋がりは無いとのことでした。当地では、かなり多い姓だということです。

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